表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遥か雲上の大怪魚  作者: 風雷
21/41

幕間「リヨン・レポート?」(1)

(※ウェイフ註 これが何であるのか、私には判断しかねる。文中に日付はなく、書かれた場所も不明。これは他の怪文書・・・同様、リヨンの提出したレポートに紛れていたのだが、明らかに彼が書いたものではない。恐らくだが、彼が収集したデータの中にあったものの一部だろう。元は細かな別々の文書がレポートに散在していたのだが、読みやすいように私がつなぎ合わせた。各々の文書の記録は六~二年前だが、全て書き換えられており、内容から見るに同時期に書かれたものだろう)



 私がモース王国の住人となってから、どれだけの時間が経っただろう。いや、実はそれほど昔のことでもないのかもしれない。この万年黄土色の空を初めて見上げたのがまるで昨日のことのように感じられる。

 今となっては誰も口にしないその村の名前は何といったか、覚えていない。タルタ州の州都からは西に遠く離れた辺境の地だった。モース王の威光が辛うじて届いてはいるが、野盗が出没し、路中でよく野ざらしになった死骸を見かけた。

 タルタには肥沃な千花都とは違った力強さがある。ここに住まう者達は皆、〈雲上の大怪魚バハムート〉と呼ばれる自然現象に度々出くわすためか、信心深い者が多い。雲が薄い日は家に閉じこもることもあり、多くの者達が〈大怪魚バハムートの目〉に焼き殺されるのを本気で恐れている。未開の蛮族であると笑うには、時折モースの空を貫く穴はあまりにも巨大で恐ろしすぎた。

 その辺境の田舎で、私はひとりのムゥを拾った。いや、誤りがあろう。ひとりの女を救った。救わざるを得なかった(・・・・・・・・・・)

 人口千人にも満たない小さな村である。よくもまあ野盗に滅ぼされなかったものであると感心したが、どうやら彼らに上納金を払ってやり過ごしていたらしい。それどころか野盗と結託し、他の村を襲わせた痕跡すらあった。門前で名乗った私に対して、村の人間は最初こそ冷たかったが、私の肩書を知るや否や掌を返した。彼らは私を歓待するために村の規模にしては大きな宴を開いてくれた。

 宴会の最中、用を足しに厠へ出かけた最中、それを見てしまった。

 竜小屋の暗がりからはみ出した真っ白な足を、見てしまった。

 見なければ良かった。いや、見なかったことに(・・・・・・・・)すれば良かった(・・・・・・・)

 私と出会った時、女は地獄の中にいた。

 五人。いや、十人近くの気配。竜小屋に近づくにつれ、多くの息遣いに胸が悪くなった。小屋から獣臭とともに漏れ出る酸い臭いが鼻についた。宴で飲まされた不味い酒が喉元まで上ってくるのを感じた。

 気づけば、私は小窓から竜小屋の中を覗き込んでいた。

 数えていないが、恐らく八人はいた。いや、奥にさらに五人はいただろう。全て半裸の男だった。田舎の屈強な男どもに埋もれるようにして、月光を映し出したような純白の肌が見え隠れした。

 恐ろしかった。男どもは薄ら笑いを浮かべながら代わる代わる女に覆いかぶさった。すすり泣く女の声は、下卑た笑いにかき消された。土を引っかき、口から泡を吹いてもがくも、まるでベッドから飛び出そうとする赤子を抱えて戻すように、抗いがたい膂力によって彼女の全ての反抗は無に帰した。


「お願い……や……」


 微かな懇願を、男の一人が踏みにじる。


「黙れ、畜生め。次に口を開いたら、その緩み切った穴に竜の蹴りを食らわせてやる」


 腹を、胸を、顔面を――女は五度殴られたところで抵抗をやめた。


「やめろやめろ。死んじまうぞ。俺はまだ楽しみたいんだ」


 奥の男が半笑いで声をかける。

 酸い臭い。屈強な男がこれだけ揃っているのに、この小屋を満たすのは女の酸い臭いである。自分たちの臭いが掻き消えるほどに、彼らは女を嬲り抜いた。

 何なのだ、これは――と、私は愕然となった。その時、月光の煩さに驚いたように、女が顔を上げた。


(――あっ)


 鈍色の髪の隙間から微かに白い突起が顔を出した。


(ムゥだ……)


