第三章「澄むべき美しさ」(4)
タルタ総督ゴディクスがリヨンと夕食を共にすることを許可したのは、恐らくローイの働きかけによるのだろう。とにかくリヨンは州都まで来て何日も待ちぼうけを喰らうという最悪の事態は回避できたようである。
ゴディクスは晩餐の席に自らの愛娘を同席させた。リヨンはフェレーネという彼女の名をティイから知らされている。
「娘のフェレーネだ」
そう言われて紹介された女は、どうにも機嫌がよろしそうに見えない。
「よろしく、学者様」
ゴディクスはお世辞にも礼節に富んだ男ではないが、令嬢フェレーネの無愛想にはリヨンも心中で苦笑するほかなかった。
「我が家のムゥは御堪能いただけたかな?」
ゴディクスはよほど自分のムゥに自信があるのだろう。「千花都のムゥより美しかろう」とでも言わんばかりである。後にリヨンが知ったところでは、タルタは美しいムゥの産地で有名らしい。〈花っ子〉に自分のムゥを取られまいと意地を張った先ほどの少年の気持ちもわかろうものである。
「ムゥは美し過ぎます」
リヨンは率直な感想を言った。ゴディクスは美し過ぎて何が悪いのか――などということがわからぬ男でもないのか、「ほう」などと言って顎鬚を撫でた。
「ムゥは嫌いか。なるほど、リヨン殿は王のお気に入りだったか」
リヨンの目に映るゴディクスは、どうもタルタ州を長年任されたせいで少し気が緩んでいるようである。
(やれやれ、ハイラルも王でなかったなら、生きるのに難儀しただろうなぁ)
王の男色を小馬鹿にするゴディクスの態度は、リヨンには不愉快でしかない。
ともあれ一々彼に突っかかっていては、期日内にサリア博士の消息を辿ることなど不可能である。リヨンは一刻も早く神域の調査ができるようにゴディクスに催促したが、彼の返答ははっきりしない。
「マーウェルの蛮族は慈悲の心を持たない。リヨン殿の安全は保障しかねる」
「そう言えば街には武装した兵士が沢山おりましたね。近々戦争でも起こるのですか?」
「あれは日頃の備えというものだよ、学者殿」
これだから平和ボケした花っ子は――とでも言いたげである。
「備えがあるならば、私の願いを聞いて下さってもよろしいではありませんか」
リヨンは粘る。実際、調査だけなら自分ひとりで十分である。だが彼の経験上、こういう時に土地鑑を欠くことは最も危険である。通信の不自由もあり、ウェイフのバックアップが万全でないこともある。
「リヨン殿がその気でも、王の友人を死なせるのは忍びない」
ゴディクスは折れない。先程からローイは一言も喋らず、成り行きを見守っている。パエに至っては話に加えるだけ無駄である。ちなみに彼がこの場でリヨンと同じ食事を楽しんでいるのは、何故かはわからないが、モース王がリヨンと同じ待遇を彼に与えるよう、ローイを通してゴディクスに命じたからである。ゴディクスやフェレーネの不機嫌はここにあるのだろうか。
「別によろしいのでは?」
食堂の扉を開けて入って来たのはハイシィである。
「私が警護しましょう。大勢に影響は無いでしょう」
広い肩幅は、屋内での彼を更に雄大に見せる。ゴディクスはハイシィを見たまま少し黙っていたが、ハイシィが小さく頷くのを見て口を開いた。
「ふむ、そこまで言うのなら――」
ゴディクスは渋々許可を出した。リヨンはほっと胸を撫で下ろしたが、ハイシィは思っていたよりゴディクスに重用されているようである。
「話もまとまったところで、食事と行きましょう。まずは、晩餐に遅れた非礼を詫びねば――」
ハイシィはそう言ってリヨンの隣席につくと、先程から一言も口をきかないフェレーネに話かけた。
「やぁ、フェレーネ。今日も美しいね」
「そう。貴方は相変わらず脂ぎった気持ちの悪い顔をしているわね」
