冒険者協会
町に帰り着いたのは、二日目の日暮れすこし前ごろでした。私たちは重い身体を引きずるように冒険者協会へ向かい、受付でサッファさんの歓待を受けたのでした。
「双頭巨人の動く死体は術者死亡で活動停止ですから、クロムさんの討伐数にはカウントされないですねー、たいへん残念ですが。」サッファさんが、かりかりと羽ペンで何かの書類に書き記しながら、クロムさんに伝えました。
『探求の誓い』は解除するときに、クエスト中に何が起きていたかを確認することができるそうで、それを書き残して報酬計算をするのは受付の仕事になっています。過大報告をして報酬を水増ししたりすることはできません。もっとも、吟遊詩人たちはクエストのログから仰々しい勲を作ったりするようなので、派手なクエストだと尾ひれのついた話が出回ったりもするようですが。
「ランクさんの討伐数は、小鬼十三体、小鬼の動く死体二十五体、になります。」
「えー、そっちはゾンビーも数のうちに入るのか……まぁ仕方ないけどさ、なんか損した気分だねぇ。」
「ええやん別に、報酬は等分で山分けなんやし。」
「それで、あの、ネイさんなんですけど……。討伐数は小鬼の死霊術師一体、それは間違いないんですが、そのあとのログが不自然なんです。」サッファさんが筆を止め、私を見ます。
「おそらく『心理探査』の暴走で、意識不明になったようなのですが……意識不明になっていた間も、何かしらの魔法的な干渉を受けていたようなんです。でも、その相手が何なのか、何をされていたのか、それが分からない。こんな『探求の誓い』のログ、初めて見ました。」
クロムさんとランクさんは心配げな顔ですが、サッファさんは知的好奇心に目を輝かせて、ぐいぐいと私に迫ってきます。
「ええとこれがどういうことかというとですね、冒険者協会が創立以来たくわえてきた膨大なクエスト記録と付き合わせるのが『探求の誓い』の完了時の処理なんですが、それでも特定ができない、ということは、どの冒険者もこれまで出会ったことのない新しい魔物が、誰も見たことのない新しい魔法をネイさんに使っていた、そういう非常に貴重な体験をされていた可能性が高いんです、ということはですね……」
なんだかスイッチが入っちゃったみたいです。サッファさんは続けて、百年以上にわたるギルドの歴史、その創立以来の探求指針について、早口で語りきったあと、私に頼み込んできました。
「ぜひ! 何があったのか、詳しく教えては貰えないでしょうか? 特別報酬も申請できますし、お望みならギルドの研究所で詳しく調べさせることも可能ですよ、いかがでしょう?」
「んー、ごめんなサッファちゃん、ちょっと口を挟むけど」ランクさんが割って入ってくれました。「ネイちゃん、これはお願いであって、義務ではないからね。話しとうないんやったら、お断りしてもええねんで。せやんね、サッファちゃん?」
「……ええ、協会は冒険者の方お一人お一人の意思を、何よりも尊重いたします。」
「では、申し訳ないのですが、その件は今のところ、私の胸のうちに納めておきたいと思っています、すいません。」私はサッファさんに、きっぱりとそう言いました。
ギルドのラボに興味がなくもなかったですが、転生者であることを秘密にしておくことを優先したほうがよいでしょう。前世の私からの忠告もありましたし。
「そうですか……はい、わかりました。また気が変わったら、いつでも言ってくださいね。念のため、ログは生のまま残しておくようにしますから。」残念そうに、サッファさんはそう言いながら、赤い水晶の嵌まった機械めいた道具を準備し始めました。
* * *
あぁ人手が欲しい、と、土精の受付嬢サッファ=リーは、改めて思った。
領主との交渉、各種の業者たちとの交渉、冒険者たちとの交渉。現金や手形や帳簿のやりとり。依頼書、指示書、申請書、請求書、嘆願書。ときには鑑定士としての仕事も持ち込まれるし、クエスト記録の確認も欠かせない。
どれもこれも気を抜けない、信頼できる人間にしか任せられない仕事ではある。今のこの支部の規模からすると、下手に人を増やすよりは、彼女ひとりで回したほうが効率がよいだろう。それは本人もよく分かっている、でも。
報酬支払いの手続きを終え、クロムたち三人を見送り、ひととおりの必要書類を整え終わり、夜も更けた。サッファは卓上灯の明かりの下、焼き菓子と薬草茶で一服しながら、ログ情報を納めた魔水晶が記録器の上でちりちりと赤く煌めいているのを、ぼんやりと眺めていた。ネイに掛けていた『探求の誓い』の完了結果を、そのまま格納したものだ。
日々の仕事を任せられる人手があれば、と、サッファは考える。この貴重なログを、自らの手で、思う存分に解析できるだろうに。
研究所出身のサッファの本業は、このマニアックなギルド専用魔法『探求の誓い』、この魔法を通じて、世界の謎を探求することだった。
好きこのんで世界の謎に挑む冒険者たちから記録を集め、それを解析し蓄積することで、未知を既知へと変えていくこと。それが、冒険者協会創立の、ほんとうの目的だった。ギルド自体が、世界探求のための装置である、とも言える。
深淵に潜むという魔神、天に住まうという御使い、あるいは来歴不明の異邦人たち、そういったものたちでさえ、いずれはギルドが積み重ねた記録のなかに、その正体を明らかにしてゆくことだろう。研究所の博士たちは、そういう野望を糧にして生きる、奇妙な種族だった。
「率直に言って、血が騒ぎますね。」サッファ自身も、そういった博士たちの熱にあてられたひとりだった。
手間は掛かるけれど、ここの設備でも一通りの解析はできるはずです。関連文献もたしか、奥の書庫にあったはずですね。ログ上には少なくともひとつ、あるいはふたつの、何らかの上位存在の関与が示唆されています。『心理探査』を経由したために普段以上の複雑さですが、ログはきちんと取れています。もし今から手をつけたら、朝までにどこまで進められるでしょうね?
サッファはいつしか目を輝かせて、魔水晶をじっと見つめていた。世界の秘密が、そこで息づいている。思わず舌なめずりをする。
「いけないわね、あなた。自らも怪物になる、そういう種類の目をしてる。」
どこからともなく声がしたような気がして、サッファは息をのみ、辺りを見回した。戸締まりは済ましている。二重の警報魔法にも異常はない。何の物音もしない。
気のせいか、と、サッファが緊張を解いた、そのすぐあとで、魔水晶がひときわ赤く輝き、かしゃん、と小さな音をたてて呆気なく粉々に割れ、記録器の枠からぽろぽろと零れ落ちた。
「……ええっ?!」誰もいないギルド支部のロビーに、悲鳴のようなサッファの叫び声がこだました。応えるものは、何もなかった。