第五章「リトル・ミノタウロス」(3)
絶望のフェレーネを捨て置いて、リヨンはローイと共に討伐軍に加わった。
以前とは違い、それなりの軍容を誇ってはいる。バハリアのムゥは不正に流通した惑星外の武器を使用していたが、リヨンが見るにそれほど数は多くない。彼此の兵力差を覆すほどではないと思い直した。
行軍の最中、にわかにウェイフから通信が入った。
『職務怠慢にもほどがある』
リヨンが毒づくと、ウェイフは不服そうな声を上げた。
『いや、雲が薄い時は通信状況は悪くなかったはずだ。君がシャットダウンしていたとかなら別だけどね』
『人をアンドロイド扱いするなよ。我が身に祟るぞ』
『おっと、これは悪い。忘れてくれ。ともあれ不思議なことだ。原因に心当たりはあるかい?』
『丸々二日寝ていたらしい。報告書を書く暇は無かったから、口頭で伝えるよ』
リヨンは通信途絶していた間の出来事を詳細に語った。今しがたフェレーネから得た情報を報告し終えた時、ウェイフは軽く唸った。
『うーん、これは参った』
『随分ときな臭い話を拾っちまったが、裏付けがあるか?』
フェレーネからもたらされた情報はそれなりの信憑性はあったが、惑星外の勢力とゴディクスの人身売買を証明するものではない。だが、ウェイフの返答はリヨンの苦労に見合うものだった。
『あるどころの話じゃないよ。さて、何から話すか。まずだがね。レイス長官は白だ』
『密猟には関わってなかったと?』
『……そういうことだ。リトル・ミノタウロスって知ってるかい?』
『いや、知らないな』
『流石はハンタン・ドリーマーだ』
『……褒められてる気がしないな』
『リトル・ミノタウロスは三年前までミノタウロス・バイオノイド社が生産していたバイオノイドだ。君がバハムート3監視ステーションでレイス長官に見せてもらったのがそれさ。シリアルナンバーは正規に登録されたものだったよ』
『それがムゥじゃなかったと?』
『話は最後まで聞きたまえ。ミノタウロス・バイオノイド社は元々コアなユーザー向けのセクサロイドを生産する中規模の会社だった。それが、十五年前にリトル・ミノタウロスがバカ売れすると、一躍業界屈指の大企業になった。しかも個体数が少なく、資源衛星ひとつと大して変わらない額で取引される事態すら起こった。好評の理由は優れた容姿や感情など色々あるが、やはりセクサロイドとして極めて優秀であったかららしい。未検証だが繁殖に成功した個体があったという噂すらある』
リヨンは首を捻った。ウェイフが言っているのはまるで――
『ムゥそのものじゃないか』
『そう。私が見るに、少なくとも三年前まではそうだった。その時期を境に、ミノタウロス・バイオノイド社が売り出すリトル・ミノタウロスの質が明らかに劣化した。最安値のバイオノイドもここまで酷くないとユーザーに言われるほどにね。この企業には、バイオノイド研究で人体実験を行ったのではないかとの噂があったんだが、この時期に連邦検察に告発されてね。結局、連邦検察の不手際が重なって裁判では無罪となったが、この時に何者かが中枢をクラックしてオリジナルのデータを消去したか破壊したんだろうと言われている。今は経営破綻して跡形もなくなっているよ』
『レイスが持っていたのはそっちの方か』
『だからではないが、レイス長官は白だ。監視ステーションの隅々までハックしてみたが、出てきたのは涙ぐましいほどの勤勉の証明だよ。いや全く、彼には悪いことをした』
ウェイフは全く悪びれた様子もない。白とは言ったが、まだ疑う余地は予感レベルで残しているのだろう。
『さて、話を戻そう。三年前までミノタウロス・バイオノイド社はムゥで人身売買を行っていた。中企業だった頃の彼らに自前でそんなことを行う資金的余裕や手腕があっただろうか? また、何処からムゥの情報を得たのか?』
『バハムート3に派遣された特別監察官だろう。少なくともモース王はそう証言している。彼がムゥの密猟に関わっているかはわからないが』
『恐らくそうだろうとは言いたいが、それだけだと不可能だ。監察官には確かに私のようなハイスペックな船が与えられて、その気になれば監視ステーションの目を盗んで様々な悪事を働くことが可能だが、上層部に疑われれば必ず証拠が残るからね。自分の手を直接汚すほどの愚を犯したなら、さすがのレイスも気づくだろう』
『別の悪党が一枚絡んでると』
『三年前、ミノタウロス・バイオノイド社は他の勢力に潰されたのかも知れないね。今、市場にムゥは出回っていない。だが近々それなりの数のムゥが再び流通する可能性がある。いくつかのバイオノイド系企業で表向き研究中のバイオノイドが、どれもリトル・ミノタウロスに酷似している。調べてみたが、予算が莫大なわりに研究の実態がほとんどない』
ウェイフは、ミノタウロス・バイオノイド社の凋落ではムゥの人身売買が止まなかったと言っている。次に甘い汁を吸おうとする者が大勢いると。リヨンの方も、フェレーネの話から推理すれば、バハムート3において今でもそれが行われていると疑いたくなる。
