表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遥か雲上の大怪魚  作者: 風雷
36/41

第六章「雲の上のバハムート」(6)

 リヨンはひたすら視界の片隅にあるアイコンを見つめている。


(一秒でもいい。何か時間を稼げないか?)


――全ては遥か高き楽園のためです。


 唐突に、つい先ほどアレリンの口走った言葉が脳裏にこだまする。「高き楽園」とは何であろう。遥か雲海の彼方を指すのなら低き楽園であるはずだが、これはアレリン本人が否定した。彼らは何処へ行くつもりなのか。


「船――なのか。ここは?」


 あまりにも途方もない結論。しかし、それしか考えられない。マザーコンピューターにアクセスしたウェイフはこの場所をテラ・フォーミング施設と言ったが、それはマーウェル山に偽装した移民たちの母船ではないのか。


「この星から脱出するのか? 全てのムゥを引きつれて?」


 アレリンの言動を鑑みるに、他に考えられない。あまりにも荒唐無稽で、あまりにも無謀な賭けだ。しかし恐らく、彼女は本気でそれを成そうとしている。〈雲上の大怪魚バハムート〉を作り出すのは、まさに脱出のための航路を作ろうとしているのだろう。


「馬鹿な! 飛べるはずがない。それにマーウェル山が丸ごとなくなりでもしたら――」


 水の供給システムが破壊され、モース文明は瞬く間に滅びるだろう。


「飛べるさ! 偉大なる先人たちが造ったものだ。これは、我々のために与えられた船だ! 飛べぬはずがない!」

「馬鹿を言え! その代償に全ての人々を殺すつもりか! ムゥも、人も!」

「かまわん! 殺す! 全て殺し尽くすッ! それほどにモースは歪んでいる! ヘイの話ではお前は外から来た(・・・・・)のだろう? ならばわかるはずだ。この星は狂っている。我々バハムートは人間だ! 何故、我々は人間と同じように暮らせない? 何故、毎晩のようにゴミクズのような男達の伽をしなければならない? 自らの生き方も決められず、決めたとしても決してその道を歩めず、一個の人間として暮らしたいと懇願しても、毛筋程度の(・・・・・・)憐れみとともに(・・・・・・)笑顔で全てを踏みにじられる。ただそこにいるだけで! ただムゥに生まれたというだけでッ!」


 ほとばしる憎悪。自らの肉体を千切っても痛みを感じぬほどに。この星に降り立ってから、リヨンが考えずに済んでいたもの。見ずにすんでいたもの。気づかないふりをしても誰にも咎められなかったもの。その全てが眼前にある。いや、そうではない。これは今、初めてリヨンの前に現れたのではない。


(フェレーネ……)


 不意に、あの憐れ(・・)としか言いようのない女の顔が思い浮かんだ。


「おしゃべりはここまでだ。思っていたより賢い男のようだが、お前はここで終わりだ」


 無慈悲な声が落ちる。


これは亡命だ(・・・・・・)……)


 自分でも予想だにしないところで、リヨンは揺らいだ。モース文明から弾かれたアレリン達には、狭いこの星で平穏に暮らせる場所など存在しない。万が一この惑星から彼女達が脱出することができたならば、連邦政府は確実に彼女達を保護する。それは連邦政府への亡命に他ならない。彼女達の行いを止める権利が果たしてリヨンという一個人にあるのだろうか。


(駄目だ。止めなければこの星が死ぬ!)


 もはや全てをかなぐり捨てて暴挙に及ぼうとした刹那、視界の片隅にあったアイコンからアラームが鳴る。3、2、1――そしてそれがゼロを示すとほぼ同時に、ウェイフから通信が入る。


『リヨン、上層部から許可が下りた。武力行使を容認する。そして私から追加でお願いだ。なるべく殺すな』

『了解』


 瞬間、レーザー銃を引き金を引きかけていたムゥ達の視界から、リヨンが消えた。つむじ風が吹いたようだった。そう感じた時には既に、銃を蹴り落とされると同時に腹に強烈な衝撃を覚え、倒れていた。

 彼女達は恐らく、その理由も理解する間もなく打ち倒された。


「くっ!」


 気づいたアレリンが荷電粒子砲(C・P・C)をリヨンに向ける。さすがのリヨンもこれをまともに喰らっては生きてはいられない。

 引き金を引いた頃には、もう遅かった。たった一度の跳躍で瞬く間に眼前に飛び込んできたリヨンは、空中で器用に腰を捻り、アレリンの持つ銃を蹴り飛ばし、着地とともに鳩尾を突いた。


「あうっ!」

「動くなよ、アレリン! パエ、今すぐ〈雲上の大怪魚バハムート〉を解除しろ!」


 パエが今まで聞いたことのない声である。彼には、今のリヨンが激昂しているように見えた。

 しかし、両膝をついて腹を抱えたまま、アレリンは不敵に笑う。


「何がおかしい?」

「ふふ、そんな時間は無いようですよ」

「何だって?」


 アレリンが指差す先を振り返ると、壁一面に張られた特殊ガラスに巨大な亀裂が走っている。それは徐々に大きくなり、ヒビの中心では既に破綻し始めていた。先ほどアレリンが放った荷電粒子砲(C・P・C)が当たったに違いない。


『逃げろ、リヨン。凄まじい勢いで〈へそ〉が発生している。レイス長官からも通信が入った。彼すら見たこともない規模だ。ここまで大きいと下手すれば定着しかねない』


 ウェイフからの通信に、リヨンは唖然となった。〈雲上の大怪魚バハムート〉が完成するまで、あと何秒あるだろう。そしてそれを考えている間に、この密閉された安全な空間と、これから地獄に変わる外界を隔てるガラスの壁は、粉々に砕け散った。


