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82.アニスの母

 村に現れた魔物トレスティニオ。出現したのは結局二匹だけだったので、一匹は村の人達が倒し、もう一匹はアレセニエさんが倒して今回の戦闘は終了となった。


 トレスティニオの宝石鱗はそれなりに売れるらしいので、剥いで保管し、次回お父さんが王都に行った時に売るそうだ。

 魔石化した鱗だったら高値になるらしいが、高値で売れるには条件があり、トレスティニオが生きている状態で魔石化した物でないとダメらしい。つまり死んだ今の状態で私が宝石鱗を魔石化させても意味がない、ということだ。

 魔石化した鱗を備えたトレスティニオはその鱗を積極的に攻撃手段として使用するため、魔石鱗を手に入れようと思ったら気付かれる前に奇襲を仕掛けて倒さなければならない。そのため、今回の戦闘で魔石鱗の収穫は無し。う~ん残念。





「やっぱりアニスの髪は綺麗ね。さすが私とお父さんの娘だわ」


 ある日のこと。お父さんが王都へと向かったため、家には私とお母さんの二人しかいない夜。

 シャワーを終えた私の髪を、お母さんが櫛で梳いてくれている、そんな穏やかな時間を過ごしていた。


「お母さん譲りの髪だからね。できるだけ手入れを欠かさないようにしてるし」


 日本人の時は長すぎると面倒だったのでせいぜい肩くらいまでしか伸ばしてなかったが、アニスの髪は本当に綺麗な紫色で、切るのがもったいないくらいだ。とはいえ腰まで伸ばすとさすがに長すぎるので、だいたい背中辺りまでの長さをキープしている。


「……でも、もう少ししたらアニスの髪をこうして梳くことができなくなると思うと、寂しいわ」


 あと数ヶ月もしたら私は王都の神殿で生活することになる。アニスとしてそのことを考えると、私も家族と会えなくなるのは寂しい。


「ねぇアニス。もし貴女に魔力が無かったとしたら、将来は何になりたかったのかしら?」

「えっ!? 魔力が無かったら?」


 考えたことなかった。そもそも今の私の将来――というか目的は、元の世界に帰ること。もし私に魔力が無かったら、元の世界に帰れるという可能性にすら辿り着けなかったかもしれない。そう考えると――。


「この雑貨店を継いでたんじゃないかなぁ」

「アニスは頭が良いんだから、こんな小さな村で終わるわけないわよ。私の予想だと、学者か何かになるんじゃないかしら?」


 頭が良いと思われる要因は、完全に前世の知識と教育の賜物だ。精霊院の教育システムでこの国のほとんどの人に基礎教養はあるものの、二桁三桁程度の暗算が出来る人なんてのはほぼいない。

 そもそも、村の知恵袋的存在である精霊院院長――現神殿長と私が知識交換してる場面を村人が目撃してたり、以前鍛冶屋のホコインジさんに作ってもらった揚げ物用網を筆頭に、生活に役立ちそうな物を私が提案して作ってもらったりしており、その知識量と発想力、そして魔導師級の魔力持ちのおかげで村では神童扱いされはじめている。私としてはそんなつもりじゃなかったんだけど。


「あんまり忙しい生活は送りたくないし、ほどほどに稼げてゆるい生活ができたら私は満足かな。だから忙しそうな学者は向かないと思う」


 この世界の学者が実際に忙しいかどうかは知らないけれど。まぁそんなイメージがあるということで。

 程々に稼げてゆるい生活、というのは、私がこの世界で意識を持った直後に掲げた目標だ。だからこの場で適当に出した言葉、というわけではない。

 もし本当に魔力が無かったら、実際にその目標に向けて頑張っていた可能性は大いにある。


 ――だがこれらは全部、たらればの話で、もしもの話で、IFの話だ。もう、これらが現実に起こることはない。


 もしもの話……か。私が私の目的に向けて進むに当たり、どうしても避けては通れないことがある。確認するなら、今しかない。


「お母さん。もしも……もしもだけど、私が実はアニスじゃなかった、ってなったら、どう思う?」


 実現できるかどうかは別として、私が元の世界に戻った場合、このアニスの身体がどうなるかわからない。本来のアニスの意識が戻ってくるかもしれないし、意識の無い抜け殻になるかもしれない。最悪の場合は死もあり得る。この身体ごと地球に戻る可能性だってあるかもしれない。

 もしその時が来て、何もわからないままに娘のアニスがどうにかなっていた、という事態は避けたい。だからどこかの時点で、私の真実を家族に告げなければならないと思っているのだが……さすがにまだ全てを話すわけにはいかない。

 だから私は、もしもの話として切り出した。


「それって……アニスが初めて魔法を使った時のことかしら?」


 えっ!? と私は驚いて振り向くが「まだ途中だから動かないでね」と、強引に首を戻された。


 ……いやいやいやいや、バレてる? バレてるの? 私がアニスじゃない別人だってこと、最初から知ってたの?

 焦りと混乱で頭が真っ白になりつつ、私はされるがままに優しい手付きで髪を梳かされ続ける。


「あの時は確かに別人みたいになって驚いたけれど、それでもアニスはアニスだわ」


 その言葉には、一片の揺るぎも無い信用と信頼、そして愛情が感じ取れた。


 ……そういえば、私の意識になって初めてポートマス元院長と会った時には、速攻で見抜かれてたな。その時の会話で元院長はお父さんから「アニスの様子が変わった」と相談を受けたと言っていたっけ。

 親なら気付いて当然の変化だったのだろう。そしてその変化を受け入れたうえで、私の両親は私をアニスとして愛情を注いでくれているのだ。


「もしアニスが言うように本当は別人だったとしても、貴女はアニスとして今を生きて、アニスとして最善だと思う行動して、アニスとして私達を慕ってくれてる。だったらそれはもうアニス以外の何者でもないじゃない。だから貴女はアニスなの。私とブルースの、大事な、大事な一人娘」


 お母さんは髪を梳く手を止め、後ろから優しく抱きしめる。

 私はお母さんのその手に触れて、その愛情たっぷりのぬくもりに応える。


「アニスは頭が良いから、私達には想像もつかないような考えや悩みを持ってるかもしれない。たぶん、私達ではアニスの力になれることは少ないでしょうね。でも、親として寄り添うくらいはできるから、もし何かに躓いたり、行き詰まったり、不安だとか、苦しいことが起こった時には、すぐに帰ってきていいからね。お母さんとお父さんはいつでも、いつまでもアニスの味方だから」

「……うん。頼りにしてるね」


 お互いの言葉、終わりのほうは少し震えてたかもしれないが、多分気のせいだ。そうしておこう。

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