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遥か雲上の大怪魚  作者: 風雷
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第二章「特別監察官」(3)

 竜車に乗るリヨンの傍らにはパエの姿がある。リヨンはこの小ムゥに同行を許すつもりはなかったのだが、パエに主がいないことを知ったローイが、リヨンに忠告したのだ。


「主を持たないムゥは、誰かに拾われなければ処分されます」


 こう言われては、リヨンもタルタに行きたいと言うパエの我儘わがままを聞いてやる他ない。

 旅上、夜中に行う定時連絡のたびに、リヨンはこの星の通信状況の悪さに辟易した。


『いや全く、この星の文明が長らく発見されなかったわけだ。原住民とは上手くやれてるかい?』


 さすがのウェイフもこの不便さには呆れたようだ。


『さてね。ここの人達は、どうにも心が雲の上にある(・・・・・・・・)

『またそれか。君以外にも理解可能な言葉にしてくれると助かるね』

『仕方がないだろう。他に表現しようが無い』

『やれやれ、レポートには書かないでくれよ。ところでリヨン、君はサリア博士についてどの程度知っている?』

『何だ、唐突に? 外宇宙開拓時代のきっかけとなった、ワームホールの発見者だ。それくらいだよ』


 リヨンは竜車から荷を下ろして野営の準備をしながら、旅疲れからか大きな欠伸をした。


『私もその程度に思っていたよ。でも思い出してくれ。レイス長官は(Them)について面白いことを言っていなかったかい?』


 そうは言われても、特に思い当たるふしもない。


『もったいぶるなよ』

『はは、悪いね。彼は確かにこう言ったんだ。「サリア博士も、宇宙航空学の分野では悔しい思いをしたかもしれませんが、この星に移住した後は豊かな余生を過ごしたに違いありません」ってね』

『それがどうかしたのか?』

『どうもするさ。「悔しい思い」って何だろうね?』

『高名な学者でも挫折くらいはするだろう。開拓前史のガリレイみたいにね』

『それがだ。どうにもサリア博士にとっての挫折とは、ワームホールの発見そのものだったようなんだ。ガリレイとは違う』


 ウェイフが何を言いたいのか、要領を得ない。


『私も初めて知ったのだが、ペースト航空学というものが存在していたらしい。サリア博士はそれの提唱者だった』

『ペースト航空学?』

『そう、正しくはカット&ペースト航空学。サリア博士は外宇宙開拓時代に現れた天才の一人だ。彼の出現によって開拓時代が始まったという見方は実に正しい。例えば先日僕たちがワームホールを通ってこの宙域にワープアウトしたのだって、彼の功績あってのことなんだからね。しかしサリア博士が提唱したペースト理論というのは、ワームホールを通らずに、ある座標を指定し、その先に転送元の量子情報を送り、転送元を分解、同期して転送先に再構築するというものだったらしい』

『初耳だな』


 リヨンの驚きも当然で、現代のワープ理論とは全く異なっている。


『廃れた理論だからね。今では研究者でもなければ誰も知らないだろうし、そもそもこれを研究しようとする人間すらほとんどいないだろう』

『それで、ワームホールを不要とするワープ航法を探していたサリア博士がどうしてワームホールの発見者となったんだ?』

『詳しい説明は省くけど、ペースト理論では転送元の分解と転送先の再構築における同期に理論矛盾があって、その矛盾を解消しようとしたところ、偶然にもワームホールを観測してしまったということらしい。皮肉にもこれはワープ理論の飛躍的な発展に貢献する結果となった。宇宙航空学の歴史上、ペースト理論はワープ理論に吸収されたと見なされているようだ。こうなると僕たち素人が知らなくて当然かもしれないね』

