終章"The Transformation of Things."(3)
『パエは寝てしまったよ』
「そうか。完治までは?」
『後二日といったところだ。どうにも狭いカプセルは退屈で気に食わないらしい。彼にナノマシンの概念を説明するのは、実に骨が折れたよ』
「それは君の仕事だ。僕は知らない」
タイニィ・フィート号は今、バハムート星系から遥か離れ、第三太陽系と呼ばれる星系へと向かっている。そこにはこの銀河を統括する連邦政府がある。
リヨンは窓の外に浮かぶ名前もろくに覚えていない星々を眺めながら、ボトルジュースのストローを吸った。
『その体、窮屈そうだね』
今のリヨンの姿を、彼を知る者が見たならきっと大笑いするだろう。身長は以前より二十センチほど縮み、顔つきもあどけない少年のようで、服もぶかぶかである。いや「のよう」ではない。
「ぎこちない。早いところ僕の体を修理に出さないと、ボディ・イメージが歪んでしまいそうだよ」
『幻肢でも起こるのかい? さっきもボトルを取ろうとしてこぼしそうになっていたけど――』
「君だって一度キッズサイズのレーシングカートに中枢を移してみればいいさ」
リヨンの体は、先のマーウェル山頂で深刻なダメージを負った。骨格内部の中枢は無傷だったが、他の全てが焼け焦げたと言ってもいい。今の体は、普段はタイニィ・フィート号に中枢を接続しているウェイフがボディ・イメージ維持のために保管してあったもので、リヨンは泣く泣くこれに中枢を移し変えた。中枢の移植はボディ・イメージの問題もあり、頻度や元の肉体とのギャップなどが常に勘案されるから、リヨンの不平は不安と言ったほうが正しいだろう。
「ところで、小足はもう少し小回りが利かないかな? ワープアウト地点がかなりずれたぞ」
そのせいで、現在のリヨンは星間観光と洒落込んでいるわけだ。
『ニューロン・ジャンプを再現するのは無理だよ。今度は無事にワープアウトできる保証はない』
「ニューロン・ジャンプ? あの、連続ワープだか短距離ワープだかの? もしかして、ブロッサム姉妹が大気圏内でワープインしたのもそれ?」
大気圏内でのワープインは非常に危険とされていて、厳しく禁じられている。
ワープ航行の欠点として、宇宙船の進行ベクトルまで保存しないという問題がある。
例えばAという物体が北にあるB地点にワープアウトした際、B地点においてどの方角を向いているかというのは計算不可能だった。それと関連して、超空洞と呼ばれる宙域へのワープは座標を失うリスクの高さから、不可能事(可能だが遭難必至)であった。だが、Aの北方以外の複数方向に極小のワームホールを開通させ、その後に北方に向かって本命のワームホールを開通しワープインすると、B地点にジャンプした際に北方への進行ベクトルが保たれる。ワームホールに不応期が存在することは超光速通信が開発された時代には既に知られていたが、これをワープ航行に応用することで、連続ジャンプへの可能性が模索された。このベクトル保持のワープ航行が、ニューロン・ジャンプである。そしてブロッサム姉妹の母船やタイニィ・フィート号が超空洞から帰還できた事実は、元来のワープ航行は超空洞へ跳躍できなかったが、ニューロン・ジャンプであれば座標を失わずに航行可能である証明でもあった。
『そう、それだ。いや、そういう理論を提唱している人がいるとは聞いたがね。まさか実用化されているとは私も思わなかった。技研にデータを持っていったら泣いて喜ぶんじゃないかな?』
ウェイフはそれ以上話さなかったが、彼はリヨン達がブロッサム姉妹に拉致された時に起こった極小の時空波を解析した。ワープ航行は時空波を測定することによってある程度の方向、距離を予測できる。追跡は非常に困難になるが、ニューロン・ジャンプは短距離ワープであるが故に、それに気づいたウェイフが手動で再現し、リヨンたちの救援に駆けつけたということである。リヨンと同じように、ウェイフもまた己が命をかけたと言える。大金星であろう。
「帰ったらエドワードに自慢してやれよ」
『仕事のことで家族に褒めてもらってもこそばゆくなるだけさ』
ふっ――と軽い笑みをもらしながら、リヨンは視界の隅に展開して放送を垂れ流しにしているウィンドウに目をやった。今はどこのニュースもひとつの話題で持ちきりである。
――バイオノイドの人権、認められる。
――彼らは今日から人間だ。
などといった、言葉づかいを間違えたような見出しにリヨンは噴き出しそうになる。
