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遥か雲上の大怪魚  作者: 風雷
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終章"The Transformation of Things."(2)

 遠くで誰かが話している。


「あんな遺跡、観光でも行きたくないわよ。前に入った時はどの機器もまともに動かなかったのに――」

『接触の際には細心の注意を払いなさい、チェリー。その子、恐らくまだ生きているよ』

「わかってるわよ、シェリー。どうやって抜き出したかわからないけど、データだけ頂いたらこんなスクラップに用はないわ。ようやくこの蛮族だらけのド田舎とおさらばよ」


 全身が重い。リヨンは圧し掛かってくる眠気に逆らうように、わずかに指先に力を込める。


「うおっ! 動いた?」


 プツン――と、リヨンの耳元でわずかな震動と、何かが切れる音がした。巻きとられるコードが女の手元に戻るのを視界の片隅で捉えた。


『だからまだ生きていると言ったんだよ。少し離れなさい、チェリー』


 視界が急激に戻ると同時に、リヨンは片隅にある時計アイコンを確認した。最後にウェイフと通信してからまだ五分しか経っていない。


(ハンタン・ドリームが勝手に起動していたのか?)


 目を覚ましたのは恐らく意識加速が二十倍を超えてしまい、リミッターに引っかかったからだろう。リヨンは自分のバイタル状況を確認したが、どうやら負傷が大きすぎて強制睡眠モードに入っていたらしい。その際、何かのはずみでハンタン・ドリームが起動したに違いない。

 眼前で自分を見下ろす女に、リヨンは見覚えがあった。犯罪者集団ブロッサム姉妹――その片割れたるチェリー・ブロッサムである。その名を示す様な色の長髪を掻きあげながら、女はリヨンにとってまことに物騒なことを言ってのけた。


「さすがはサイボーグね。ねぇ、シェリー。こいつバラして私達でもらっちゃおうかしら?」

『サイボーグは骨格だけのようだよ。他はほとんど生体部品を使ってるから、バイオノイドと大して変わらないね。まあ、そうでなければそんなホラー映画の化け物みたいな格好にはならなかっただろうけど』

(ここは――部屋? いや、格納庫か?)


 あたりを見回す。五分であの場所から移動できる範囲内で、リヨンはこのような場所を知らない。まだ、マーウェルの神域にいるのだろうか。


(違う。これは船だ)


 わずかな揺れを感じる。何より重力が一Gを切っているのが、リヨンにそれを確信させた。

 おぼろげに、記憶を失う直前の光景を思い出す。意識が途切れるほんの数秒前、リヨンは確かに船らしきものがワープアウトするのをこの目で見ていた。

 映像記録を再生すると、悪趣味にすら見える真紅の機体が、確かにリヨンの視界を覆うように近づいて来ていた。同時に、どうやら自分の機能不全が外装に留まっているらしいことを知って密かに安心した。


『そいつを破壊しなさい、チェリー。君が思っているより厄介な男だよ』

「あら、シェリー。あなた、この子の体が似合ってよ? 今はこんなだけど、こうなる前は中々の美青年だったんだから」


 先程からスピーカー越しに聞こえてくる声の主を、リヨンは知っている。これまでの任務で何度かブロッサム姉妹の痕跡をつかんだことがある。彼女らが愛用する船の名が――


「シェリー……ブロッサム」


 ノイズ混じりだが、なんとか正常に聞き取れる範囲の声でリヨンが呟く。


「あら驚いた。まだ喋れるの? どんなアホなチューンかましたらそこまで頑丈になれるのかしら? 連邦はお金をドブに捨てるのが好きだけれど、今の貴方を見てると心底そう思うわ」

「どうやって、ここに来た? パエはどうした?」


 リヨンの問いにも、チェリーは意地悪な笑みを浮かべるだけで、答えようとしない。


「悪いけど、いくら待ってもここに助けは来ないわ」

「データがどうとか言っていたな? 君たちの狙いはそれか?」


 アレリンが起こした特大の〈雲上の大怪魚バハムート〉で、リヨンの肌を覆う生体部分はほとんど焼け焦げている。まるで宇宙開拓時代以前の古典的ロボット像のような外見のまま、骨を半分むき出しの顔で喋っている。