『待つ意味がわからない。一分一秒でも早く、ライバルを出し抜きたいと思うだろう』
『それが、そうでもない』
『どういうことだ?』
こういう時、ウェイフがとっておきの情報を隠し持っているというのは、リヨンの経験則である。
『話がすこしずれるが、ティア星系でバイオノイド独立運動が起こっているのは知ってるね?』
『去年だったか一昨年だったか、そんなことがあったな。確かバイオノイドに人権は無いと判決が下りたんだったか。でもそんなの随分昔からあっただろう?』
『私も調べてみて驚いたが、あの話、国務院まで話がもつれていてね。今映像を送るよ』
リヨンは視界の右下隅に出てきたアイコンを注視した。すると小さなウィンドウが開き、遠い星系の映像が映し出される。人々がひしめき合って何かを叫んでいる。それそのものはたまさか見かけるものだが、デモに参加する人々は全て女性に見え、しかも牛のような角に小麦色の肌、赤い眼に銀色の髪をしていた。
『これは……ムゥか?』
『恐らくはそうだろうね。数にして約七百人だが、驚くべきは、彼らは自らが他星系由来の人間であると主張していることだ。生殖能力も確認されているが、そんなことは些細な問題だ。遺伝子レベルで彼らが人間であり、なおかつ人間から進化した種であれば、国務院は彼らをバイオノイドとして扱うことを違憲と判断するだろうね。そうなればどうなる?』
『ムゥで一山当てられると思った連中が大損だな』
逆に言えば、ポスト・ミノタウロス・バイオノイド社を窺う企業は、裁判の結果次第でムゥ販売に踏み切るということである。そこで初めてリヨンが先程言った「一分一秒」の競争となるのだろう。
『そう。そしてその裁判の初公判が行われるのは、君がバハムート3に着陸してから数えるとぴったり一ヶ月』
『偶然と思いたいな』
『表向き、連邦は彼らの人権を認めたがらないだろう。最近はバイオノイドが人間レベルの知性を持つようになってきているから、神経を尖らせるのも仕方ない。まあ本当に証拠があるなら連邦は負けるべきだろうがね』
ウェイフは直截の言及を避けたが、上層部の目的はムゥの人身売買ルートを叩くことかも知れない。ティア星系のムゥ達の人権が認められれば、リトル・ミノタウロスは表向き商品として成立しない。そのために必要なのは、彼らが人間から進化した痕跡である。しかし、リヨン達に下った命令はあまりにも漠然としている。これは、上層部自体がこの話に半信半疑であるとも取れるが、そうなると「何かがあるかも知れない」程度のものを調べるためにリヨン達は派遣されたということになる。
『その証拠がバハムート3から出てくればいいということか。だが、肝心のムゥが人間ベースであるというのに無理があるんじゃないか?』
『ペースト理論だよ、リヨン。〈混合〉が起こったんだ。これこそ、バハムート3の人類にもたらされた進化だったとすればどうか?』
ペースト理論におけるサリア博士の思考実験では、複数の生命体が〈混合〉する可能性があった。そしてサリア博士はこの問題を解けなかった。少なくとも彼女自身がワームホールを発見するまでは――
『意図した研究か、あるいは事故で、人と何かが〈混合〉した結果がムゥだとすれば? とにかく、ムゥが人間であると仮定するならば、他にはありえない。ペースト理論の他にそのような研究の痕跡は、今の人類には存在しない』
〈混合〉の結果、ムゥが生まれたとすれば、逆にたどれば全てのムゥの遺伝子は一個の人間から来ているということである。これが証明されることが即ちリヨンやウェイフが言う「人間ベース」の意味である。
『そりゃあ無いだろうよ。法に触れるどころの話じゃない』
『まあ、そうだがね』
『さて、今のところはこれくらいか。ウェイフ、そろそろ通信を切るよ』
『……待ってくれ。ひとつ訊きたいことがある』
『何だ?』
『君の周囲で、何か不思議なことが起こっているように感じる』
『不思議なこと?』
ウェイフにしてはあまりにも漠然とした言い方である。不思議なことと言えば、この星に降り立ってからは不思議の連続である。そのひとつひとつを細々と報告しろということでもないだろう。
(パエ……)
元気な小ムゥの姿が思い浮かんだ。パエこそ、バハムート3でリヨンが出会った不思議そのものかもしれない。バハリアのムゥに連れ去られた彼は、今頃どんな目に遭っているだろうか。バハリアがムゥの国なら殺されてはいないはずである。それを信じたい。
『色々とタイミングがよすぎると思うんだ』
『タイミング?』
『いや、心当たりが無ければいい。つまらない話をして悪かった。次は朗報がもらえることを祈ってるよ。ああ、そういえばだがね。君が以前くれたムゥの遺伝情報、Xトリソミーが二人もいたよ。内一人は雄性体のサンプルだ。過去の調査結果と合わない確率だ』
『そういうのは君の専門だ。任せるよ』
通信が途切れた後、リヨンはしばらくの間、考え込んだ。周囲を歩く兵士の鎧ががちゃがちゃと鳴る音だけがうるさく響いた。




