71.豚人をなだめよう
さて、このサクシエル魔法学園の敷地内で、なんだか感情的になっている豚人を見かけて、ちょっと危なそうだからさっさと立ち去ろうかとモモテアちゃんと話してたところ、耳の良い豚人がそれを聞いて難癖つけてきた、という状況。
難癖の内容は「自身が危険人物だと思われている」というもの。……ぶっちゃけ事実でしかないんだけど、感情的になっている相手にそれを指摘したら、どう考えても火に油を注ぐだけだ。なのでやんわりと否定する必要がある。
少し考えて、学内を歩いている時のモモテアちゃんとの会話で「ここではいろんな場所で引っ切り無しに魔力を感じるから、もしこっちにいきなり魔法が飛んできたら、反応できるかちょっと怪しい」みたいなことを言っていたことを思い出す。つまりモモテアちゃんの魔力感知が発動しっぱなしなわけだ。――よし、これを使おう。
とりあえず接客経験から、こちらが悪くなくてもまずは謝罪から入る。
「……申し訳ありません。軽率な発言でした。あなた方が危険という意味ではなかったのですが、誤解させてしまったのでしたら、心より謝罪いたします」
豚人の後ろを付いて来る蜥蜴人は私を貴族の令嬢か何かと勘違いしているみたいなので、そのまま勘違いを加速させるような言葉遣いで謝罪する。
ついでに頭を下げたいところだが、この世界ではそういう習慣はない。なので右手を胸に、左手でスカートを摘んで跪く。この動作、状況によりけりだが相手に対してこちらは逆らう意思はありませんだとか、立場が下であることを表したり、相手に敬意を払っているといった意味もあるので、この動作の意味をちゃんと理解している者ならば一定の効果はあるはずだ。
そして案の定、目の前の豚人は「お……おおう」と少々面食らったような表情を浮かべる。作戦通り!!
「――この子は私の従者なのですが、この場所に来てから『ずっと魔力感知が働いていて守りにくい』と言っていました。ここでもし魔法による襲撃を受けた場合、反応が遅れる可能性を危惧していたため、この場をなるべく早く離れるように進言してくれていたのです。ですので、彼女の発言を悪く思わないでいただけたら、こちらとしてもありがたいのですが……」
あくまで私の立場を下手にしつつ、誰にも非がないことを強調する。……これが酔っぱらい相手とかだと何言っても通じないけど、少しでも理性のある相手なら、多少なりとも冷静になってくれるはずだ。……私の経験上では。
「ほらアニキ!! 貴族のご息女を跪かせるとかヤバいですって!!」
「あ……あぁ、いや、まぁ……う~ん」
これはあれか? さすがに悪いなぁと思いつつも、自分から絡んだ手前引っ込みつかないみたいな、そんな葛藤が見え隠れする。
もうひと押し何かできないだろうか……あっ、こういう時は相手の気分を上げてあげると大体丸く収まる気がする。世間話で相手をヨイショするのだ。
豚人に関する話題といえば、以前聞いたな。
「豚人の方々は効率的に物事を考えて、魔法の扱いに長けていると聞いたことがあります。以前知り合った猪人にそう聞きました。貴方のような方はこの学園でも優秀な成績を残しているのではないでしょうか?」
言外に「賢いのならこれ以上私に絡むような愚かな選択はしないでね」というメッセージを含んでいるのだが、伝わるかなぁ……。
「お、おぉ!! 俺たち豚人は特別だからな!! 魔法の扱いはお手の物だ!! いやぁ、貴族の令嬢さんにまで俺たちの優秀さが伝わってるとはなぁ。あっはっは!!」
うっ!! 単に調子付かせただけだった!! どうしよう!!
……と思っていたら、豚人が急に大人しくなった。
「ひ、引き止めてすまなかったな。この学園は基本的には安全だが、たまに魔法の流れ弾が飛んでくることもあるから、そっちの嬢ちゃんが言う通り危険がまったく無いとは言い切れない。敷地の外まで俺たちがついて行ってやろう」
反射的に「いえ、私達だけで大丈夫です」と断ろうと思ったが、豚人は私達を直視できずにいる。どうも罪悪感とか照れ隠しとか、そういった感情が複雑に絡んでいるもよう。
ただのガキだと思って難癖つけるも、話してみたら自分を褒めてくれるようなお人好しだったため、自分の行動が恥ずかしくなった、といったところか。ついて行ってやるという言葉も、罪滅ぼし的な意味があるのかもしれない。基本的にはこの豚人も良い人なのだろう。
なので断るのも酷かと思い、私の口からは「では、お願いします」という言葉が自然と出てきた。
私が出てきた建物から門までは多少距離がある。なので歩いている間、自然と世間話が発生する。
「そういえばさっき言ってた猪人ってのは、どこのどいつなんだ?」
うっ!! 村に来たあの猪人の名前なんだっけ!! もう一年くらい前だからなぁ。なんか頭痛薬みたいな名前だった気がするんだけど。
「えっと……一年ほど前に訪れた調査隊のメンバーで、魔法は使えないようでしたから、おそらく傭兵協会所属の、ロキソ――」
「ロニスンの野郎か!! アイツが褒めてただと? おい嬢ちゃん、アイツ他に何か言ってたか?」
ロキソニンじゃなかった!! そうだロニスンさんだ!! 危ない危ない。
えーっと、ロニスンさんが豚人に関して言ってたことは……。
