暇をもて余した転生神様の崇高なる遊び。
真っ白な空間で俺は目を覚ました。
まるで綿毛にくるまれているような、ふわふわとした感覚。暫く何も考えられずにその白い空間を揺蕩っていると、唐突に背中を衝撃が襲った。
「起っきろー」
「ぐえぇえっ!?」
間延びした声と共に俺はふわふわ空間から弾き飛ばされ、固い地面へと強かに体を打ち付ける羽目になった。
なんだ!? 一体何が起こったんだ!!
俺は痛みに呻きながら身を起こす。クラクラする頭を片手で押さえ、冷たい石の床に座り込んだ。
随分奇妙な場所だ。
辺りには真っ白な霧が敷き詰められていて、あまり遠くを見渡すことは出来ない。俺の髪を揺らす穏やかな風に霧もゆっくりと動いているようだったが、しかし霧が晴れる気配は無い。
俺が座るのは冷たく固い石の床だ。こちらも全体的に白いが、強いていうなら象牙色と言ったところだろうか。色彩だけなら立ち込める冷ややかな霧よりは多少温もりを感じる。実際触れれば石らしい冷たさを叩き付けてくるが……。
「起きたかー?」
俺はびくりと肩を震わせて後ろを振り返った。そこにはこれまた奇妙な格好の子供がいた。
特に神話に詳しい訳ではないのであの服装をなんと表現したら良いのか、とにかく雰囲気的にはギリシャ神話の神様が着ていそうな服を着ている。
頬や、肩から剥き出しになった細い腕には奇怪な紋様が描かれており、それは裸足の両足も同様だった。
背丈は一般的男子高校生であるところの俺の胸元に頭が来るくらい。
肌は浅黒く、代わりに髪は真夏の入道雲のように白い。頭上にはゆっくりと回る光の輪が浮かんでいて、背からは真っ白な翼が6本も生えていた。なんて露骨な人外アピール。
身の丈程もある長い金属の杭のようなものを両手で弄びながら、真っ赤な目を細めてイタズラ小僧の笑みを俺に向けていた。
「はじめまして、我は神だぞ。」
「え?……は、はあ。」
「我は今非常に退屈しておるのだ。」
「はあ……ソッスカ。」
「お前は死人だ。具体的にはクーラーの壊れた部屋で熱中症になって死んだ。」
「まじかよ。」
「そこで暇潰しにお前を異世界に転生させることにした。泣いて喜ぶがいい。」
「なんという超展開。」
さっきから頭がクラクラするのは熱中症の名残か? いや、それよりもなによりも……死んだ? 俺が? まじで?
自分の体を見下ろす。よれよれの色褪せたTシャツにジャージのハーフパンツ。普段と何ら変わらないリラックス全開の部屋着だ。
手を握ったり開いたりと繰り返すも違和感はない。いきなり死んだと言われたところで信じられない程に普通だ。
しかし転生。転生かぁ……。俺はふわふわとした気分でにやついた。
ついワクワクしてしまう。脳裏には今までラノベやアニメ等からもたらされた数々の『お約束』が煌めいている。それすなわち、一言で言うならチーレムである。
チートでハーレム。なんと甘美な響きか。楽してウハウハ。勝ち組人生。素晴らしい。
どうせこのまま生きていたって受験やら就活やらで苦しんで適当に凡庸な人生を惰性で走り続けるだけなのだ。良いじゃない、転生。やったぜ。
「あの、転生ってチート……生きやすくなるような特殊能力とか……貰えますか?そのー、いきなり異世界とか、やってけるか自信無くて。」
期待を込めてそう問うと、「ふむ」とひとつ頷いた神様に手のひら大の釘のようなものを渡された。
「これを投げよ。選ばせてやろう。」
ニコニコと神様の指し示す方を見ればそこには場違いな……バラエティ番組で見るようなルーレットが設置されており、くるくると回っている。そうか、この釘はダーツだったのか。
なんつーか、あれだな。俗っぽいな……。
「人間は旅の行く先を投げ矢で決める習わしがあると聞いたのだ。」
「う~ん、間違ってはいないが……」
「そこで選択を投げ矢に託すことにした。当たったところの能力をやろう。」
「よっしゃ!」
俺は喜び勇んでダーツを投げる。初めて投げたにも関わらずスッと矢はルーレットへと吸い込まれていき、小気味良い音を立ててその円盤に突き立った。
ルーレットの回転が止まる。矢の刺さった場所には『魔力無限』と書かれていた。
刺さった矢が眩く輝いて、体の奥から力が漲ってくるような気がする。
魔力無限!!
良い感じだ! 魔力無限!!
