第六章「雲の上のバハムート」(2)
裏口から屋敷を抜け出したリヨンは、物陰に上手く潜みながら出口を目指した。幸い、見張りの兵はあまり多くない。そのほとんどが外からの侵入者向けに配置されているからだろう。ということは、この巨大な洞窟から出ることが最大の難関になる。
『ウェイフ、聞こえるか? 戦闘許可を要請したい。原住民は近代兵器で武装している』
『ザザ……ザ……ザ』
やはりと言うべきか、場所の悪さからか通信不可能である。
舌打ちながらリヨンは走る。走ってはぬめる岩陰に隠れ、更にまた走った。悪いことに、足音がこだまし、予想より遥かに早く衛兵の目に留まった。
「いたぞ、追え――!」
言い方からして、ヘイの予想は正しかったろう。リヨンはアレリンの逆鱗に触れていたようである。そしてこの状況においても、今のリヨンには自衛のための戦闘すら許可されない。もしそれを行えば、懲罰どころか懲役すら覚悟すべき重罪である。特別保護惑星での行動はそこまで制限される。
八方塞がりを感じたリヨンは、建物を回り込んで追手の視界から隠れた矢先に、物陰に飛び込んだ。追手はそのまま走り過ぎたが、今のままでは脱出が非常に困難である。先程からずっとウェイフに呼びかけているが、全く通じない。
「リヨン、ねぇ、リヨン」
――と、突然、闇の中から伸びてきた手に肩を叩かれた。
「うわっ!」
驚いて尻もちをつきそうになったリヨンが振り返る。声の主はパエであった。
「なんで君がこんなところにいる?」
「むぅ~~! リンがくれるお仕事は疲れるから嫌なのーッ! むぐっ!」
頬を膨らませて不平を言うパエの口を、リヨンが慌てて塞ぐ。
「頼むから静かにしろ。お仕事って何だ?」
パエはリヨンの手を振りほどくと、ぷはっと息を吐きだす。
「最初は気持ちいいの。でもすぐに虚しくなるの。むぅ~~ってなるの。沢山お仕事があるから、すっごく疲れるの」
何を言っているのかよくわからないが、リヨンはすぐにその意味するところを理解した。なるほどこれは王の仕事だろう。
「リヨン、怪我してるの?」
パエが恐る恐るリヨンの頭に巻かれた包帯に触れる。
「大したことない」
「ホント? むぅ……痛そう」
興味本位なのか、パエは包帯をめくって見せた。
「何かくっついてるよ?」
「おい、やめろ」
何やら包帯の奥をまさぐり出したパエの手を叩くと、包帯の裏から小さな何かが落ち、ころころと地面に転がった。
「ん、何だこれ?」
リヨンは石ころのようなそれを拾い上げる。
(これは――)
そのままじっと動かなくなったリヨンが心配になったのか、パエが「大丈夫? 痛かった?」と肩を叩いてきた。
「いや、何でもない。気にするな。僕は怪我をしても平気なんだ。それよりパエ、君はアレリンのところに戻れ。気の毒だが、モース王国に戻るよりはその方がいい。できれば僕を見逃すように計らって欲しいね」
「むぅ! リンはお引越に忙しいから、パエの相手なんかしてくれないの」
「引越?」
「むぅ。アレリン達はね、もうすぐ遠いところで暮らすの。お空におっきな穴が開いて、雲が散って行くの」
「遠いところ? 雲が散る?」
「パエにはね、よくわかんない。リンには昔からそんなところがあるの……」
空に大きな穴が開くとは、意味するところは一つしかない。リヨンはすぐさまそれが何なのか思い当たった。
「いや、まさか――ありえない。仮にできたとして、そんなことをすればタルタの住民が一人残らず焼け死ぬぞ……」
「焼けちゃうの? むぅ……こんがり?」
ありえないことである。想像にしては飛躍し過ぎであると自分を戒める。今はそんなことを考えている余裕はない。
「ところでパエ、アレリンを昔から知ってるということは、君はやはりここの出身なのか?」
「むっ、むっ!」
パエが大きく頷く。
「何故、王都に?」
「アレリンがね。最近おかしいの。だから嫌になって出てきたの」
つまるところ家出である。恐るべき行動力であろう。よくぞ旅の途上で行き倒れなかったものである。
(いや……)
ふと、千花都でパエが露店の銃を掠め盗った時のことを思い出した。露店のムゥは、まるでパエこそが真の主人であるかの如く彼に協力していたように見えた。
(パエ、君はいったい何者なんだ?)
疑問は尽きないが、今はそれを考えている時ではない。
「むぅ? リヨンは外に出たいの?」
「そう、そうなんだよ。さて、どうしたものかね」
王に祭り上げられたパエの権威がバハリアのムゥ達にどれくらい通じるかは未知である。リヨンが頭の端でちらりと考えた手段は、どうにもリスクが大きい。
思い悩んでいる内に、パエがリヨンの手を取ってすっくと立ち上がった。
「むっ! こっちこっち!」
手を引いて歩き出す。
「おい、何処へ行く?」
パエが向かう先は出口とは正反対である。
「むっ? こっちが近道だよ」
暗がりに出た。下水道だろう。よく掘ったと感心したいが、酷い臭いのする溝に恐れ気もなく足を突っ込みながら、パエは突き進む。
やがて傾斜が強い場所に出た。微かに風を感じる。
(つながっているのか、外へ――?)
にわかに信じられない。そもそも何故この近道をパエが知っているのか。
「パエのおうちだもの」
としかこのムゥは答えない。家出をする際に通ったのだろうか。
リヨンとパエは時間を忘れて傾斜を登り続けた。ぬめった岩肌も、風を強く感じるにつれ、渇いてざらざらしたそれに変わった。パエは見た目より遥かに強靭で、リヨンが音を上げたくなるほど軽快に斜面を登った。
やがて地上に出たとき、鈍い暁光が二人を照らした。




