幕間「リヨン・レポート③」
最初に結論を述べると、この星は既に我々人類の手を離れている。
監視ステーションの資料には、バハムート3に降り立った移民たちの母船に関する情報は存在しなかった。どうやら、彼らの母船はこの星に移住した人々を見捨て、新たな旅に出たというのが定説のようである。
ウェイフはこの定説からマーウェル山をテラ・フォーミング施設であると推測したが、それは誤りで、これは紛れもなく彼らの母船である。無論、〈気象操作による地下水汲み上げ装置〉などという代物があるように、この船はモース高原に深く根を下ろしている。山に偽装しているようにも見えるが、長い年月の果てに土砂に埋もれたのだろう。
驚くべきは、母船の回路がバイオサーキットで構成されていたことである。
科学技術の発展は際限というものを知らない。半永久的に稼働し続ける回路についてはこれまでいくつもの偉大な発明があったが、この星のバイオサーキットはそれらと比肩しうるものである。この途方もない巨大な回路が、果たして人為的に作られたものなのか、それとも何かの偶然の産物なのかはよくわからない。
そう、「この星の」である。これは僕の仮説に過ぎないが、この巨大なバイオサーキットは、もしかするとモース高原全体を網羅しているのではないか。現に、〈地下水汲み上げ装置〉と呼ばれる巨大な環境制御装置は、大気中に散布された膨大な量のナノマシンによって為されていた。その端末としての存在がムゥなのではないか。であるならば、彼ら――特にパエという雄性体のムゥが時折見せるテレパシーのような意思疎通に説明がつく。(※ウェイフ註 まことに途方もない仮説である。私個人としては、面白いとだけコメントしておこう。吟味精査は専門家に任せたい)
僕は最初、この星を未開の惑星だと考えていたが、それは誤りで、彼らはある意味我々よりも先を行っているように思えてならない。
だが――である。
現在、我々人類は、あまりにも貴重なバハムート3の文明を保護する立場を貫いている。人類史における侵略と破壊の歴史を鑑みれば、それは立派なことである。人類の総意は、彼らを生まれたての赤子であるかの如く、その成長を見守っていると言い換えても良い。我々が誇る〈人類宣言〉とはそういうものである。
だが、一度バハムート3に降り立った身としては、「仮令生まれ持った肉体を捨てても、それは人である」の一文から始まる人類宣言の精神そのものに、ある種の傲慢を感じずにはいられない。
報告書には、バハリアの執政官アレリンと、タルタ総督令嬢フェレーネの動向を事細かに記してある。これを読む人の大半は、パエという名の不思議なムゥのことを詳しく知りたがるかもしれないが、我々人類がより注目すべきは彼らの方であると、僕は思う。というのも、特に執政官アレリンはバハムート3からの脱出を画策していたのであり、我々からしてみれば紛れもない難民である。彼は惑星バハムート3の外の世界があることまでは知っていたようだが、その先に何があるのかまでは知らなかったように思える。
――バハリアのムゥ達を連れて、この星から脱出したい。我々は家畜ではなく人間として暮らしたい。
僕が考えてしまうのは、もしも彼がこのような交渉を持ちかけてきた場合、果たしてどう振る舞うべきであったかということである。勿論、特別監察官という一個人が、一個の惑星に住まう人類の命運を左右しかねないほどの大事を裁量することはできない。重要なのは、我々人類が、この問題に対してどう向き合うかということである。
アレリンが母船の機能を使って特大の〈雲上の大怪魚〉を発生させようとした時、武力行使の許可を待たずに止めるべきであったとは思う。しかしながら、僕にはそれができなかった。揺らいでしまったから。彼らが我々の助けが必要な難民であるということに気付いてしまったから。(※ウェイフ註 この時のリヨン監察官の逡巡は責められるべきではないし、現に上層部も問題視していない。法的には、彼の選択は最善だった。大災害を最速で防いだとはいえ、少なからぬ犠牲者を出したであろうことに関しては、私にも同様の責がある)
僕の結論は、この星は、既に微笑ましく見守られる段階を通り過ぎているということだ。いや、そもそも一個の文明に、そのような幼稚な時期があると考えること自体が誤りである。我々人類は、バハムート3に対する振舞いを最初から間違ったように思えてならない。
我々人類はバハムート3の文明が成熟するのを待っている。だが、それは逆ではないか。彼らの方が、我々が彼らを対等に受け入れる準備が整うのを待っているのだ。
バハムート3のムゥ達。とりわけ、バハリアという国を建て、移民の子孫に反逆し、この星からの脱出を願う人々を、我々はにやけ顔で見捨てるべきではない。
最初に銃器を街中で見たとき、僕の頭の中は文化汚染のことで一杯になった。どうすればこれを取り除き、モース文明を守ることができるのか。だがそれは傲慢である。我々は彼らに選択権すら与えていない。彼らがムゥに対してそうするようにである。
ひとつ。提言がある。(※ウェイフ註 この書きぶりからして、私の上司は意図的にこの怪文書を報告書に紛れ込ませたように思えてくる。無論、何の証拠にもならないし、そもそも規定に反しているわけではない)
モース文明に出回る銃器を回収したいのなら、バハリアのムゥ達の亡命を受け入れるべきである。モース王ハイラルは野心家だが、現代人と対等に交渉するには十分すぎるほどに聡明である。
しかしながら、この考えはある種の温情主義あるいは植民地主義に傾いているのかもしれない。(※ウェイフ註 その通り)
アレリンを唆したと思われる占い師ヘイは、僕の推理が正しければ我々の文明が生み出した大犯罪者であり、必ず人類の手によって裁かれねばならない。だが、それでも我々とモース人との関係は歪である。歪な関係でであり続けることもひとつの選択肢ではある。だが、彼らを見くびってはいけない。彼らは家畜ではなく人間である。人間には家畜と違い、自らが進むべき道を選ぶ権利がある。




