「白狼」亭
私たちが南の宿場町に着いたのは、馬車に揺られて三日目の昼過ぎでした。冒険者協会に行くというフオコさんと別れて、クロムさんランクさん私の三人は宿へと足を運びました。
町にただ一つというその冒険者向けの宿、「白狼」亭は、辺境の町にある同種の宿よりも小振りなもので、宿泊客も今日は私たちだけのようでした。宿の主は愛想のいい年寄りの只人で、いそいそとカウンターの奥から現れて、ランクさんを見止めると、彼宛の伝書が届いていると言い残して、またカウンターの奥へぱたぱたと戻ってゆきました。
伝書は、私たちが尋ねる予定の歴史好きの土精、オッペさんからのものでした。
「丁度ええわ、オッペ、買い出しの用事あってこの町に出てくる予定やから、そこで待っとって、って言うてきてはる」
「ふうん? 日取りは?」とクロムさん。
「あら、だいぶ先の日付やね……。うちがオッペに伝書したとき、まだ歩いて行く予定でいてたから、それに合わせるつもりなんやね彼。んー、行き違いになってもしょうもないから、もう町に着いたよって連絡しとこか。おじちゃん、ここ伝書紙って置いてはる?」
「えぇもちろん、銀貨三枚になります」
ランクさんは伝書紙に、宛先と短文とをしたためて封をして、結わえ紐を引き抜いて込められた魔法を発動させました。伝書紙は燦めく鳥のような姿に変化し、フロアをくるくると羽ばたいて巡ったのちに、宿の戸口から外へと飛び去ってゆきました。
安価に出回っている魔導具です。こういうものが普通にあると、電報とか電話とか携帯とかが進歩することは、この世界では起こらないのかもですね。
荷物を置いて、けれどもまだ日は高く、私たちはいったん冒険者協会に顔を出しておくことにしました。
フオコさんは、もう居ませんでした。「止めたんですけどねぇ」と、痩せた背の高いエルフの受付嬢が愚痴めいて話してくれました。「かれ、日暮れまでには戻って来れるから、言うて、とっとと出てってもうて。余計な心配かもしれんけど、ひと晩やすんでから出発でも、ええですやろに。」
フオコさん、なにか小さなクエストを請けたようです。「どこに行かれたんですか?」と私は聞いてみました。
「塔の跡です。……えっと、百年くらい前に攻略された迷宮の跡地ですねん。塔は半分以上もう崩れてもうてるんですけど、それでも残ってる分はそれなりに丈夫に残ってて、たまに小鬼とか犬鬼とかが住み着くことがあったもんやから、見廻りのクエストを定期的にやってもろてるんです」受付嬢が、ちらとランクさんのほうを見やりました。
「うん、この宿場町はな、ネイちゃん、その迷宮を攻略する拠点として始まってん。」ランクさんが受付嬢の説明を引き継ぎました。「そっかぁ、もう百年も経ったんやなぁ。攻略した冒険団には、うちも、この娘も、混ざっとったよ。」
「たはは……あたしはそのときは、ただの鑑定係でしたけどねぇ」受付嬢が気恥ずかしげに笑いました。
うーん、人間にとっての十年くらいの感覚なのでしょうかね、エルフの百年は。
それから私たちは連れだって宿に戻り、食堂で早めの夕食にありつきました。温かいたっぷりの食事は、三日ぶりでした。
待ち人を待つ間をどう過ごしましょうか、きっと退屈するだろうね、フオコちゃんみたいに何か小さいクエストひとつ請けてみぃへん?等々と話しながら、私たちは食事を終えて、それぞれの部屋に戻ったのでした。
旅の疲れは心地よく、私を眠りに誘いました。……。
* * *
……それは虚無、全くの暗黒、何もみえない闇でした。
むくむくと沸きあがる闇の中に、幾つもの小さな人影が呑み込まれ、消えてゆきます。
あの年かさの半人のお祖母ちゃんは老ファブリナです。隣にはその娘リヴァ、その子どもたちカヴォロとカムポとイドリコ、そして更にカヴォロの娘の小ファブリナと……。
何十人もいたハーフリングたちは、みるみるうちに、残らず姿を消してしまいました。
残ったのは虚無、完璧な暗黒、目が痛くなるほどの闇、ただ闇、ただ闇……。
* * *
私はベッドの上に跳ね起きました。
今しがた見た夢の、ざらっとした嫌な感触が、まだ身体の内側に残っています。ひどく寝汗をかいていました。
夢に見たのは、フオコさんの親族の方たちの姿でした。ここに来る馬車の車中で、たっぷり聞かされた話のなかの登場人物たちでした。
激しく刻む胸の動悸が、なかなか納まりません。
『未来予知』のような魔法を、私は未習得のはずですが、夢の中で未知の魔法を発動させるケースも稀にあるようです。或いは、魔法とは別の理屈で起こる不思議な体験なのかも。どちらにせよ、ただの夢と片付けるには不吉すぎる、ような……。
窓の外は夜。おそらく夜半を過ぎたころでしょう。夢の中で見たのとは違う、月明かりのある柔らかい夜の闇を眺めながら、私は気持ちを落ち着かせようと、大きくゆっくりと息をついていました。
ようやく動悸が納まって、でも夢の中から続く不吉な予感はいよいよ激しくなるばかりで、すっかり目が冴えてしまって、ベッドを出て少し身体を動かしてみようかと考えていた矢先、窓の外から半鐘の音が聞こえてきました。
冒険者協会の半鐘、聞き違いようのない鳴らし方です。大きく三つ、小さく三つ、大きく三つ。一息おいてまた、大きく三つ、小さく三つ、大きく三つ。
むくり、とクロムさんが、隣のベッドで身を起こしました。私は立ち上がり、部屋のランプを灯しました。
身支度をしなければいけません。あれはギルドの救難信号、鐘の音の届く範囲にいる全ての冒険者に向けた、緊急の非常呼集です。
私は、不吉な夢が正夢となったことを半ば覚悟しながら、クロムさんは、寝起きの不機嫌な顔のまま、お互いに何も言わず、それぞれの鎧を身に着けるのを、代わりばんこに手伝いあいました。