無限の魔力で高位魔法バカスカ撃ちまくって気分爽快俺Tueeeeeee!! ってか!
当然美少女とか美幼女とか美女とか助けたりしてハーレムが自動形成されてく感じ!?
いいねいいね、最高だねッ!!
「今度は行き先だ。ほれ投げよ。」
「そいやっ!」
続いて渡された矢をいつの間にか現れた新たなルーレットに向かって投げる。美少女! 美少女が多くて美少女が多いところ!! 来い、俺に対して優しくて可愛くて献身的な美少女ヒロイン達!!
俺の欲望を乗せた矢はルーレットに勢い良く刺さる。ルーレットが止まった。刺さった場所に書かれているのは『ル・メルテミーシカ世界』だった。矢が輝く。
「達者でな~」
神様のユルい送る言葉に見送られ、俺は異世界に旅立った。
俺の勝ち組チーレム人生が今始まる!!
「ぐぼああっ!!??」
そして異世界の大地を踏むのとほぼ同時に俺は死んだ。
***
「どういうことだよ。」
異世界に行った……いや、あれは行ったと言えるのか?
異世界に着いたと思った瞬間死ぬほど苦しくなって視界が真っ赤に染まって気が付いたら元の神様空間に戻ってきてしまった。もう何がなんだか……。
「お前の体に向こうの気圧が合わなかったようだな。一秒ともたずに体が破裂したぞ~。」
「そんなのありかよ!?」
そんなスプラッタ展開いらねぇぇぇ!! 誰得だよ!
神様はしかし、全く気にした風もなく2本の矢を差し出してくる。
「いきなり死ぬとは運が悪いのう。ほれ、最初からやり直しだ。投げよ。」
「2本あるってことは特殊能力も選び直しか?」
「そういうことだな。次は上手く生き延びられる能力だといいのう。」
「ええぇ……。」
早く早く、と急かす神様に回るルーレットの前に連れてこられる。
まあ、いきなり都合の良い世界になんて行くわけないよな。さっきのは運が悪かったんだ。気を取り直してテイクツーいこう。
さあ来い、俺のチーレム生活!!
次に来たのは『金運MAX』で『青天壺中世界』。
金運MAX、なんというセレブリティな能力……。人間社会で生きるにはある意味最強の能力なのでは?
いける。金運チートでウッハウハ。豪邸で美少女メイドさんとかに世話を焼かれながらのニート生活!! うへへ、やばいな。天国か?
奴隷美少女とかもいいかもしれない。孤児美幼女を引き取ってもいい。
よっしゃ、いざ行かん!! セレブチートハーレム!!
「がっ!? ご……ぼぶぅ………………っ!!」
そして穴という穴から血を吹いて俺は死んだ。
***
「何でやねん」
「そうら、次の行くぞー。」
「待ってくれ。いや、待ってほんと。さっきのはなんで俺死んだの?」
笑顔で2本の矢を差し出してくる神様に問う。神様はキョトンとした後、大きな瞳をぱちくりしてからこう言った。
「大気が合わなかったようだな。お前の体にとって毒になる空気だったようだ。」
「あの、そういう即死系の世界はルーレットから外してくれないか。というか、良く考えたら今までの異世界転生じゃないよね? 異世界トリップのほうだよね?」
「細かいことを気にする奴だなぁ。そんなんだから彼女いない歴イコール年齢のまま死んだんだぞ。」
「やかましいわッ! ……こっちは命が掛かってるんだぞ。あと転移する前に事前知識くれよ。」
度重なる死亡体験に自称神様への敬意が削り取られていくのを感じる。元々怪しかった敬語はいつの間にか普段クラスメイト達と話す時のような適当な感じにランクダウンしてしまった。
というかこいつ、神様というより悪魔かなにかなんじゃないのか……?
「我は正真正銘の神様だぞ。失礼なやつめ、そんなんだから飼ってる安直な名前の亀に餌やりの度指を噛まれるのだ。」
「ナチュラルに心読まないでもらえます? あとカメゴンのことは関係無いだろうが!」
「ふむ。……とにかく即死しないように生まれ直したいということか? ちょっと待っておれ。」
「だいたい名付けた時はまだ小5だったんだからしょうがない、いや……うん、まあ、それでいいけど。」
神様はダーツの矢を軽く降る。すると矢に淡い光の線が走る。
手のひらに見た目だけなら今までと何ら変わりない釘のようなダーツの矢が2本転がる。俺は会話の間にもずっとぐるぐる回り続けていたルーレットに矢を投げる。
当たったのは『絶世の美貌』で『イス=ルールエーシア世界』だった。
矢が輝くが、ルーレットに刺さった先端からじわじわと光が広がっていく。少し猶予ができたようだった。
「また即死系世界じゃないよな?」
「大丈夫大丈夫。平気平気。」
一番大切な事を訊いているというのに神様の返答は興味無さげだ。不安だな……。
だが一応神様だ。多分大丈夫なのだろう。多分。
不安だな……。
「その世界に美少女はいるか?」
「そこの人類は皆、奇跡的な水準で完璧に近い生物になったと担当の神が自慢しておったぞ。」
「よし。」
なるほど。どうやら俺は完璧な美少女達のいる世界で超絶イケメンに生まれ変わるらしい。
あー、つれーなー! 絶対モテモテじゃん! もう彼女の一人や二人や三人や四人、簡単に出来ちゃうなー!!
