第一章「火急の用」(5)
王宮に戻ったリヨンは、すぐさまモース王との謁見にこぎつけた。
形式としては会食である。モース王の後ろには二十人の隷僕が控えている。
「遠路遥々、御苦労」
芯の強い、張りのある声だ。王とはいっても頭上に王冠は無い。モース王国の権威はそれを必要としていないらしい。あるいは権威の主は市民であり、市民から推戴された証として、彼は常に紫のガーブを羽織っているのかもしれない。
モース王ハイラルは今年で在位十七年になる。齢四十七にして、四方の夷荻を討伐し、海内を制覇した武威の王である。髪は艶のある黒さが目立ち、白髪が全く見えないわけではないが、若々しい精気に満ち溢れている。
肉を好むらしく、卓上はひたすら脂ぎっており、強い濁り酒の臭いもあってか、リヨンはむせ返りそうになった。
「特別監察官のリヨンと申します。今回は定例での伺候ではなく、別件で参りました」
単刀直入に話を切り出す。
「ほう、別件となぁ。それは残念だ」
「残念――ですか?」
リヨンの予想に無い返答である。
「君達はいつでも我々を豊かにしてくれた。今回はそれが無いというから、残念なのだ」
モース王は大きな肉の塊をつまみとり、頬張った。咀嚼の際に唇から飛び出した肉汁を、近くの隷僕が拭き取る。
(ムゥがいないな)
大きな食卓の周りに立つのは人間のみで、ムゥ種は影すら見えない。モース王国の労働力の大半を占めると言ってもいいムゥの姿が、王の周りだけ忽然と消えているのは不思議である。
王だからそうなのか。いや、宮殿内部にもムゥの姿は確かにあった。モース王ハイラルだから、そうなのである。この王の男色はあまりに有名で、リヨンが旅路で得た彼に関する噂のほとんどがそうであった。そういう目でもってあたりを見渡せば、なるほど引き締まった体格をした美男ばかりが集められており、彼らは例外なくモース王の情夫だろう。その証拠とでも言わんばかりに――モース王は会食の途中に今夜の伽を物色するという行為に出た。
「ときにリヨン殿。君は綺麗な顔をしているな」
「ムゥに比べるべくもありませんよ」
やんわりと断ったつもりである。モース王は鈍重な性質ではないらしく、二度とリヨンを色目で見るようなことはしなかった。
(幸せそうな王様だなぁ)
リヨンが溜め息混じりにそう思ったのは、モース王の業績の輝かしさを知っていたからだ。
この王は践祚するや否や、古びた国内の法整備を大々的に執り行い――そもそもこれは国内人口の爆発的増加のために必須の事業だったが――一応の成功を見た。また、四方の脅威を排除するために南、西、東、北の順に大規模な遠征を実行し、モース王国の版図を拡大した。
特にタルタ州以北の民族は強力に抵抗し、モース王は直々に出陣しなかったものの、王軍は苦戦を余儀なくされ、時に辛勝し、時に大敗した。ここで彼は苦し紛れの自制心を見せた。
――今や、不毛の地を得たところで、喜ぶ者は誰ひとりいない。海内を得ても、海外を得ねば気が済まなくなる。鵬の翼も無限に広がるわけではない。
そう言って、彼は北伐を中止したのだった。とはいえ、北伐の総司令官が責任を取らされて斬首されたのは、国という一つの生き物が身を翻すことが如何に難事であったかを端的に示している。
完璧な為政者などいない。これは子供でもわかることだ。そういう目でリヨンがモース王ハイラルを観た時、今の彼が幸福の絶頂にあるように映ったのだ。峻烈な王らしく、彼の手にかかって処罰された者は数知れないが、諫言を呈して誅殺された者がいたという話は聞かない。名君であろう。
「我々が陛下を豊かにしたというのは、どういうことでしょうか?」
この王には聴く耳がある――というのは、リヨンの得た一つの安心だった。
「ふふ、とぼけなくともよい。リヨン殿もムゥを愛しておられる。他の者達もそうであった」
そう言って、モース王はリヨンの隣に座って晩餐の肉を頬張るパエに視線を移した。
「他の者達――とは?」
「前任者、その前も、その前もそうであったなぁ」
モース王が髭の無い顎を撫でるのを見ながら、リヨンはにわかに不愉快になった。
(どうやら、聞いていた話と違うようだ)
王に失望したわけではない。失望するといえば、前任者とやらにである。
リヨンは懐から鉄の塊を取り出した。パエが露店からくすねたものと酷似している。
「前任者が知っていたかどうかはわかりませんが、巷でこのようなものが売っておりました」
「知っておる。魔法の筒だとか。寡人もいくつかを部屋に飾っている。どういうわけか、手になじんでな」
「本来の任務であれば、これらの全ての回収をお願いするところです」
モース王の気配がわずかに冷えた。眉を顰め、興醒めしたような表情である。
「ただの飾りだ。何の害もない」