 男が言っていた家畜とは、まさにその通りだったのだろう。その家畜と目が合った。


――助けて。


 すがるような眼差し。見てしまった。見なければ良かった。酔っぱらったふりをして、自分をそうだまくらかして見なかったことにすれば良かったのだ。今思えば、もしこの時そうしていたならば己が罪悪感にこの身を食らいつくされ、私は生ける屍となっていただろう。

 そう、私は彼女の願いに応えることを選んだ。これまで私を私たらしめてきた全てが、私にそれを選ばせた。


「村長さん、厠はこひられあっれいるかしら?」


 泥酔して舌がうまく回らない風を装いながら、私は大声で屋敷の主を読んだ。


――チッ。


 憎悪がこもっているかと思うほどに大きな舌打ちが小屋の中から聞こえた。どうやら私は賭けに勝ったようだ。というのも、これが村長に隠れて行われていることでないのならば、私の芝居は全く意味をなさなかったからだ。


「いやいや、お客人。ありゃうま小屋ですよ。厠はこちらです。ささ……おや、誰かいるのか?」


 面倒臭そうな顔をうまく隠しながら出てきた村長に、私は乗りかかった舟と言わんばかりに絡んだ。


「あら、うま! 竜がいるのね? 駿馬はいるかしら? 見てみたいわ」


 さあ、早いところ退散しろ。少しだけ猶予をくれてやる――竜小屋の臆病者たちに向かって、私は心中で罵った。

 数秒の間にどたどたと中が騒がしくなった。小屋の向こう側で何人かが走り去る音が聞こえた後、私は村長の制止を振り切って小屋に踏み込んだ。

 泥だらけの女がそこに横たわっていた。時が止まったような光景だった。竜の鼻息だけが、それが嘘であると私に教えてくれた。

 背後で村長の舌打ちが聞こえた。ここで何が行われていたのか理解したのだろう。だが、不機嫌そうなのは何故だろう。人間がムゥを犯すのに、この王国では何の制約も罰則もない。ただ、それを行うのが彼らの所有者であればという以外には。

 私は酔っ払いの演技も忘れ、そのムゥに近寄った。私が女を抱き起そうとした時、純白の淡雪のように儚い声に体の芯から凍り付いた。


「お父様……」


 このムゥは今、何と言ったのだ。父? 誰が?


「二度と父と呼ぶなと言うただろう! 儂はムゥを引き取った覚えはないぞ!」


 私を歓待していた時とは別人のような、冷厳な声が落ちた。


「また、若いしゅを誑かしおって」


 誑かした。あれが? あの地獄のような光景が?

 己の内に沸き起こる熱を、私は今でも覚えている。否、それは今でも私の胸の内を焼き続けている。


「村長さん、あなたはこのムゥの処遇に困っているのではなくて?」


 カマかけだ。いや、村長の口ぶりから考えるに、勝算はある。私は村長の眉が上がるのを見逃さなかった。


「お客人、どういうおつもりで?」

「この子を売って頂戴な。調度荷物持ちが欲しいところだったの。貴方にとっても悪い話ではないはずよ」


 村長は少し悩んだ風だったが、横たわるムゥを一瞥すると、心底煩わしそうに了承した。

 去ってゆく村長を尻目に、私はムゥを抱き上げた。さあ、君の願いは叶えたぞ。これで私も犯罪者の仲間入りだ――と、心中で自嘲した。


「貴方は……?」

「あら、まだ話せるのね。私はね。ただの旅人よ」

「旅人?」


 そんなわけがないだろう――と、少女の目が語っている。ただの旅人がどうやって村長と対等に交渉するというのか。だが、すぐに私が今夜の歓待の相手だと知ったようで、少女は何かを確信するように小さく頷いた。


「お願い……殺して……」


 消え入りそうでいて、しかし分厚い鉄剣のように強い声に、私は一瞬気圧された。


「あなた偉いんでしょう? 王様の使いなんでしょう? ならできるはずよ! あいつらを殺してよぉッ!」


 これは慟哭であった。自分を地獄に叩き落した世界への――


「そんな、人を殺すだなんて――」


 面食らっていた。ムゥが人の死を望むなど、モースにおいて絶対にありえないことである。そう確信するだけのものがこの文明にはあった。


「あんなもの、人間じゃない! どうして人間にこんなことができるのッ! 私がこんな……うぅ」

「あなた、ムゥではないの?」

「ムゥなら何をされてもいいの? 昨日まで人として暮らしていた娘が、ムゥとわかった途端にモノになるの? 私はいったい何なの? 教えてよ! ただの奴隷? それとも家畜? 気持ちよくなるための道具? 教えてよ……私は何なの? 何のために生まれて来たの!?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