結果的に、かつてミノタウロス・バイオノイド社によってバイオノイドとして売られていたムゥ達は、自分達が人間由来の種であることを証明したのである。ただし、国務院はその証拠そのものについては「差別を助長する」として当面は公開せず、これはこれで物議を醸し出している。また、判決が出ると同時に、複数のバイオノイド企業に連邦警察の手が入った。これによって多くのムゥ達が人身売買の憂き目に遭わずに済んだと言えるが、実際はムゥを保管していたバイオノイド企業が彼女らを陰で処分することを連邦が抑えたといえる。これには内通者がいたようだが、内部告発の原則として、告発者は明らかにされていない。
『ここは彼らにおめでとうを言うべきなのだろうね』
「パエに言ってやればいい。喜ぶかもしれないぞ」
『さてね。それより可哀想なのはレイス長官だ』
「レイスが?」
ウェイフが監視ステーションを精査した時、船内の生命反応は全て第二世代のリトル・ミノタウロスであった。最終的に彼が人身売買に関わったとされる証拠は発見されなかった。
『観測者に徹すると、自分を神と錯覚するようになるらしいけども、彼は模範的な神様だったね。彼の残したあらゆる痕跡が、この星に対する愛情に満ちていたよ』
「えらい誉めようだな」
『おいおい、最初にレイス長官を疑ったのは私で、その時君は彼を擁護したじゃないか』
「そりゃあ、その時の話さ」
『まあいい。とにかく彼は、今すぐにでも職を辞してモース王国の住人になりたいのさ。空気の無い冷たい隔たりが、辛うじてその衝動をせき止めているのだろうね』
「今回の件で罷免される可能性は?」
『証拠がゼロじゃあ、多分無いだろう。彼の他に誰がこんな仕事をやりたがる? 誰も冷たい宇宙で独りぼっちなんて嫌だろうさ。この世の誰よりもムゥを愛していながら、市民権を得て他の星で暮らすようになる彼らに触れる事すらかなわない。ムゥによく似たバイオノイドを侍らせて、神様気分で今後何年も過ごすんだ』
「神様なもんか。人間を性奴隷にして、畜生のように酷使する生活なんて、いったい誰に許される?」
『なるほど、確かに君の言う通りだ。勿論、私も〈人類宣言〉を忘れたわけではないよ。だがレイス長官のために弁護すると、彼は前に誰かさんが言ったように、ただのロマンチストだよ』
リヨンは嘆息した。レイスの生き方はまことに遥かである。
「ところで――おっと!」
リヨンは危うく落としそうになったボトルを空中でキャッチする。
「ところで、ブロッサム姉妹の狙いは何だったんだろうな?」
『ああ、それか――』
連邦本部にバハムート3のデータを提出して任務を完了した今、そのデータは二人の手にはない。リヨンもウェイフも記憶している限りで話す他無い。
『もしかして、我々と同じだったんじゃないかな?』
「それはない。アレリンに武器を密輸していたのはあいつらだぞ? それにムゥも売りさばいていた。裁判が起こった時点で潮時だと判断して、最後のひと稼ぎに何食わぬ顔でムゥの弁護団に雇われた――とか言ったら笑うぜ」
『ムゥはペースト理論の実験で偶然起こった混合事故で生まれた。人と牝牛が混ざるなんて妄想じみた話、蠅男の伝説くらいだと思っていたがね。恐らく今回の裁判で決め手となったのは、私達が提出した記録の中に彼らの祖となるオリジナルの遺伝情報があったからだろう。まさかそれがサリア博士自身だったとは驚きだがね』
「それだ。ワープ理論に完敗したサリア博士は、何故この星でも同じ研究を続けていたんだ? もし――もしだぜ? その『事故』とやらでとんでもない発見をしていて、ブロッサム姉妹がそれを手にしようとしていたなら?」
リヨンは自分の推理を披露して見せたが、ウェイフの反応は思いのほか冷たかった。
『あー、それがだね……』
「お、おい。どうした?」
『あるにはあったよ。彼の宇宙航空学研究の結晶らしきものがね。でもね。何度読み返しても、ただのワープ理論でしかなかったんだ。しかも我々が教科書で習うレベルのね。一々がサリア博士が独自に開拓したもので、確かに当時のワープ理論より少し先を行っていた。でもそれは飽くまでワープ理論の付け足しに過ぎなかったんだ。こりゃあサリア博士も封印したくなるさ。ましてやワープ理論は彼の仇敵みたいなものだったのだからね。もし君の言うとおりに、ブロッサム姉妹がそれを奪おうとしたのなら、今頃は癇癪を起こして岩でもを噛み砕いているだろうね』
「あっ……そう……」
なにやら肩透かしを食らったリヨンは、もはや中身のつき掛けたボトルジュースをずーずーと吸いつつ目を細めた。