フェレーネは視線すら合わそうともしない。ハイシィは態度からして彼女に気があるようだが、それをゴディクスが咎めないのはどういうことだろう。
「フェレーネ、客人の前だぞ」
ゴディクスにたしなめられて、フェレーネは渋々ハイシィを見た。
「あら、これは愛しの婚約者様。ご機嫌麗しゅうございますわ」
ちっともご機嫌麗しゅうない女の当てつけは、端から見ている分には面白くもあったが、リヨンとしてはここでいらぬ諍いを起こして欲しくない。勿論ハイシィも心得ているようで、軽く肩をすくめるとフェレーネには言い返さずに食膳に手を付け始めた。
フェレーネは、少しリヨンの好みとはずれているが、美しい女である。髪は耳にかかる程度に短く切りそろえていて、背は高く男装に近い格好をしている。しかし動作の一つ一つは明らかによく教育された御嬢様といったところで、そこがかえって彼女の魅力を引き出している。左手の薬指にはめた銀の指輪が淡く煌めいた。この若さでは宝石より銀の方がよほど映えるだろう。
〈澄むべき美しさ〉とは〈花っ子〉と呼ばれる人々のフェレーネ評である。根拠はないが、その評価を下したのは恐らく王都の女達ではないかと、リヨンは漠然と思った。
「むぅ~~、おしっこ」
パエがすっくと立ち、用を足しに席を離れる。リヨンがこれをやればゴディクスは怒っただろうが、飽くまでパエはムゥである。そういう不思議がモース文明を包んでいる。
「不思議なムゥね」
エアより少し力強く、低い声でフェレーネが呟いた。パエの不思議をリヨンの前で最初に指摘したのはモース王だったが、フェレーネもまたそう感じたとなれば、他の誰もが口にしないだけで、パエはやはり普通のムゥとはかなり違って見えるのだろう。
「あの子は――ずっと首を傾げていて話を聴いているのか心配になる」
出会って間もないが、パエは普段から何を考えているのかよくわからない。
「首を傾げるのは好奇心旺盛な証よ。いつも観る景色に飽きてしまって、何か新しいものがないか探しているの」
フェレーネは、彼女の歳を鑑みれば、少し穿ったことを言った。勿論、人間発達学的に何の根拠もない彼女の論に感心するリヨンではない。
「それは自分の事かい、フェレーネ?」
ハイシィが茶化すと、フェレーネはぷいと横を向いた。
さて、ゴディクスの協力をとりつけたリヨンは、晩餐が終わってからもこの場に留まる理由は無い。ちらりとティイのことが気になったが、ローイの言う通り触れぬ方が良いだろう。
別れ間際、リヨンはどうやらゴディクスのムゥ自慢は相当なもののようであることを思い知らされた。
「気に入ったムゥがいたなら連れ帰ると良い」
花っ子とはタルタの人々が千花都の人をからかう呼び方だが、多分に彼らのムゥ自慢が混ざっているだろう。ゴディクスはその典型かもしれない。
リヨンとしては連れまわすムゥはパエひとりで十分である。それに奴隷を囲う趣味も無い。
さてやんわりと断るか――とリヨンが口を開こうとしたところで、パエが突然明瞭な声で言った。
「エア!」
リヨンは危うくパエの頭を小突きそうになった。
「エアがいい。リヨンはエアが好き!」
何を根拠にこんなことを言うのか――とリヨンは怒鳴りたくなったが、しかし何故むかっ腹が立っているのかと考えると奇妙な感覚に陥った。
「エアか。やはりな。あれが最も美しい」
ゴディクスが、さもありなん――とでも言いたそうにこちらを見つめるので、リヨンとしては誤解を解かねばならなくなった。
「いえ、結構です。ムゥは間に合っております」
逃げるように辞して身を翻す間際、うなじを刺すような感覚に、リヨンは反射的に振り向いた。振り向いて、身震いした。
フェレーネが凄まじい形相でこちらを睨めつけていた。
第三章「澄むべき美しさ」了
第四章「ハンタン・ドリーム」へ続く