チートなくても女の子達が勝手に俺を取り合ってハーレム出来ちゃうとか、イケメンはマジつれーなー! やったぜ!
童貞も卒業しちゃうだろうなー!! へっへっへー!
「行ってくる!」
「おー、達者でな~」
矢全体に光が広がりきったのと同時に俺は異世界に降り立った。
「お、おおお……。死なない。死なないぞッ!!」
俺の体は破裂もしなければ血を噴き出すことも無かった。苦しくない。空気も旨い。しかし……。
「え…………………、なにこれ。」
俺の手は、グロテスクな触手になっていた。生理的な嫌悪感がぞわわっと背中を駆け巡る。
「なんだこれ、なんだこれなんだこれなんなんだよこれぇっ!!?」
手だけでは無い。足があるはずの場所にも謎の毛深い芋虫のようなモゾモゾが蠢いているし、そもそも数がおかしい。咄嗟に自分の顔を触ろうとしたらぶにゅりと赤黒い触手が顔面に迫ってきて悲鳴を上げた。
「あら、ねえ君どうしたの?」
パニックに陥った俺に背後から声がかかる。愛らしい少女の声、ということだけはわかる。俺は反射的に振り返った。
「あばばばばばばあぁぁぁぁああぁぁぁあぁ!!!!」
「きゃあ!ちょっと、どうしたのよ!?ちょ、落ち着いて、ねえってば!!」
そこに現れた美少女声のコズミックホラー的クリーチャーにSAN値をありったけ削り取られて、俺は発狂して死んだ。
***
「いあ……いあ……い…あ………くとぅ……く………ふんぐる…ぃ…ぁ………」
「また駄目だったのう。せっかくお望みの美少女にも出会えたのに残念だったな。」
「ア…………ァアあっ……マドニ……マドッ…ああ…………」
「話にならんな。ほれ、起きろ!」
「ごふっ!?」
気が付くと俺は何度目かの神様空間に転がっていた。頭がずきずきする。
俺は今まで何を……何かひどく恐ろしいモノを見たような。
そう、何かこう、根源的恐怖をもよおすような……うっ、頭が……!
だめだ、思い出してはいけない。何故だかわからないけれど、深く考えてはいけないような気がする。
俺は無理矢理沸き立つ疑問を殴り殺して心の奥底に沈め封印した。これ以上この事を考えるなと頭の中に警鐘が鳴り響いていたからだ。
「記憶が飛んでて良くわからないが、どうやらまた俺は死んだみたいだな……。」
「今回のは気合いと根性で乗りきれる程度の障害だったのにのう、惜しいことをしたな。」
「あんなん乗りきれるわけねーだろっ! ふざけんなっ! …………はっ、俺は今、何を…………い、いやだ、思い出したくないっ!」
突如心臓がおかしな動き方をして呼吸が荒くなる。脳をミキサーにかけられているような苦痛が全身をギリギリと引き絞る。
「次ィッ! 思い出す前に次の世界に行きましょう!!」
「よしきた。さあ投げよ。」
笑顔で自称神が差し出した矢をひっつかみ、俺はルーレットに投げ放った。
***
過呼吸に喘ぎながら俺は叫んだ。「人間!」
「人間のいる世界にしてくださいぃ!! それならマトモな世界だよなぁ!?」
あれから俺は何度矢を投げた事だろう。思い出すのもおぞましい数々の異世界で、魂が拒絶するグロゲロクリーチャーへの転生即発狂死を繰り返した。あたまおかしなるで。
「えー? 保守的だの。若いんだし、もっと冒険した方が楽しいと思うぞ?」
「今までのチョイスが! 冒険し過ぎなんだよオォォッ!!!」
「そんなに人間が良いのか? 変わっとるのう。人間主体の世界は大抵完成度低くて問題ばっかりで……神的には人間って失敗作の部類だからの。」
「俺人間なんで! 余りにも違いすぎるヒト(?)との異種間交流とか難易度高すぎるので!! つーかお前も見た目ほとんど人間だろッ!!」
「お前にそう見えているだけだ。我は物質的な肉体を持たぬ。」
なんだって?
