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ネイのまごころ屋台  作者: もあいぬ
第三章:魔窟の妖術師
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ゴブリン(1)

 妖術師は失われゆく意識のなかで、何か危険な呪いの術式を組みたてていましたが、もう遅い。

 私はそんな彼に向けて『提案(サゼスチョン)』を投げかけます。あなたにとっては残り少ない貴重な時間です、呪いなんかに使うのは勿体(もったい)ないですよ。彼は私の提案通り、今際(いまわ)の際の走馬灯へと意識を向け、そちらのほうに耽溺(たんでき)してくれました。

 普段なら抵抗(レジスト)されたのかもしれませんが、すんなり通じてしまいました。彼の意識が薄れつつあるせいかもしれませんし、あるいは、魔力(マナ)()まりによって私の魔法効果が増強(ブースト)されてたのかもしれません。


 私は油断なく、消えゆくゴブリンの意識を観察し続けました。

 彼の走馬灯は、驚くべきことに、前世から繰り返して続いていました。ふつうのゴブリンとして、ゴブリンの戦士として、ゴブリンの妖術師として生まれ、時には内輪揉めで、多くは冒険者に倒され、まれにその短い天寿を全うして生涯を終え、という繰り返し。迷宮(ダンジョン)管理者(マスター)になるのも、彼の認識では今回が3度目のようです。


 これはまったく、驚くべきことです。私は、自分自身を除いては初めて、この世界で転生している生き物を知りました。さてゴブリンは、種族として転生をするものなんでしょうか、あるいはこれは彼個人の特殊性なのでしょうか。

 もう少し詳しく確かめたいところですが、ゴブリンの意識は今まさに消え去るところです。これ以上深く調べることは、(かな)わぬ願いでしょう。


 私は、ゴブリンの意識が完全に消えるさまを、最後まで見届けました。幾重にも連なる思い出のなかを安らかに、彼の意識は闇の奥底へ、ゆらりと沈んで消えました。念には念を入れて、さらにしばらくそのまま観察を続けましたが、先ほど見た緋色の縄(ネクロマンシー)の発動も確認できません。

 ちょっと心配していたのですが、自分自身の死を制御するほどの技量は、この小鬼の(ゴブリン)死霊術師(ネクロマンサー)は持ちあわせないようでした。


 やれやれ、大冒険でしたが、これで一区切りついたことでしょう。私は『心理探査(マインド・スキャン)』を切り上げようとして……


 ……闇の奥底から、

何かがこちらを、

 見ていることに、

気づいて、

しまいました。


* * *


 気がつくと私は、黄金(こがね)色の玉座のある広間のなか、冷たい敷石の上にへたりこんでいました。

 広間は窓もないのに変に明るく、それは先ほどの魔力(マナ)()まりの洞穴に似ていなくもないですが、それよりも何十倍も明るくて、玉座の上に居るものを照らしていました。


 それは玉座の座面から真っ直ぐに天井へと伸びていて、初めは太い黒い木の幹のように見えました。が、私はすぐに、それが生きた肉、皮に覆われた肉の塊だと気付きました。それの頭の頂点には目が(ただ)ひとつ、真上(まうえ)をじっと見つめています。


 玉座に続く床には、毛足の長い上等な絨毯(カーペット)、その色は血のような赤。絨毯の先には重たげな深緑の垂れ布(カーテン)、その先にも何か部屋があるようですが、こちらからは見えません。

 玉座の主は、ぴくりとも動きません。辺りには、耳が痛いほどの沈黙しかありません。

 

 私は、今いるここが何らかの心象風景なのか、それとも物理的に強制転送(テレポート)させられた現実世界のどこかなのか、区別がつかないでいます。

 私の身に付けているものは、ここに来る直前と変わりないようです。初級(ノービス)魔導師(ウィザード)セット、使い古しの外套(ローブ)に揃いの上着(チュニック)、魔法の詠唱を(さまた)げない軽革鎧(ライト・レザー)、地味な色味の股引(レギンズ)革靴(モカシン)首飾り(ペンダント)型の魔除けの護符(アミュレット)も身に付けています。けれど、腰の革紐(ベルト)には杖棒(ワンド)直刀小剣(ショートソード)もありません。気付けば背嚢(パックパック)も無いようです、どこにいったのでしょう。


