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遥か雲上の大怪魚  作者: 風雷
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第四章「ハンタン・ドリーム」(2)

 出立まで時間が空いてしまったリヨンは、おもむろにティイの働く宿へと足を向けた。

 ティイは箒で軒先を掃いていた。彼女の主である少年は留守のようである。


「ここのムゥは皆、千花都のムゥより美しい。それだけは間違いない」


 壁にもたれかけたリヨンが話しかけるまで、どうやらティイは気づかなかったようである。


「リヨン様――」


 このムゥは、最初に会った時からどこか悲しみを噛んでいる――とリヨンは思った。


「その中でもゴディクス邸にいたエアというムゥは特別に美しかったな」

「エアより美しいムゥはおりません」

「そうか。そうかもな。ところで、彼女に君のことを訊いたら知らないと言われたよ」


 ティイが嘘を吐くようには思えないが、それでも彼女の扱いは奇妙である。


「ムゥは考えません。言われたことをこなすだけです」


 消え入りそうな声であった。リヨンはこれを、ティイの発言が相当に制限されている証拠だと見た。


「エアについて教えてくれ。何故彼女だけ特別なのか? 美しいから?」


 ティイは一度首を振って沈黙した後、あるいは意を決したように言った。


「……御嬢様はエアを深く愛しておられます。エアもまた御嬢様を愛しています。お二人が結ばれるためなら、私は何だってやります。澄んでしまえと言われたらそうします」

「……そうか」


 フェレーネの態度を思い出してみると、ティイの言うことを信じても良さそうである。ここから少し穿って考えてみれば、浴場にエアを送り込んだのはゴディクスだろう。去り際に彼がエアを譲ろうとしていたことも、冗談ではなく本気だったのかもしれない。フェレーネはハイシィと婚約しているが、ローイから聞いた話では彼は他地方からの移民で典型的な叩き上げである。エアは政略結婚における重大な障害だったのかも知れない。あるいは、フェレーネが男であったならば、モース人の価値観はエアの存在を許しただろう。だが、そうはならなかったところにフェレーネの悲しみがある。彼女が捻じ曲がって見えるのも仕方がないとさえ思える。


「お嬢様にはお役目がございます。健やかな子を産み、次の世代を育まねばなりません。それは全ての人の女にとっての幸せです。ですが、お嬢様だけはそうではないのです」

「次の世代ねぇ。どうにもピンと来ないな」


 ティイの悲痛な表情が俄かに疑問に染まる。


「貴方様にもご両親がいらっしゃるでしょう?」

「いるよ。でもそれだけだ。僕はそこに生まれただけだ(・・・・・・・・・・)。たったそれだけのことで、次に繋ぐ理由にはならない」

「それは……」


 面食らったようなティイをよそに――というか彼女の存在を忘れたようにリヨンは独り言ちる。


「子をなしたところでだ。この星に存在する炭素の総量は変わらない。それでも次に繋ぎたいと思った人が好きにすればいいだけだ。放っておいても山ほど生まれ、死んでゆく。僕にはどうでもいい話だ」

「どうでもいい……」


 リヨンはティイの表情の変化にようやく気付いたようだ。気まずそうに咳払いした後に続けた。


「いやなに、今のは忘れてくれ。とにかくありがとう、ティイ。君はとても勇敢だ。そしてもう一つお願いがあるんだが、君の髪の毛を少しくれるかい? いや、これは命令というわけではないよ。君の主人と交渉が必要なら諦める」


 当然、ティイは首を傾げるわけだが、どういうわけか得心したらしく、編み込んだ髪先を縛り、上手く輪を作ってからそれを切り落とし、リヨンに手渡した。


「これは?」


 明るい銀の髪が光を反射してまるで白金のようである。リヨンはティイが薦めるわけでもないのに、煌めきに導かれるようにそれを左手の小指にはめた。


「護符を必要とされたのではないのですか?」


 質問したことそのものを忘れたように、リヨンは小指に宿った銀糸の妖精に見入っていた。


「護符かー。ここの人々はムゥに加護を求めるのかい?」

「昔からの習わしです。理由はわかりかねます」

(これほど酷使しておいて、その上加護まで求めるのか)


 一瞬、リヨンの中で慍色うんしょくが立った。だが、別の目的があるとはいえ他ならぬリヨン自身が護符を求めたのである。しかも一瞬にしろその美しさに心奪われたとあっては、我ながら鼻白むものである。

 ふと、フェレーネが左の薬指にはめていた指輪を思い出した。


(あれはエアの髪か……)


 ただの護符である。ティイが躊躇わずに与えてくれたことからも、特に重要な意味を持つものではなさそうであるが、リヨンにはフェレーネによる父へのささやかな反抗に思えた。


「恩に着る。また会おう」

「いいえ。さようなら、リヨン様」


 リヨンは十歩ほど歩いた後、何かを思い出したようにティイの方を振り返った。ティイはまだそこにいた。


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