「他は確か……インテリだとか、己の牙を磨かないから禿げ上がるんだ、とか――」
「……あぁん?」
直後、私の視界がブレた。同時に何かが身体に衝突し、一瞬だけ宙に浮く。背中に衝撃が走り、轟音が聞こえた。身体に何か重い物が乗っかっている感覚がして、視界がやっと正常に戻る。
地面に倒れた私の上に、モモテアちゃんが乗っかっている。そして私が今までいた場所に、豚人が振り下ろした鈍器が地面に穴を穿っていた。
「今の言葉は聞き捨てならねぇなぁ。俺たちの牙が磨かれてないか、その身その目に焼き付けておけや」
この豚人がいきなり攻撃を仕掛け、モモテアちゃんがとっさに反応して私を押し倒した、という状況のようだ。
どうやら私の言葉が癪に障ったらしい。いや、正確には私の言葉じゃなくてロニスンさんの言葉なんだけど!! ――と、言っても聞く耳持たなそうだなこれは。
私とモモテアちゃんはすぐに起き上がって距離を取る。豚人は地面に突き刺さった鈍器をゆっくりと持ち上げ、肩に担ぐ。あれは……メイスか? 柄の先端に宝石が見えるので、彼にとっての杖ということなのだろう。
「なんでいきなり攻撃してくるんですか!! 別に私は豚人が肉体的に弱いとか思ってないですよ!!」
「だがロニスンの言葉で、そういう認識を少しは持ってるはずだ!! ついでに言うと俺たちは禿げてねぇ!! 毛が短いだけだ!!」
あ、そっちも気にしてるのね。
……この豚人、少しは良い人かもと思っていたが、前言撤回。こいつは超面倒くさい奴だ。関わるんじゃなかった。いや、向こうから絡んできた以上、回避不能と言わざるを得ない。
モモテアちゃんは私を守るように前に出て、太ももに隠し持っていた短剣をすでに抜き放っている。彼女は普段から木刀で剣術を習っているが、木刀では今みたいな危機には心許ない。かと言って金属製の剣を扱うには、子供の彼女には重すぎる。なので短剣だ。
「あぁ……アニキの逆鱗に触れちまった。悪いがお嬢さんがた、諦めてくれ」
蜥蜴人が速攻で諦めてる!! えっ、止めてくれないの!?
「おいブロットォ!! 保険医呼んどいてくれ!! なるべく傷は残さねぇようにしておきたい!!」
ブロットォと呼ばれた蜥蜴人は「へい!! アニキ!!」と返事をして、この場を離れていく。
……危険なのか優しいのかハッキリしないなコイツ!! 私達の傷の心配するなら、最初から傷付けない選択をしてよ!!
とりあえず、現状では戦闘は避けられそうもない。話し合いはおそらくもう無理、痛いのは嫌だから大人しくやられる選択も無し。だったら、この豚人を戦闘不能にするしかない。
「……モモテアちゃん、アイツ倒せる?」
「無理ですお姉さま!!」
即答された。
ありゃ? 駐在兵の人から剣術習って、最近では騎士見習いであるアレセニエさんを師匠と仰いでいるし、昨日は人混みを後ろ向きでスイスイ移動する技術を見せ付けられたから、それなりに戦闘もこなせるものかと思ってたのだけど。
「力の差が違いすぎてすぐ負けちゃうよ!! 兵士さん達からも師匠からも、絶対に勝てないから大人相手に立ち向かうな、守ることだけ考えろって言われてるんだもん!! そうすれば、アニスお姉ちゃんが絶対に勝ってくれるって!!」
おぉぅ、モモテアちゃんの言葉遣いが戻ってる。涙目になって、脚も震えてる。そりゃそうか。中身が大人な私と違って、モモテアちゃんはまだ7歳の子供だもんな。……ちょっと酷なことを言ってしまったなぁ。反省しないと。
モモテアちゃんの役割は私を危険から守ることで、私が必勝の魔法を放つ時間を稼ぐこと、ということか。魔導師級の私がアタッカーになるのは必然だな。
モモテアちゃんも魔術士級ではあるが、今回は相手も魔術士だ。魔法戦になるとまだ習いたてのモモテアちゃんでは分が悪い。
「ごめんごめん。今回は私が前に出るから、モモテアちゃんは下がってて。大丈夫、心配しないで。あんな奴に負けないから」
「……うん」
モモテアちゃんの頭を撫でて落ち着かせる。ふと、こういう場面だと私も恐怖心が多少なりともあるはずなのだが、今回はあんまりないことに気付く。ちょっと考えてみたが、おそらくは大当たりな情報を聞いた直後なせいで、私のテンションが上っている可能性が非常に高い。怖いもの知らずな状態なのだ。
「おい、そろそろいいか?」
豚人がメイスを肩に担いだまま、そう話しかけてきた。律儀に待っててくれたんかい!!
「あのー、今更ですけど穏便に済ますことはできないですか?」
「無理だな。これは亜人の矜持に関わることだ。俺の強さを身を持って認識してもらうまで、逃がしゃしねぇ。なぁに、俺は魔法を使わないでやる。磨いた牙を示す必要があるからな。短剣持った嬢ちゃんは魔力感知ができるなら魔術士なんだろ? 俺は2対1でも構わねぇぜ? つっても、アンタのほうは何もできなさそうだがな」
おっ、コイツ完全に油断してるな。私を何もできないか弱い女の子だと思い込んでいる。その油断が命取りになるということを、思い知らせてやる!! あっ、もちろん命取るつもりはないけどね!!
おかげさまで5万PVを越えました。ありがとうございます。
まだまだ続きますので、今後とも宜しくお願いいたします。




