妖術師(4)
「妖術師が、消えました。」私は二人に、そう告げました。
私の『生物探知』のビジョンに、ひときわ輝いていた高い意思力の個体情報が、こつぜんと消えました。
こそこそ裏口から逃げ出したのなら、それと分かったはずです。何らかの魔法的な手段が使われたに違いありません。本当に消えたのか、あるいは、消えたように見せかけているだけなのか。
「んー、それ、『存在秘匿』かなぁ。」ランクさんが、明日の天気の話みたいな、呑気な声で言いました。……消えたように見せかけている説、ということですね。
「なんやったっけ、ほら、あの気の毒な狩人さん、隠れてても見つかりそうになったいう話やったやんか。ちゅうことは、向こうさんも何か探知の魔法を使えるんやろう。探知の便利さを知ってれば、対抗策を準備してても不思議やないやろねぇ。」
「逃げられた、って可能性は?」とクロムさん。
「無いとは言い切れんけど、せやなぁ、もしうちが妖術師やったら、まずは逃げへんな。こんな魔力たっぷりの自分の城を、そう易々と手放しとうないはずや。」
そう聞くと、魔力のこもった洞穴の壁の薄明かりが、ことさら不気味に見えてきました。
奥に居たゴブリンたちが、それぞれ動き始めました。クロムさんが4体を仕留め、1体は消え、残るは41体。うち、子ども6体とその側の2体は動かず待機。20体は正面から此方のほうへ向かってくる。13体は私たちの背後を狙って、多分ちいさな脇道を通っているのでしょう、大きく回り込んでくる様子です。
私は二人に、この現状を簡潔に告げました。
「よーし、そしたらいよいよ、こそこそせずに暴れられるって訳だねぇ。」クロムさんはむしろ喜んでいる様子です。前向き思考、大したものです。
「あぁ怖い、このドワーフを相手にせんならんゴブリンどもが、気の毒に思えるねぇ。」そんなことを言いながら、それでもランクさん本人も、普段は見せない怖い顔をしています。
さて、ことここに至っては、私には何が出来るでしょう? あまりお手伝いできることは無い気がします。あれほど頼りに思えていた真銀製の直刀小剣も、今はひどく小さく思えます。
「さっき話した作戦通りよ、ネイ。」クロムさんが振り返って、優しい目で私に言いました。「あなたは、あなたの出来る範囲で動いて。無理はしない、いいね? あたしたちでどうにかするし、万一あたしたちにどうにもならなくなったら、そん時は多分あなたにもどうにもならないから、先に逃げて。あなたの魔法と、その魔除けの護符とで。」
私は小さく頷きました。そういう事態にならないことを祈りたいですね……。
「じゃあ、正面の奴らから先に潰すよ。」
「承知、ほな、後ろは任された。ネイちゃん、クロムちゃんと一緒に正面のんをだけ相手にしてて!」
「了解です!」
私たち三人は、息を合わせて駆け出しました。
走りながら、前から近付いてくるゴブリンの群れを感じながら、私は魔法の詠唱を始めました。イメージするのは冥い雲、眠りを誘う夢の歌。
小鬼たちが手に手に粗末な武器をかざし、わめきながら群がって、洞穴の奥から姿を見せました。タイミングぴったりです! 私は詠唱を終え、『昏睡の雲』をゴブリンの群れに向けて発動させました。耳障りなゴブリンたちのわめき声がぱったりと止み、音もなく眠りに落ちて倒れていきます。
あたりの魔力が濃いせいでしょう、効果は抜群でした。20体のゴブリンたちは全て眠りこけてしまい、クロムさんの戦斧が端から順に、彼らの首を容赦なく刈り取っていきます。
「こりゃあ楽だわ、畑で南瓜でも採ってるみたいね。」あっという間にゴブリンの主力隊を全滅させ、クロムさんはからからと笑いました。私も小剣を抜いたものの、使う暇もありませんでした。
「つぎ、後ろから来ます!」私は振り返り、ランクさんに声をかけます。私たちが前へと駆け込んだために、背後に回ったゴブリンたちの別動隊は出遅れたようです。
「はいな、うちに任しといて」ランクさんは幅広剣を高く掲げました。
エルフの幅広剣は、鋼鉄と同じくらい丈夫な木材を使って、秘伝の特殊加工で作りあげるのだと聞きます。剣でもあり、同時に魔法の杖棒でもあるのです。
ランクさんの剣が白く輝き、その輝きが幾筋にも分かれて矢のように放たれると、背後の暗がりから姿を表したゴブリンたちが次々と射抜かれていきます。二度、三度と剣の輝きが打ち出されたあとには、立っているゴブリンは1体も残りませんでした。彼の持つ『白刃』の二つ名の云われ、『魔力の矢弾』です。
「うん、この調子やったら、あと倍くらいは来ても捌けるわ。」ランクさんはそう呟くと、その剣を優雅に鞘へと納めました。
奥に居た残るゴブリンたち、子ども6体と引率の2体とが、外の方角に向かって動き出しました。抜け穴でも通って、外に逃げ出すつもりでしょう。私は二人に伝えました。
「そっちは放置やな。」とランクさんが即答します。「うちらの目指す妖術師は、せっかく魔術的に隠れてんねんから、そいつらと一緒にいる理由がない。むしろ囮に使うてるくらいやろ。」
「そうだろうね。逃げてくのは放っといて、奥に進もう。」
「気ぃつけような、相手さんも何かしら準備してはるはずや。こっからが本番やった、いうことも、あるかもしれへん。」
主力隊の来た道を遡って、私たちは奥へと進みます。曲がりくねってはいるものの、道は広く平坦です。警戒しながら進みましたが、なんの罠もありません。
クロムさんが不思議そうにしています。「拍子抜けというか、逆に心配になるね。なんでまた、ここまで何にもないんだろうね?」
「魔動傀儡的な、操り人形系のを使うのには、障害物とか落とし穴とかあったら、かえって邪魔かもしれんね。そういう理由やろかなぁ。」
やがて道がぱっと開けて、私たちはドームのような場所に出ました。学校の校庭くらいのサイズ感です。真ん中あたりに、家くらいの大きな岩が見えます。何かの儀式用の場所でしょうか。
「妖術師が消えたのは多分この近くです。……が、私の『生物探知』は、今も無反応です、すいません。」
「うちの『魔力検知』も失敗やわ、ノイズが多すぎる……まぁ、予想通りやな。おーい、妖術師ちゃん、どこー?」ランクさんが呼び掛けます、当然お返事はありません。
魔法の使える敵が残っている以上、まだ何が起きるか分かりません。私たちは三人そろって、警戒しながら中央の岩に近づきました。
クロムさんが少し先行して、その岩?に近づき……警戒の声をあげて、後ろへ飛びずさりました。間一髪、飛び退いた彼女を掠めるように、岩?がぶうんと腕を振るいました!
「岩じゃない、あれ。腐った肉の塊だわ。」
「あの……どこか見覚えないですか、あれ?」
それはゆらりと立ち上がり、身の丈は2階建ての家くらい、左右非対称の禍々しい体躯に、腐った肉の酷い臭い。
「あー、あのときのナイーブな双頭巨人!」
クロムさんの呼び掛けに、応えてなのかどうなのか、その双頭巨人の動く死体は、潰れた片方の頭の喉元からぷぶぉぉぉう!とおぞましい吠え声を上げ、こちらに殴りかかって来ました。