「へぇ……」


 思わず、相槌を打った。サリア博士は今の宇宙航空学において最大の功績を遺した一人だが、彼女自身の研究が別の方に向けられていたというのは興味深い。


『それに彼についてもう一つ面白いことが――ザザ……彼……元は……ザ……』

「お、おい……またか?」


 リヨンは何度もウェイフとの通信を試みたが、全て失敗に終わった。

 パエは座りこんだままぶつぶつと呟くリヨンを不思議そうに見つめていた。




 不思議といえば、パエもまたそうである。この小ムゥは、明らかに王都の住民ではなかった。では、何処から来たのか。


「北だよー。すっごい北!」

(はぁ、また〈北〉かぁ)


 地名を問うても「むぅ、わかんない」というだけで要領を得ない。こんな状態でひとりで出歩くこと自体、生死に関わると思われるのだが、どうやらそうでもないようだ。


「むぅ、みんなに助けてもらったの。みんな親切だったよ」


 〈みんな〉とは誰かと訊いても、「みんなはみんなだよ!」と禅問答の様相を呈してくる。リヨンが辛うじて引き出せた情報は、どうやらパエが家出をしてきたらしいとのことである。


「リンがね、最近嫌な感じなの。だからね。出てきちゃった」


 このリンというのがパエの主なのだろうと思ったリヨンは、できればパエをその人の元に帰してやりたいと思ったが、そんな時間があるはずもない。


「パエ、家まで自分で帰れるか?」

「むっ! 子ども扱いしないで!」


 ここまで答えに信憑性のない会話も珍しい。リヨンは頭を抱えたくなった。


「家がわかる手がかりはないか?」

「むぅ……。あっ、バハリア」

「バハリア? そこにパエの家があるのか?」

「むっ! むっ!」

(バハリアのリンね。覚えておくか)


 手がかりを得られたは良いが、最悪、この小ムゥのことはローイに任せる他ないと思った。特別監察官の立場を利用して言い含めれば、王宮でも無下な扱いはされないだろうと。それをするくらいなら最初からモース王に預ければよかったと後悔した。




 竜車を飛ばしてちょうど七日でタルタ州の州都へと到着した。王から借りた竜は実に屈強で、前にリヨンが乗りつぶしたものとは比較にならなかった。


「田舎だなぁ」


 リヨンの間の抜けた感想をタルタの人々が聞けば眉をひそめるだろう。千花都ほどではないが、タルタ州都は王国北方経済の中心地である。ともあれ肥沃な土地とは言い難く、緑も少ないためか都全体の空気が埃っぽい。

 今日は雲が薄く気温が高いせいか、北にそびえる山脈がよく見える。


「わはぁ! 見て見てリヨン、おっきな山ぁー!」


 パエのはしゃぎ様は旅中もこのような具合でリヨンを辟易させた。ともあれリヨンも相槌を返す程度の愛想はある。


「確かに、大きな山だ」


 標高約五万四千メートルの超高山である。大陸どころか惑星バハムート3における最高峰で、現地ではマーウェル山と呼ばれている。


「出迎えが来たようですよ」


 市壁を潜ったところで、ローイが道向こうから駆けてくる竜を指差した。

 馬上――竜上と言うべきか――から明らかにわかる偉丈夫である。


「リヨン殿で間違いないか?」


 体格によらず高い声である。冑を脱いで出てきた顔は小さい。


「間違いない」

「私はハイシィ。長旅ご苦労である。総督が宿を用意しているので、そちらに案内しよう」

「お気遣い結構、早速今日から調査を行いたいのだが?」

「はは、学者様は研究熱心でいらっしゃる。だが無理な相談だ。三時に総督がお会いになられるので、それまで宿で待つといい」


 ハイシィにはリヨンが急ぐ理由がわからないのだから、当然の反応だろう。


(やれやれ、この星の人間たちはどうにも心が雲の上にある)


