旧道の魔物(2)
【ふかくていめい】きゅうどう の まもの
【かくていめい 】????
森をゆくその「旧道の魔物」は、じっさいとても不機嫌だった。
ひとつには空腹だった。狩人としてのそれの素質は無いに等しく、3日前に行き当たりばったりで捕まえた小鹿が最後の食事だった。生来の頑強さで身を持たせてはいるが、快適な暮らしぶりとはとても言えない。
もうひとつには連れ合いだった。これは、それが持って生まれた問題ではあったが、連れ合いとの関係は最悪だった。激しい口喧嘩の末に、ふてくされて眠る連れ合いに代わって、うろうろと食物を探して森を歩く、なんで自分だけこんな目に。
そんな様子だったので、そうでなくても聡いとは言いがたいそれは、小さい危険な生き物が2匹その身近に忍び寄っていることに、まったく気がつけないでいた。
そう、背後から激しい一撃を食らわされる、その瞬間まで。
* * *
巨体に似合わぬ哀れな悲鳴をあげながら、両膝と両手とをどしん、と地につけた魔物の背にむけて、クロムさんが何ごとか叫びます。があぉ!があぉ、あぃ、まぅ!
これは噂に聞くドワーフのときの声! 秘密主義者のドワーフたちが唯ひとつ世間に漏らしたドワーフ語、「このドワーフがお前を討つぞ」くらいの意味合いで、この声をあげると攻撃力と致命的攻撃の確率とが上がるようです。それが単なる自己暗示なのか、魔法的なサムシングなのかは、よく分かっていません。当のドワーフたちも理由なんて別に気にしません。
うつ伏せになった家くらいある巨人の、ふくらはぎから腰の上さらに首の裏へと、とんとーんと身軽に駆け上がると、跳ねとんだ勢いを乗せてクロムさんは戦斧をふるいます。
うなじから打ち下ろされた斧の一撃は、あっさりと巨人の首を胴から落としました。軽やかに着地を決めて、どさりと音をたてて落ちた首を見やってから、ドワーフ娘は自慢げな顔をして、こちらのほうに振り返ります。
「だめですそいつまだ生きてます!」と私が叫ぶのと、
そいつの丸太のような腕が横なぎに凄い勢いでクロムさんを吹き飛ばしたのとは、
まったく同じ瞬間でした。
ただの瘤に見えていた巨人の右肩の隆起物が、聞くに耐えない騒音を、その開口部からわめき立てています。瘤と見えたのは、その実はもうひとつの頭。気を付けてよく見ると、うっすらと目や鼻らしきものもあるみたい。ひとつの身体に2つの首を持つ双頭巨人!
魔物の特定完了です、脳内でクエスト達成の効果音が鳴った気がしますが、ええいもう全く嬉しくない。
エティンは重たげに身を起こすと、私になどは目もくれず、吹き飛ばされたクロムさんに向けて、追撃しようと踏み出しました。
私のせいです、私がこいつの正体を先に特定できていたら、あるいはクロムさんが独りで自分のことだけ気にかけていられれば、歴戦の彼女なら不意打ちの反撃など防いでいたことでしょう。クエストは果たせたんだし逃げちゃえば?などと囁く自分の中の悪心を叱りつけながら、私はエティンに向けて、愛用のワンドを振りかざしました。
掛けた魔法は私の十八番、『心理探査』。こんな口の臭い生き物の心を覗くなんて全く気乗りしませんが、こうなったらもう仕方ない。
『心理探査』は、ふつうは単なる読心術です。魔法の無い世界からみれば単に心を読めるだけでも大したことですが、知恵と意思のある生き物なら抵抗もしますし、知恵も意思も足りない生き物の心を読んだところで、目前に迫る相手の暴力を止めることはできません。
この物騒な世界においては、低レベルの役に立たない魔法だとされています。ふつうは。
『心理探査』の描いたエティンの心は、原始人の洞窟絵画のような稚拙な線の羅列でした。
いちばん表に現れているのは、怒り。自己防衛の本能から来る、傷つけられたことへの反撃の意図。魔法で読むまでもないですが、普通の魔術師が読み取れるのはここまででしょう。
実はこの魔法、相手の無意識下の情動・意識の下に隠された本人も気づいていない思い・さらには深い心の底にある神話的な領域までをも、術者の脳裏に鮮やかに映し出す効果もあるのです! 心理学の素養がなければ、意味不明のイメージの羅列にしか見えないので、この世界では見落とされてきたのでしょうが。
私が初めて『心理探査』を使ったときの感動ったら、もう、前世でさんざん人の心を読み取る仕事をしていたことを思うと隔世の感がありました。……うん、じっさい、本当に隔世なんですけども。
エティンの神話というのも興味深いですが今は無視です、スピード重視で、この口臭のひどい生き物の心の傷を探ります。ちょうど意識下すぐのところに、抑圧された出来立てのトラウマがありました。原始的な線画で描かれているそれは、強烈な喪失感。
生まれてからいつもずっと隣にいた兄弟分、エティンのもうひとつの頭を、まったく突然に喪ってしまった、その厳しい事実に向き合うことを今は無意識下に避けようとして、それでわざと怒りに身を委ねようとしている。
ふむ、ここまで見えたなら後は簡単です、この絵を描きかえます。
エティンの心の底から湧きだしている心的なエネルギーの矢印の先を、怒りから喪失感へと切り替える。心の外へと溢れだす暴力性の矛先を、身体の外側ではなく内側へと向けてやる。蛇口に繋いだホースを切り替えて向きを変えてやるようなもので、ポイントを外さなければ、大して魔力を使う話ではありません。
さて、その効果はてきめんでした。
遺されたエティンの頭は歩みを止め、この世の終わりを嘆くような細く長く悲しい鳴き声をあげて立ちすくみ、ひといき置いてから、だしぬけにその残ったほうの頭を自ら大地に激しく打ち付けました。
効果のほどを確かめたのち、私は急いで、吹っ飛ばされて地面に倒れ伏したままのクロムさんへと駆け寄ります。
「だっ、大丈夫ですか?」治癒魔法は私のレパートリーには有りません、せめて治癒の水薬をと、あたふたと背嚢を肩から下ろしかけたところで、クロムさんはひょっこりと身を起こしました。
「やー、ヤバかった」強烈な巨人族の一撃で破けてしまった服の下、渋く輝く銀の鎖帷子を指差しながら、クロムさんはからからと笑いました。「久しぶりに、これに命を救われたわ」
「うわ、うわー! 真銀じゃないですか! え、お城が買えるくらいの価値があるって聞きますけど、ドワーフ造りのミスリルチェインメイルって。」
「やだ、何百年前の話よ、それ。そりゃあ安くはないけど、ライセンス生産してる中古品だし、それなりよ。……そんなことより」
クロムさんはエティンのほうを見やりました。
「ネイ、あなた何をしたの、あれに?」
「ええ、ちょっと教えてさしあげただけですよ」
エティンは繰り返し繰り返し、大地に激しく自らの額を打ち据える動作を、飽くことなく続けています。
「あなたはもう、この先ずっと、独りきりで生きるんだ、って。」
ぐしゃん、と嫌な音がして、血の匂いが辺りに満ちて、それきり静けさが戻りました。
巨人族の頭蓋が割れる音なんて初めて聞きましたね。
「かれ、その事実に耐えられなかったんですね。見た目よりずっと、ナイーブな子だったみたい。」
* * *
【ふかくていめい】きゅうどう の まもの
【かくていめい 】エティン
【とうばつすう 】1