「この国の人々にとってはそうでしょう。ですが、あってはならないものです」
「では、何に使うものなのだ?」
「前任者はそこまで言いませんでしたか?」
リヨンのこの言い方は、モース王が前任者を懐柔して情報を得ているという確信から来ている。だが、考え直してみれば、そのはずも無い。
今、リヨンが卓上に置いているのは、飾りでも鉄塊でもない。武器である。しかも、モース王国の外から来たものだ。その用途を知っているとすれば、モース王は市民にこれを持つことを許さないだろう。
そこまで考えた時の、リヨンの判断は早かった。
「御人払いを――」
モース王がそれに応じ、隷僕が全て退室した後、リヨンは何やら物を投げつけるように話し始めた。あるいはそれは、嚇となった人が思わず拳を振り上げるのにも似ていた。
「これは銃といいまして、鉄塊や光線を打ち出して、敵を射殺したり、焼き殺したりするものです。本来は我々の持ち物でしたが、どうやらムゥ遊びにかまけて、盗み取られた者がいたようです。街に出回っているのはほとんどが模造でしたが、ひとつだけ本物が紛れているのを回収しました。他に本物が流通していないという保証は私にはできません」
モース王の眉が上がる。
「民草がこれを持っても、用途を知らなければ何の問題もないでしょう。ですが、もしも誰もがそれを知ることとなれば、誰が陛下の御身を護るのでしょうか? 一里先から相手の頭を正確に撃ち抜くような凶悪な武器を、陛下は部屋に飾っておられるばかりか、誰もが手に出来るように、市場に出回るように仕向けています。人の探究心に限りはありません。放置すれば誰かが必ず用途を解明して、これを武器として用いるでしょう。それまでどれだけの猶予があると思いますか?」
一瞬、その場の音が全て止んだ。王は瞠目したまま、硬直している。
「よかろう。そうしよう」
モース王の判断は早い。だが、リヨンは己の判断を早くも後悔しつつあった。知らずに未知の武器が拡散するのと、その謎を知った者がひとつ所に集めるのと、どちらがモース王国にとって不利益なのかを考えると、簡単に決断は下せないはずである。
(余計なことをしたか?)
リヨンは己の浅薄さを呪いたくなった。銃について教えずにモース王に回収させる方法があったはずである。
「――して、別件とは何ぞや?」
モース王は人知れぬリヨンの苦悩などに配慮しない。リヨンとしても、すぐに思考を切り換えねばならない。
「はい、人探しをしております」
「人探し?」
「サリアという女です。人探しと申しましても、正確には彼女が生きた痕跡を探しております」
「それは君たちのお仲間なのかな?」
「あるいはそういうことになります。一つはこの国の記録を見せて頂きたく、もう一つは、神域と呼ばれる地を探索させて欲しいのです」
「ふむ。では、書庫を自由に出入り出来るようにはからおう。神域については寡人の手に余る」
「――と、仰いますと?」
「言葉の通りだ。モースにはいくつも神域が存在するが、それらの全てが我々の支配下にあるわけではない。古き神々の遺跡は鉄が採れるから重宝するのだがね」
リヨンはモース王の勘違いに気づいたが、それを指摘しても得することは何も無い。
「構いません。全ての探索許可を得られれば良いのです」
「では、許す。今夜は泊まって行くがよい」
こうして会食は終わったが、退室時に室外で控えていたパエがリヨンに走り寄るのを、モース王が珍しそうに見つめていた。
「如何なさいました?」
「ふむ。寡人はムゥというものがどうにも好きになれぬのだが、その者のように美しいムゥがいたとは知らなんだ。のう、お前。名は何と申す?」
パエは恐れを知らないのか、全く物怖じしない様子で答えた。
「むっ、むっ、パエだよ」
「のう、リヨン殿」
「このムゥは私の助手です。残念ながら――」
モース王の懇願に思わずそう返してしまったが、パエの身になってみれば、この返答は要らぬ御世話だったのかもしれない。
「むぅ~~! ねぇ、リヨン。ティイの話はしたの? パエ、もう、おねむだよぉ」
「ティイ? はて、名からするとムゥのようだが――」
首を傾げるモース王を他所に、リヨンはパエを睨んだ。
「街でタルタ総督を弾劾したムゥです。先日、警吏に撲殺されたとか――」
「そのような話があったのか」
おや――と、リヨンはちらりとモース王の表情を観察してみた。どうやら本当に知らぬようである。ティイが殺されたのは王の怒りを買ったからだと思っていたが、そうでもないようだ。
「ふむ、なるほど。リヨン殿、明日また同じ時間に――」
そう言い残すと、モース王は慌ただしく退室した。美しい隷僕たちがそれに続き、その場には首を傾げたままのリヨンとパエだけが残された。
第一章「火急の用」 了
第二章「特別監察官」へ続く