 首が上手く可動しない。溶解した皮膚が固まって関節を拘縮させている。痛覚遮断ペインキラーが機能していなければ今頃痛みで狂い死んでいたかもしれない。


「あらあら、寝耳を立てていたなんて、悪い子ね。でも、話が早いわ。命だけを持って帰るか、命ごと奪われるか、今この場で決めなさい。一分だけ待ってあげる」


 チェリー・ブロッサムは腰に差した銃を抜き、銃口をリヨンに向けた。リヨンも良く知る型の銃である。先ほどアレリンが手にしていたものと同じ、荷電粒子砲のハンドガンだ。

 リヨンの内部メモリーには、ウェイフに最後に転送した分のデータがまだ保存されている。これを渡せということだろう。


「言うことを聞くと思うか?」

「じゃあ、解体して取り出すだけよ。脳さえ無事ならこっちは何の問題もないわ」

「僕が消去したら?」

「しないわ。あなた、自分が何を抱いているかわかっていて?」


 言われて初めて、リヨンは自分が何かを抱くような姿勢のまま固まっていることに気づいた。

 微かに感覚が残る右手が、腕の中にあるものが何かを告げる。


「パエ――?」


 動かない首を精一杯ねじりながら、下を見る。真っ黒に焼けた肌が視界に入った時、リヨンは暗澹たる気分になった。


「ふふ、リヨン。その子、まだ生きているわ。今すぐ治療すれば助かるかも? でも、私はその子のことなんてどうでもいい。何を言いたいかわかるわね?」

「そんな舐めた脅しに屈するとでも?」


 リヨンは、チェリー・ブロッサムを信じない。この悪党はデータさえ手に入れれば、確実に自分たちを殺す。そもそもパエが生きているという保証はない。リヨンの感覚が鈍っているせいもあるが、脈拍や呼吸は確認できない。


「その子、雄のムゥよね? この星の支配者になれたかも知れないのに、貴方のせいで何もかも台無しにされちゃった可哀想な子――貴方の我儘のせいで死ぬ」

「支配者? アレリンを利用していた時から、君にそのつもりはハナから無かっただろう、ブロッサム?」

「さて、何のことかしら?」

「アレリンからムゥを受け取った対価に武器を流していたのは君だろう? そのアレリンに撃たれて正体がバレたんだから、連邦警察が親の仇のように付け狙うブラックリスト様も、とんだ間抜けだな」


 ブロッサム姉妹がアレリンと取引を行っていたことは、直接の証拠はないが、状況から見るに確実だろう。だが、彼女達は神域に眠る開拓者の母船について、恐らくは何も知らなかった。知ったのはリヨンがバハムート3に派遣される発端となった、物資輸送船がサリア博士からの通信を偶然キャッチした時だろう。リヨンの動きは筒抜けだったようだから、連邦が動くと踏んで最初からマークしていたに違いない。

 彼女達が何を手に入れようとしているのか、それはわからない。わからないが、彼女達はリヨンがそれを持っていると思っている。

 そしてチェリー・ブロッサムがリヨンを殺さずに暢気に交渉している理由はひとつしかない。サイボーグであるリヨンを完全に殺すには骨が折れる。外殻はほとんど崩壊しているが、骨格が生きている以上、死に物狂いで暴れられたら厄介である。


「いくら時間を稼いでも無駄なのよ。そしてもう時間よ。さあ、イエスか、ノーか?」


 彼女達が時間に余裕があるのは事実だろう。そうでなければリスクを冒してでもリヨンを殺してデータだけを奪ったはずである。

 リヨンは、肉の焦げた吐き気を催す臭いを嗅ぎながら、パエの体温を感じ取ろうと己の全てを集中させた。


――トクン……トクン……。


 生きている。微かだが、生きている。


「わかった。渡そう。パエは殺すな」


 リヨンは自分がもう助からないことを悟った。今はわざとらしい言い方をしてでも、チェリー・ブロッサムに釘を刺しておく以外何も出来ない。たとえそれが全くの徒労に終わろうともだ。

 リヨンの視界の片隅に、見慣れぬアイコンが出現する。それを注視するといくつか警告が出たが、全て無視してリヨンはマーウェル山頂の神域でエクスポートしたデータをそこに転送する。