『ウェイフ、ここいらが紫外線でこんがり焼けるまでどれくらいある?』

『一分だ。いやすまない。計算している時間が惜しい。とにかく急げ!』


 リヨンが決断を下すまでの時間は、ほんの一、二秒程度の間だったのかも知れない。しかし彼自身にしてみれば、それは無限と呼べるほどに長い時間だった。


「……パエ、操作はいいから、アレリン達をエレベーターに乗せて下に降りろ。そのまま助けが来るまで決して外に出るんじゃないぞ」

「リヨンは行かないの?」


 パエはしかし、今がどのような状況かは理解しているようで、声に張りは無く、何処か消え入りそうであった。


「言う通りにしろ、パエ! このままだと全員死ぬぞ!」

「むっ!」


 リヨンの怒号に蹴飛ばされるようにして、パエは身動きのとれぬアレリンを抱えてエレベーターへと向かった。先ほどリヨンに蹴られたムゥ達も自力で起き上がり、どうにかパエに続いた。

 そこまで見届けたリヨンは、ふぅ――とため息をついた。


「僕はまあ何というか――はあ、こんなの僕の仕事じゃないんだけどなぁ……」


 パネルを弄りながら、今作動中のプログラムを探す。


(パエが必要なのは起動だけか)


 先にアレリンが直接操作していたことからも、それはわかる。


『ウェイフ、頼りにしてるぜ』

『やれやれ。いつだったか、君が給料を博打でスった時も同じようなことを言われた記憶があるね』


 ウェイフは茶かすが、その裏でリヨンが使えそうな情報をピックアップしてすぐに送ってくる。

 もはや考えている暇などない。ウェイフのナビ通り、リヨンはパネルを操作するだけだ。

 最初にウェイフがガラパゴスと嘆いていたが、インタフェースはまだ理解の範囲内であったらしく、彼の指示に迷いはない。


――ナノマシン励起完了。〈気象操作による地下水汲み上げ装置〉起動します。


 無情な機械音声は、まるでリヨンにとって死刑宣告であった。かつてないほどの光量が、それに挑む者の覚悟を試すように遥か頭上から落ちてくる。


「うッ……おおーーッ!」


 一瞬で視界が眩み、全身が焦げ臭くなった。肌が焼け焦げ、溶けてゆくのを感じたとき、リヨンは死を覚悟した。


『それだ。そのプログラムを強制終了すれば――』


 突然、アラーム音が鳴り響く。

 よく見えないが、画面いっぱいに赤字で警告が表示されているようである。


――無効(DISABLED)


『クソッ! 生体認証だ。なんて古臭い鍵を付けてるんだ。リヨン、少しだけ待ってくれ。今突破する』


 リヨンの生命反応が著しく低下している。ウェイフは何度もプログラムを組み直し、遠隔操作でロックを解除しようとするが、その度に〈無効(DISABLED)〉の文字がパネルに写し出される。


「かはっ――!」


 リヨンが膝から崩れ落ちる。


『おい! リヨン、しっかりしろ!』

「そうは……言ってもだなぁ……」


 何度も、何度もウェイフは試みる。

 無情なアラーム音ばかりが響き渡る中、リヨンはふと、背なに重みを感じた。溶けかけた自分の手に、何かが添えられた。そしてより小さなそれが、パネル上のアイコンに叩きつけられた時、雲の彼方に飛びかけた意識が鮮明に蘇った。


「パ……エ……?」

「むぅ~~! リヨンは澄んじゃダメなの~~!」


 リヨンは焼けつく己の全身の臭いを嗅ぎながら、パエに覆いかぶさった。


――無効(DISABLED)。生体情報が認識できません。


(これまでか……)


 このままではパエが死ぬ。タルタの人々の大半が焼け死に、フェレーネも絶望の中で息絶えるであろう。エアとの再会を果たせぬままに。そして新天地を目指したバハムートを名乗るムゥ達も、生命の蓄積の絶えた大地で破滅するであろう。この星において、開闢以来の大虐殺ジェノサイドが、今、眼前で成されようとしている。

 何もかもが終わろうとした刹那、リヨンの中である感情が爆発した。

 それは、「愛おしさ」であった。

 リヨン自身にも説明がつかない。何故だかわからないが、この星で巡り合った全てのこと――全ての美と全ての不快に、無限大の愛おしさを感じたのである。それは際限なく湧き続ける泉であり、火山の噴火に似た激しさを伴っていた。

 左拳を振り上げ、操作パネルに叩きつけた時、流れ出た涙がじゅわと蒸発した。

 もはやノイズが混じり始めた機械音声が、微かに聞き取れる声で操作盤から放たれた。


――受領(ACCEPTED)。オリジナル・サリアの生体情報と一致しました。


 ふっ――と、何かが抜け出たような感覚とともに、左小指の護符が燃え尽きるのが見えた。


(ありがとう。ティイ……)


 わけのわからぬままに、リヨンは特大の幸運をもたらしてくれたティイに感謝した。

 にわかに空が曇り始めた。〈へそ〉が消えるにしては早過ぎる。


『リヨン、時空波スパイクだ! 何かがそちらにワープアウトする』


 微かに残った視界が、眼前の空に浮かぶ不自然な歪みをとらえていた。やがて大きな影がこちらに近づくとともに、リヨンの意識は闇に溶けた。




第六章「雲の上のバハムート」了

終章"The Transformation of Things."へ続く


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