妖術師(3)
早朝キャンプ地を発ち、森を歩くこと数時間。受付嬢さんから預かっていた魔法の羅針盤は、針が不安定にくるくる回り続けるようになりました。目的地に設定していた狩人さんの遭難地点に、たどり着けたようです。
ふんふん、とランクさんが、辺りを調べて回ります。「ほら、まだ跡が残ってる。ほんま嫌やねえ小鬼いうのは、森を傷つけんと歩かれへんのやから。」
ランクさんが示した木には、とくに跡も傷も見あたりません。私とクロムさんの不振な眼差しに、えーあんたら分からんのんこれ? と、ランクさんは逆に驚いた風情です。
「そんな調子だから嫌われんだよエルフは」とクロムさん。「あれーボクまたなんかやっちゃいましたかー?みたいな上から目線。誰だって嫌になるさ。」
「そんなつもり、ぜんぜん無いねんけどなぁ。」
「あたしは別にいいけどね、役に立ってさえくれりゃ。」
「ふふーん。せやからうち、クロムちゃんのこと好きやわ。白黒はっきりしてはって。」
「悪かったね、単純な出来で。」
「もぅ、誉めてんねんから、素直に受け取りぃな。これやからドワーフの頑固者は嫌われんねん。……さ、ちょっと急ごか、日のあるうちに巣を見つけときたいし。」
ぽかぽかと無駄口を叩き合いながら、二人はそれでも相当な速力で、森の奥へと進み始めました。私からしたら、ほとんど疾走です。
未開の森というのは、平坦なところがありません。登ったり降りたり回り込んだり、木の根を乗り越えたり茂みをかき分けたり。二人はぐんぐんと何気なく進んでいきますが、私はそれに追い付いていくので目一杯でした。
小一時間ほど過ぎたでしょうか、私が常時展開している『生物探知』の魔法視野の端に、小さな生き物の群れが映り始めました。私は二人に声を掛けて立ち止まり、弾む息を整えながらビジョンに集中しました。
「……みつけ、ました、ゴブリンの、群れ、です。」
「でかしたよ、ネイ。思ったより近かったねー。」
「方角と距離、わかる?」
「このまま真っ直ぐ、1マイルくらいです。」
「人数は?」
「……50体くらいでしょうか。もう少し近くにいけば、確かめられると思います。」
「その程度なら、あたしたち二人で殲滅に出来そうね。」
「よっしゃ、ほな、風下から回り込んで近づいてみよか。」
風下の高台めいた場所で、茂みに隠れつつ、その「巣」の入り口を見ることができました。大人が四、五人ならんで入っていけるくらいの、比較的大きな洞穴のようです。入り口の脇には2体のゴブリン、見張り役なのでしょう。
私は背曩から小さな黒板と白墨とを引っ張り出して、『生物探知』で確かめたゴブリンの数だけ「正」の字を書いていきました。面白い数え方だねぇそれ只人式なの? とクロムさん。いえ我流です、と、私は適当に応えます。
「入り口に2体、中には46体……そのうち、たぶん6体は子どもです」黒板を確かめ、私は二人にそう伝えます。「ほとんどが普通のゴブリンですが、奥にいる1体だけは様子が違います。意思力が飛び抜けて高い。これが『妖術師』ですね、きっと。」
なるほどなぁ、とランクさんが感心しています。「『生物探知』を常駐させるやなんて、はじめ聞いたときは記憶域の無駄づかいやないかと思たけど……。ここまでの精度が出せるんなら、かなり便利やね。」
「洞穴の中ではもっと便利だろうね、ネイがいる限り、奴らは奇襲も出来ないよ。」
私はというと、うまくいきすぎて逆に心配になっていました。
「あの、この魔法は、心がある生き物しか見つけられません。それ以外の敵がいるかも分からないですから、どうか気を付けてくださいね。」
「うん、知ってる。クロムちゃん油断しんといてな、今回は相手も魔法を使えるから。ゴブリン以外にも、何か出てくるかもしれへん。」
「ふうん……じゃあ、もし出るならどんなやつだと思う、ランク?」
「せやねぇ。魔動傀儡の系統、たとえば竜牙兵とか、お気軽に使われるかなぁ。この手のやつらは術者を仕留めれば止まるから、最優先なんは『妖術師』やね。」
「了解だ。……じゃ、始めようか。」
短く幾つかの作戦を確認してから、私たちは改めて、見張り役のゴブリンたちを見やりました。
「では。」私は杖棒を構え、『心理探査』を、続けて『提案』を、ゴブリンたちに投げ掛けました。
私の魔法を受けた2体のゴブリンは、彼ら特有の耳障りな言葉で何ごとか話し合ったあと、連れだって巣の入り口を離れ、森の奥へと消えていきました。
「交代の時間までまだ2時間あるそうなので、見張りをサボって遊びに出掛けてもらいました。」私はそう説明しました。
「ねぇ、ゴブリンって夜行性じゃなかった?」
「せやからまぁ、うちらにとっての夜遊びが、代わりに奴らの昼遊びになるんやないの? まぁ、知らんけど。」
小声でささやきあいながら、私たちは洞穴に足を踏み入れました。先頭をクロムさん、間に私を挟んで、殿にランクさん、という隊列です。
夜目が効くゴブリンの巣ですから、じきに暗くなるかと思いましたが、奥へ進んでも辺りは奇妙に明るいままです。
うわぁ、とランクさんが声を漏らします。「壁が光ってるわ、ここら一帯が魔力溜まりなんやな。ネイちゃん、わかる?」
確かに言われてみると、壁がぼんやり光って見えます。私には『魔力検知』は使えませんが、それでも目に見えるほど濃い魔力が、土のなかに溜まっているのでしょう。
何かの拍子に地下の龍脈から吹き出てきたのか……だとすると、この洞穴じたい、その拍子に生まれたものなのかもしれません。
「この調子なら、うち魔法を出し惜しみせんでもよさそうやね」とランクさん。「まぁ相手も同じやろから、楽はできひんけど」
「100フィート先、右奥のほうにゴブリン4体です」一番近い敵の位置を、私は二人に伝えました。「小部屋のようです、見張りの交代役の休憩所でしょうか。こちらには気付いていません。たぶん、眠っているか、起きててもぼーっとしてるみたいです。」
「了解、あたし独りで足りるわ。」
クロムさんは目ざとく、小部屋の入り口を見つけました。扉も何もない単なる穴でしたが、影になって分かりづらい、巧妙な位置取りです。
赤毛のドワーフ娘は戦斧を構え、音もなく小部屋に踏み込んでゆきました。じきに鈍い音が4つ、どす・どす・ごす・ごん。音が鳴るたびに、ゴブリンの反応が一つずつ消えていきました。
とたん、私の『生物探知』のビジョンのなか、ダンジョンの奥にいるゴブリンたちが、わさわさと動き始めました。
「気づかれましたっ!」私は声を忍ばせて警告します。
「なんっ?! あたし、やつらに溜め息ひとつ上げさせずに仕留めたよ?」小部屋の奥からクロムさん。
「検知系魔法の応用やろか。見張り役の命が途切れたら警報が鳴る魔法の絡繰とか、使うてたんかもしれへんねぇ」のんびりと、しかし目線は鋭く、エルフの魔剣士は呟いて、腰の幅広剣を抜き放ちました。
「もうひとつ悪い知らせです、」私はそこまで言ってから、すこし言葉を探しました。
「妖術師が、消えました。」