 しばしの沈黙の後、チェリー・ブロッサムは先の約束などとうの昔に忘れたとでも言わんばかりに、再びリヨンに向かって銃口を向けた。


「ありがとう、坊や。お約束の品よ。受け取って頂戴――」


――信じれば騙され、疑えば殺されるでしょう。


 ふと、あの不思議な占い師ヘイのことを思い出した。彼女は無事にエアを連れ帰っただろうか。フェレーネの元に帰っただろうか。

 つい先ほど見たばかりの夢を思い出し、何故か目頭が熱くなった。自分はここで死ぬのだ。

 と、その時――


『チェリー、衝撃に備えて。時空波スパイクを感知した。恐らく三十メートル級の船がワープアウトして来る』


 チェリー・ブロッサムは予期しない警告に眉を上げた。


「何言ってるの? 超空洞ボイドにワープアウトしてくる船なんて――」


 言い終わらぬ間に、衝撃。船体が斜めに揺れてリヨンの体が一回転する。三度床に頭を打ちながら、リヨンは腕の中のか細い命を、千切れ駆けた糸で釣り上げるように懸命に庇った。


『いや遅れて悪いね、リヨン。少し手間取った』


 ウェイフからの通信を、リヨンはこれほど待ちわびたことはない。珍しく申し訳なさそうな声であるから、普段のリヨンならほくそ笑んでいてもおかしくはないのだが。


『すまん、神域のデータを取られた』

『君のことだから緊急措置だろう。今助けるが、多少手荒になっても許してくれよ』


 外が見えないリヨンには詳細な状況がわからない。だが、先の時空波と比べても遜色ない機体の動揺から推測するに、どうやらウェイフが猛攻を仕掛けているようだ。

 ウェイフの操る船――タイニィ・フィートは、姿勢制御ではわずかにシェリー・ブロッサムを上回っていた。追われて捻り返そうと旋回する相手に向かって、船頭に搭載された荷電(Charged)粒子(Particle)(Cannon)を射ち込む。一時代前までは、これで勝負は決まっていただろう。だが、最新鋭の宇宙戦においては、C・P・シールドが攻撃を避開パリングできなくなるまで、相手に攻撃を当て続けなければ勝負は決しない。


「シェリー! こっちには人質がいるのよ?」

『無理だよ。相手さん、こっちを裸にしてから交渉するつもりのようだね。今回は分が悪い』

「分が悪い? 役人の船でしょう?」

『いいえ。武装といい、旋回性能といい、あれは紛れもなく戦艦・・だよ。少し型が古いようだけど、技研のデータに似たような船があったのを思い出した。お下がりかな?』


 実に早急な判断を下したシェリー・ブロッサムだが、チェリー・ブロッサムもまた、状況の不利を感じていた。


「どうして役人がそんな船を!」

『彼ら、どうにも雇われのようだね。今調べてみたけれど、パイロットはウェイフって人みたい。星系空軍の元エースで、事故が原因で退職したってある。おや、パートナーは人気俳優のエドワードだ。チェリー、確かファンだったよね?』


 避開パリング時の振動が大きくなる。C・P・シールドの耐久が尽きつつある証拠だろう。


「くそッ!」

 衝撃によろめきながら、チェリー・ブロッサムが吐き捨てる。


『チェリー、離脱するから戻りなさい。連邦のクソ技研にこれ以上戦闘データをあげたくない』


 言われたチェリー・ブロッサムも潮時だと思っていたのか、シェリー・ブロッサムを茶化すことなくリフトの上に立った。


「さよならよ、坊や。貴方、この仕事向いてるわよ」


 攻撃されているにも関わらず、チェリー・ブロッサムはあえて余裕を見せつけるようにリヨンを一瞥すると、リフトに乗って階上へと消えた。


(どうするつもりだ? まさか――)


 直後、地獄への扉が開いたと確信するほど不吉な音が、リヨンの後方から鳴った。

 残酷な機械音と共に、ハッチは開かれた。格納庫内のあらゆる空気が一斉に宇宙空間に飛び散った。

 パエを抱きかかえたまま、回転しながら三ケルビムの地獄に放り出されたリヨンの救助をウェイフが即断した時、極小の時空波と共にブロッサム姉妹の船は星系の彼方へと消えた。


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