 (てのひら)のなかにじんわりと、嫌な汗が湧いてくるのを感じます。

 危険な事態です。もしこれが心象風景だったとしても、これほど現実的(リアル)に自己認識した状態では、ここで傷つけば現実にも傷つき、ここで死ねば現実にも死ぬことでしょう。

 あぁもう、一難去ってまた一難、ということですか。


 幸いにも、相手がこちらに気付いている様子は、まだありません。『存在秘匿(オブスキュア)』がまだ効果を保っているのでしょうか、だといいのですけど。


 身じろぎもせず玉座に居座るそのそれは、とても大きいのですが、どれくらい大きいのか、うまくいえません。具体的なサイズ感のとらえどころがなく、ただとても大きい。まるで、幼少のころに見上げた父親のように、大きく見えました。

 正体不明のそれが、今にもこちらに目を止めて、虫のようにこちらに向かってくるのでないかと、私にはひどく恐ろしく思えました。いまの私には杖も剣もなく……いえ、あったとしても役立つでしょうか? 相手は相当に高位の、魔神か何かのようにも見受けられます。


 そこまで考えてから、私はようやく、常時展開してていたはずの私の『生物探知ディテクト・クリエイション』が、消えているのに気付きました。

 魔法が使えない? そう気付くと、背筋に冷たいものが走りました。それでは、ここにいるのは(ただ)の人間、平均よりすこしは健康的な、14歳の小娘でしかありません。

 相手がただのゴブリンであっても、今の私なら容易に引き裂いてしまうことでしょう。ましてや目下の相手は、恐らくはゴブリンたちの魔神。


 ……何か、この正体不明のものについては、前世の記憶にある、ような、気も、します。

 私はとっさに、その記憶の棚を閉じ、目を反らしました。思い出してはならないもののように思えたのです。思い出すことによって何かが変わってしまう、観測することで確定してしまう危険な要素が、あれには潜んでいた気がします。


 私の薄い胸の奥で、心臓がむちゃくちゃに叩き鳴らされています。ええと、どうしましょう、僧侶(クレリック)職なら聖句でも唱えるのでしょうけれど、生憎(あいにく)と私は祈る神を持ちません。

 効き目があるかどうか怪しみつつ、それでもそれしか頼るものもなく、私はアミュレットを胸元に()(いだ)いて小さく身を(かが)め、そこに書かれた秘文字(ルーン)をじっと見つめました。ランクさんに教わった共通語訳を、口のなかで繰り返し呟きます。私は路傍の石である、私は路傍の石である、私は路傍の……。


「思い出せないの?」と、すぐとなりで誰かが、私に告げました。

「それとも、わざと思い出さないの? あれは、『人喰い』よ。」


 私の恐怖は頂点(ピーク)に達しました。私は慌てて、その声の主から距離をとろうと、飛び退()こうとして(つまず)いて、ぶざまに床に転がりました。


* * *


 いそいで立ち上がろうとする私を、声の主が優しく押し(とど)めました。

「もう大丈夫よ。ほら、座ってて。」

 私は、彼女の優しい声と仕草とに、気を取り直して、改めてソファーに座り直しました。


 ……ソファー?

 私のお尻の下には、さきほどの冷ややかな敷石ではなく、ソファーの座面がありました。クリーム色の、柔らかすぎない絶妙な座り心地の、古いけれどよく手入れのされた品のようでした。


 気付くと、私はまた違う場所にいました。うすい緑の壁紙、何かの薫香(くんこう)のよい匂い、背後から小さく聞こえる冷蔵庫の駆動音。辺りの気配はとても穏やかで居心地がよく、先ほどの不穏な緊張感は完全に消えています。どうやら、もう安全なようです。

 かちゃり、と白いマグカップが、目前のカフェテーブルの上に置かれました。私はなにも考えられずに、ただそのカップを手にとって、温かく(かぐわ)しいその琥珀(こはく)色の飲み物に口をつけました。


 コーヒー、ですね。前世では馴染(なじ)みぶかい飲み物でしたが、今世の私は生まれて初めて飲むはずです。

 ……あぁ、こんなに美味(おい)しいものだったんですね。


「落ち着いた?」

 あ、はい、ありがとうございます。

 私は、寝惚(ねぼ)けたようなぼんやりとした気分のまま、その声の主を見上げました。ふり(あお)いで私が見た彼女の笑顔は、かつて鏡のなかに見ていた馴染みぶかい顔、()()()()のものでした。






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