第五章「リトル・ミノタウロス」(5)
(さて、ウェイフにはああ言ったが――)
リヨンとしては、これは危険な賭けである。確信に近いものはある。だが、確実ではない。読み間違えた時のリスクは計り知れない。
決死部隊は一時間ほど坂を上り続けた。誰もが無言で周囲の警戒に神経を尖らせている。
最後尾にいたせいか、リヨンが部隊に混ざったことは監督役の兵には知れなかったようである。冑を被り、鎧を着てしまえばムゥと人間との区別は困難であろう。逆に言えばそれを感知できないほどにムゥの決死部隊は練度が浅かった。
路の先が見えない。傾斜が緩やかな場所に出たのだろう。誰もがそこで一息つけると思ったところで、部隊の前方で鬨の声が上がる。戦闘が始まったのだ。
同時に、今まで何処に隠れていたのか問いたくなるほどに夥しい数の敵が左右の岩陰から湧いた。決死部隊という名は全く儚いものとなった。ムゥ達は反抗すらできなかったのである。真っ先に交戦を始めていた兵は、見たことも無い光の筋に焼き殺された。
「戦え! 死にたくなければ剣を取れ!」
そう叫んだ監督役のタルタ兵も、バハリア兵の手元から降り注いだ光の餌食となった。
ひとりのムゥが、恐怖のあまりにがちがちと歯を震わせていた。何故自分はこんな地獄に迷い込んだのかと、絶望に震えていた。しかし彼女の様子はこの集団の中では異様であった。
ムゥの誰もが、眼前の死に絶望する素振りすら見せていない。それが、本来のムゥなのだ。
震えるムゥが一歩、二歩と退き、ついには振り向いて奔り出そうとした矢先、何者かが彼女の手をつかんだ。
「動くな、エア。今動けば殺されるぞ……」
エアは驚いて自分の手をつかんだタルタ兵の顔を見た。
「リヨン様……? 何故こんなところに――」
「それは僕の台詞だ。フェレーネが君を探しに僕のところまで来たんだぞ」
「フェレーネ様が――」
吸い込まれそうな赤く大きな瞳が揺れた。
「ハイシィ様は私を人質にフェレーネ様を脅しているのです。今、帰ってもどうにもできません」
儚く消え入りそうな声である。
「それでもフェレーネは君といたいと言っている。彼女は君のために他の全てを捨てる。君がそうしたようにね。今は帰れなくても、とにかく生きるんだ。いいね?」
エアが大きく何度も頷くのを確認したリヨンは、周囲のムゥが自分を凝視していることに気づいた。
よく見ると、監督役のタルタ兵のほとんどが既に焼き殺されていた。残された者も戦意を喪失している。ムゥ達は自分達に命令を下せる人間がリヨンしかいないことに気づいたのである。だが、それは敵も同じだろう。
(まあ、こうなるよな……)
決死部隊に入れられたタルタ兵が憐れでならない。
リヨンはおもむろに剣を鞘ごと投げ捨てると、敵の前に進み出た。
「参った! 降参だ。アレリンとか言ったか? この場の全てのムゥを解放しよう。できれば捕虜として扱ってくれると助かるね」
両手を挙げて叫んだ。すると、敵のムゥ達の間で哄笑が湧き起こった。
「拘束しろ」
バハリアのムゥのひとりが言うと、二人が走り出て、リヨンを後ろ手に縛りつけた。他のタルタ兵も同じように拘束された。指揮官らしきムゥはそうして初めて、リヨンに近づいた。
「面白い男だ。好みの者はいるか?」
先程ローイがアレリンと呼んでいたムゥに違いない。
「君が執政官か?」
アレリンは、エアやティイと比べれば実に凛々しい顔つきをしている。
(こいつ……)
リヨンの記憶にある顔である。逆に向こうはこちらのことを覚えていないようだ。冑をかぶっているせいだろうか。
「この状況でよく喋る人間だ」
「何日か前にパエという名のムゥが君達に攫われた。あの子は元気にしているか?」
瞬間、冷徹な光を放つアレリンの瞳が揺れたのをリヨンは見逃さなかった。
「ムゥではない! バハムートと呼べ!」
リヨンの後頭部に衝撃が走った。怒ったバハリア兵が剣の柄で殴りつけたのである。
無様に倒れ込むリヨンを見て、エアが悲鳴を上げた。彼女は無謀にもアレリンの前に走り出て、懇願した。
「このお方は軍人ではありません。どうかお命だけは――」
「鎧をつけておいて、軍人ではないは無いだろう。だが男である以上、使い道はある。おい、人間、お前女でなくてよかったな。里に着いたら私が可愛がってやってもいいぞ」
バハリア兵が笑うと、周囲もそれに釣られた。背後からも聞こえたのでエアが振り返ると、決死部隊にいたはずのムゥの中にも同じように笑う者がいた。
「用は済んだ。引き上げるぞ」
それだけ言って、アレリンはもうリヨンには構わなかった。