それはまさかコイツも、面の皮1枚剥けばグロゲロクリーチャーになるのか……!?
「ヒイィィッ!! 嫌だァッ! こっち来るなァァッ!」
死んでいるにも関わらずヤバい感じに心臓が跳ね上がり、謎材質の床に這いつくばってズザザザザッと自称神から遠ざかる。
「むむむ、その反応……我ちょっと傷付く。」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいもう触手も粘液も多すぎる手足も勘弁してくださいゆるして」
「何度も死にすぎて魂に負荷がかかっておるのか。所詮は人間、耐久力も残念じゃのう。」
「もういやだいやいやおうちかえるかえるかえかえあかえりたいひひひひひひははかえかえかえりゅりあいえいえうちどこどこいやだどこどこかえるる」
「む? 帰りたいのか。そうじゃな。我もそれなりに楽しめたでの。褒美に蘇生してやるかの。」
「か、かえ? かえらりゅろ??」
「うむ。帰れるぞ。転生で人間のいる世界を引くのは難しいが、元の世界で蘇生するだけなら簡単じゃからね。お望みの異世界転生では無いから残念じゃろうけど。」
全身の臓器がこぞって逆回転しながら不協和音を掻き鳴らすような拒絶反応がスッと治まる。自称神が、初めて神に見えた。
「か、神ィ!!!」
恥も外聞もなく這いつくばって唾を吐き散らしながら叫んだ。滂沱の涙を流しながら神様を仰ぎ見る。救済の時だ。後光を背負った神様はドヤ顔で金属杭をブオンと振り回し、俺の頭上でピタリと止めた。
「そうじゃよ。我、神。」
その言葉を最後に視界が暗転し、俺は神様空間から消失した。
***
見慣れた自室で俺は目を覚ました。
まるで熱い湯船の底に沈んでいるかのような、暑く息苦しい感覚。暫く何も考えられずにベッドの上で朦朧としていると、唐突に部屋のドアが開け放たれた。
「兄ちゃん大変! カメゴンが! って、部屋あっつ!!」
「ふぉあぁっ!?」
部屋に入って来たのはまだ小学生の弟だった。
俺のお下がりのTシャツに短パン。背丈は一般的男子高校生であるところの俺の胸元に頭が来るくらい。普通に黒眼黒髪で光る輪も無いし翼も無い。あからさまに人間で、どうしてそんな事を咄嗟に考えたのか謎だった。
「兄ちゃんの部屋あっちぃ〜! サウナじゃん!」
「わかる。兄ちゃん今熱中症で死ぬところだったわ。」
「やべーじゃんそれ! クーラー付けなよ。」
いや、エアコンはずっとつけっぱなしだったはずと首を傾げながらベッドサイドのリモコンを手に取る。しかしボタンを押してもエアコンはうんともすんとも言わなかった。
「壊れてる……。」
暗澹たる気持ちでベッドから立ち上がる。クラリと立ち眩んで学習机に手をついた。まずは親に頼んで修理なり買い替えなりをしてもらわなければならない。
高校生になってようやく一人部屋を貰えたのに、また母さんと弟と川の字になって寝る生活に逆戻りだ。ちなみに父さんはタバコ臭いからという理由で最初から一人部屋に隔離されている。
薄暗い廊下へ出る。随分俺の部屋は室温が上がっていたらしく、それだけで涼しさを感じて意識がクリアになる。居間に入ると、キチンと仕事をしているクーラーに加えて首を振る扇風機の風が火照った体をさらに冷やして心地良い。
とにかく水分補給と、冷蔵庫の麦茶をグラスに注いで一気に煽る。人心地ついたところでそういえばと弟に声をかけた。
「そういえば、カメゴンがどうしたって?」
「あっ! そうだった! 見てよ兄ちゃん!」
弟がカメゴンの水槽を興奮気味に指差して、その後ろから俺も中を覗き込む。にゅっと首を伸ばしたカメゴンと、見慣れぬ白くて丸い物体がふたつ。
「か、カメゴン……!? お前メスだったんか……!?」
カメゴンはなんと卵を産んでいた。
スマホで写真を撮って友達に見せびらかした後、性別判明祝いに好物のカニカマをあげた。
喜んでくれるのは嬉しいんだが、勢いよく食い付いてくるカメゴンに今日も俺は指を噛まれた。
解せぬ。