 リヨンの顔色が僅かに陰ったことに気づいたハイシィは気遣いの出来る性質なのか、案内の途中ですぐに調査に向かえない理由を説明した。


「神域は確かにマーウェル山にあるが、あそこは王国の威光が届かない地域だ。一人で行けば蛮族に襲われる」


 ハイシィの言う通りで、タルタ以北は王国に帰順しない勢力がひしめいている。リヨンの理解が正しければ、これはモース王ハイラルの北伐に対して頑強に抵抗した部族と同一だろう。

 リヨン達は、恐らく都内で最も高級な旅館に案内された。タルタ総督の厚意に違いない。


(タルタ総督といえば――)


 どうしても横死したムゥのティイを思い出してしまう。そんな心中を見透かしたのか、荷をほどいているリヨンの傍らで、ローイが囁いた。


「総督令嬢ともお会いになられるかと思いますが、例の件には一切触れぬことです。これは忠告ではありません」


 忠告でなければ何だというのか。


(モース王か……)


 学者という肩書であるとはいえ、リヨンはモース王の庇護下で神域の調査を行うことになっている。そういう人間がタルタ総督の不正をちらつかせる事件に首を突っ込むとなると、モース王がタルタ総督を疑っているという意思表示になる。こうなってしまえばリヨンは調査どころの話ではなくなる。


「わかってますよ」


 ローイの唇が微かに曲がった。リヨンの物わかりの良さに満足したとでもいうようである。

 旅中、幾度か宿に泊まったリヨンであるから、タルタ総督が提供した宿の質を見極める程度の知識はある。彼の経験から見たところ、王の口利きはそれなりに有効であったとひとまず満足する程度の質である。

 迎えた宿の主人はしゃべり過ぎず、寡黙に過ぎず、程度をわきまえた男に見えた。とはいえ、彼は案内をしただけで、その他は彼の飼うムゥの仕事であったのだが。


「あっ、そこに踏み込んではなりません!」


 一体何がそんなに楽しいのか、はしゃぎ回るパエに、床を拭いていたムゥが忠告した。パエには良く聞こえないようだったが、何故かムゥの声色に焦りがあった。彼女の視線を追ったリヨンの視界に、地面に向かった不自然に曲がった樹木が入った。


「パエ! 止まれ! おい、止まれ!」

「むっ―――むぁああ!?」


 言うや否や、瞬く間に小ムゥの天地が逆転した。憐れ、パエは何をされたのか分からぬ間に樹上のムゥとなった。足にロープが巻きつき、逆さ釣りである。


――ああ、お客人になんてことを!


 リヨンが間抜けにもこの罠にかかったとすれば、宿屋の主人は気の毒なほどに狼狽したであろうが、彼はまずリヨンに顔を向け、「稀にではありますが、泥棒が入りますので罠をかけてあります。お怪我はありませんか?」と訊いたのである。


「いや、小石が飛んだだけだ。それよりあの子を下ろしてやってくれ。怪我してないといいが――」

「かしこまりました」


 パエはというと、驚いたとはいえ面白かったらしく、きゃっきゃっと笑っている。ついには「もう一回! もう一回やらせて!」とせがむ始末である。


「元気なところは良いムゥですね」


 ローイがそう言うと、「総督邸で同じようなことが起こらないようにきちんとしつけておくように」と聞こえてくる。


「やれやれ、どうにもここの人達は心が――」

「心?」


 思わず口をつぐんだ。ローイに言ってもわからぬであろう。


(心が雲の上にある)


 ウェイフにも言われたが、よくわからぬ感想である。だが、リヨンとしては他に適当な言葉がみつからないのだ。

 なんとか樹上から下ろされたパエは相変わらずはしゃいでいる。怪我をするから辺りをよく見るようにというリヨンの忠告が耳に入ったかどうか。


「さて、荷を置いたら私は少し街を見てきます」

「もうすぐ正午です。日に焼かれる前に帰ってきて下さい」


 何事にも条件を付けたがるローイに、リヨンはしつこいとでも言わんばかりに「わかった、わかった」と手振りしつつ宿を出た。




第二章「特別監察官」了

第三章「澄むべき美しさ」へ続く


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