妖術師(2)
クロムさんがこちらに背を向けて、焚き火に向かって座っています。火の光に切り取られた逞しい彼女のシルエットは、こじんまりとした岩のように見えます。
焚き火の向こう側ではランクさんが、リラックスした風情で火にあたりながら、何事かを呟いています。独り言でしょうか? あるいは、古いエルフの歌など諳じているのでしょうか? 呟きは小さすぎて、私には判別がつきません。
旧道のそばのささやかな広場で、暗い夜の森を背景に、ドワーフとエルフとが静かに焚き火を囲むその様子、まるで絵のようでした。
私は足音を忍ばせて、そおっとクロムさんの真後ろに立ちました。クロムさんは変わらず、じっと黙って座っています。
私は、サッファさんから受け取った魔除けの護符に魔力を通すのを止めました。きゅっ、と、蛇口をひねって閉じるようなイメージ。
「あ、ネイいま後ろに居るね?」とたん、クロムさんが火のほうを向いたまま、声を上げました。
ランクさんが目線を上げて、私を見ました。「うん、使ってる間は気配が消えてる。鈍い相手やったら目の前に居てても気付かれへんかも。やっぱりそれ、『存在秘匿』の触媒に使えるんやね。」
「はい、これがあれば、ほとんど魔力を消費しないで済みそうです。」そう応えながら私も、焚き火を囲む円座に加わりました。
「あたしが斧をぶん廻している近くでは、それ使わないでね」クロムさんが私に言いました。はい、くれぐれも気を付けます。
「焚き火は明日以降しばらく使われへんね」と、ランクさんが言いました。明日にはもう、例の気の毒な狩人さんの遭難地点に着いているはずです。そこからは、小鬼たちの目を引くのは避けなければなりません。
「もう寝てもうてもええよ御二人さん、うちはずっと起きてるから」ランクさんは焚き火を見つめたまま、静かに言いました。
エルフは眠りを必要とせず、そのかわりに瞑想をするのだと聞きます。さきほどからランクさん、ぼんやりとしたご様子ですが、半ば瞑想の境地に踏みこんでいるのかもしれません。
ゆらめく炎の灯りに、伏せがちなエルフの瞳。大人しく黙ってさえいれば、彼は蠱惑的な美貌の持ち主です。
ランクさんの申し出に、クロムさんは生返事を返して、それでも焚き火をぼんやり眺めています。
一日の疲れと眠気はあって、それでもこのまま眠るのが惜しい気もして、私もしばらくそのまま、二人の沈黙の間に座っていました。
「あの」私は沈黙を破って、二人に声を掛けていました。
今なら、ドワーフとエルフという、ある意味では当事者の方たちと、ゆっくり話ができます。
「お聞きしたいことがあるんです、けど、あの、東の丘の戦い、の、ことで。」声は掛けたものの、すこし踏み込みすぎた話題だったかも、と、私は躊躇いつつも、そう言っちゃいました。
二人は一様に驚いた顔をして、それから二人で顔を見合わせ、苦笑いを交わしました。
「いいよ。古い話だし、あたしは正直よく知らないんだけど、なんでも聞いてよ。けど、エルフ野郎のほうは……。」
「うーん、せやねん、それについてはうち、話されへんこともあんねん、エルフ的に。……まぁ遠慮せんと、聞くだけ聞いてみてくれてええよ。何でもかんでも秘密っていうわけではないし。」
そうですよね、女王の嫉妬が敗戦の原因かも……なんて話、エルフ的には表には出したくないものですよね。数千年前の大昔の出来事のはずですが、エルフ族の感覚では、まだ生々しい身近な話だったりするのでしょう。
私は二人の理解者に礼を言ってから、さて、「前世の私」についてどう聞いたものか、すこし考えました。
「黒い外套に黒いとんがり帽子の女、って、その話に出ているでしょうか?」
「えーっと……? それ、エルフ? ドワーフ?」クロムさんが戸惑っています。
「エルフでもドワーフでもないわ、それ。せやろ?」とランクさん、彼には何か心当たりがあるようです。
「あ、はい。こ存じなんですか?」
「クロムちゃん、聞いたことないのん? これ、ドワーフの側の話のはずよ。ほら、異邦人の話。」
エイリアン?
「なによエイリアンって。」とクロムさんが聞きました。
「えー、そこから言わな分からんかぁ。ドワーフも忘れるほど昔の話なんやろかなぁ。」
「自分らのものさしだけで世間を計んないでよ、この長命種。なに、ひょっとしてランクあんた、東の丘の戦い、直に見たことあったりすんの?」
「いやいやまさか、うちのおじいちゃんもまだ生まれてへんよぉ。……んー、確か、よその世界から来たいう女が、ドワーフのことを助けてたんやて。」
よその世界、ですか。
「その、よその世界から来たひとだから異邦人、ってことなんですか。でも、よそ、って、何なんですか?」私は、何も知らない振りをして尋ねました。
とくに根拠はないのですが、転生とか異世界とかいうネタは、たとえ相手がこの二人でも、ぎりぎりまで隠しておいたほうがよい気がしたのです。
「えーと、せやね、例えば西の群島の向こうとか南の大陸とか、そういうんやのうて、もうまったくこことは理屈の違う別の世界から、ぽんって移ってきた、っていう人の話がな、たまにあってん、昔は。」
「エルフが昔って言うんなら、それはもう本当に大昔なんだろうねぇ」クロムさんが、へんに感心した様子で相槌を打ちます。
「それで、その人はどうドワーフを助けたんですか?」
「うちもよう知らんねんけど、戦いに敗れて生き残ったドワーフたちの心を救ったんやとか……。」ランクさんはそこまで話してから、はっと息を止めて、私を見ました。
「……心を救う、って聞いたときには、意味が分からへんなぁ思たもんやけど、今なら分かるわ。せやね、ネイちゃんがうちにしてくれたようなこと、かも知れへんなぁ。」
クロムさんが興味深げに、こちらを見ています。
「あかんてクロムちゃん、これはうちとネイちゃんとの秘密やから。ねー、ネイちゃん?」
私の肩を抱こうとするランクさんを何とか回避し、クロムさんの陰に隠れます。相変わらず距離感が近いですね、油断できません。「ええ、ネイのまごころ屋台は、秘密厳守が第一優先ですから。」
「うん、まぁ、ネイがエルフ野郎と仲なおりできてよかったよ。……で、その異邦人だっけ、なにかネイと関係ある人なの?」
えぇ、たぶんそれ、私ですね。もし私がそこに居たらきっと、ドワーフさんたちを助けようとして、無理をしたことでしょうから。
でも、もしそうだとすると、ここにいる私はいったい何なのでしょう?
ふーむ、じぶんが何者なのか真剣に悩むだなんて、懐かしい苦しみですね。さしずめ今の私は、自我認識の危機に対峙する猶予期間の具現化、といったところでしょうか。
あるいは、世界を横断する私、意外と貴重な存在なのかもしれません。なんだか、楽しくなってきました。
「……ええ、今の私と何らかの繋がりのある人だと思うんです。私、その人のことを探してみようと思います。」私は話しながら、自分の個人的な探求の目標が、固まったように感じていました。
【ふかくていめい】ゆうこうてきなローブのおんな
【かくていめい 】いほうじんのおんな