65.グラッジーア軍事長
「アニス殿ならそう言うと思っておりましたよ。で、あれば、お付きの方々には席を外してもらわねばなりません」
ありゃ。そうなるのか。ソファの右側に座るアレセニエさんは少々神妙な顔付きになり「しかしそうなるとアニス様の守りが……」と渋りを見せる。
左に座っているモモテアちゃんは、物珍しげに部屋を見回していた視線をこちらに向け「難しい話はわからないから、お姉さまの言うことを聞きます」と、私に判断を委ねた。……何も考えてないとも言える。
「まぁ軍事長が来ないことには話そうにも話せませんので、それまではここに居てもらっても構いませんよ。彼女が来るまで、雑談でもいたしましょう。何か聞きたいことはありますか? なければ私からアニス殿に聞きたいことが色々とあるのですが」
うむむ、ここでこの学園長に会話の主導権を握られると、なんだか質問攻めにされそうな気がする……。村に来た時から私の魔法に興味津々みたいだったし、相手は探求の魔導師の二つ名を持っているのだ。根掘り葉掘り聞かれた時、うっかりマズいことを私が喋らないとも限らない。それは避けたい。
となると、私が取るべき行動は一つ。
「えっと聞きたいことと言えば、軍事長って元軍医という話でしたよね? 経緯が気になるので聞きたいと思ってたんですけど……」
質問攻めにされる前にこちらから話題を振る。丁度気になってたこともあったし。
「ほう、グラッジーア軍事長の経緯ですか。彼女は元々、ただの町医者でしてね。評判と腕が良かったため、軍にスカウトされて軍属となったのですよ。そして軍医となってからの行動がなかなか面白くて――」
学園長の話によると、今の軍事長は怪我の治療よりも、怪我の予防を徹底したらしい。兵士達が魔物退治に行く場合、魔物の特性から、退治予定地の地形、地形に適した陣形展開、状況に応じた対処法などを隅々まで調べ上げ、それを当時の軍事長へダイレクトに働きかける。感心しつつ面白がった軍事長はその調査をそのまま採用し、その結果、大幅に怪我人を減らすことに成功。
とはいえ怪我人、死亡者はどうしても出てしまう。そのことに心を痛めていたある日、今度は彼女に時空魔法の素質が芽生える。
時空魔法によって死んでも生き返る、という状況は兵士の士気を大いに高めた。その絶大なる安心感、そして彼女の立てる作戦の安定感、さらには人望からくる信頼感。祭り上げられるには十分だった。
当時の軍事長も後任は彼女しかいないと太鼓判を押し、晴れて軍医から軍事長となった、とのこと。
「――彼女は当初辞退していましたがね、かといって彼女以上に有能な軍人がいないことは彼女自身も感じていたようでして。しかたなくという感じで、彼女は軍事長の任を務めることになったのですよ。今ではすっかり板に付いているようですが」
「私のいない所で私の話をするのはあまり感心しませんね。探求殿」
――えっ!? と思った時には、部屋の中に私達以外の人物がいた。グラッジーア軍事長だ。彼女が学園長の座る椅子の後ろに立っていたのだ。いつの間に!?
「おわっ!! ……驚かさないでくれませんかね、軍事長殿。老体には少々堪えます」
「でしたら私の赤裸々な過去をあまり言いふらさないでくださいませ」
すました顔でそう言い放つと、軍事長は私のほうに顔を向ける。
「お待たせして申し訳ありませんアニス様。グラッジーア・トレオラール、只今参上いたしました」
柔和な笑顔で挨拶するグラッジーアさん。まったく敵意など感じない佇まいを醸し出しているのだが……あまりにも唐突に現れたせいで、私の警戒心が解けない。
部屋のドアが開く音も、窓が開いた形跡も(5階なので窓から侵入してたらそれはそれで怖いが)、足音の一つも聞こえなかった。
本当に突然、そこに現れたのだ。
「今、どこから入ってきました?」
「ふふふ。どこから、と問われれば、部屋の外からとしか言えませんが。驚いてもらえたのなら成功ですね」
扉でも窓でもなく「部屋の外」から? ……あぁそういうことか。時空魔法で空間を操って入ってきた、ってわけか。時空魔法、便利すぎる!!
「さて、アニス様の褒美として時空魔法の知識を授けることになっているわけですが、その権利はアニス様のみに適用されます。お付きのお二人には退室をお願いしなければなりません」
グラッジーアさんも学園長と同じことを言う。どうやら規定事項らしい。
「うぅ……自分はアニス様の盾としてここにいます。耳を塞いでおきますので、アニス様の側にいることは――」
「あら? アレセニエはあの時から多少は忠誠心が根付いているのですね。感心です。ですが残念ながらなりません。……というか貴女、王都に来たのなら騎士団長に経過報告する義務があるのではなくて?」
次の瞬間、血の気が引いた顔をしたアレセニエさんが瞬時に立ち上がり、私に跪いた。
「アニス様、今しばらくアニス様の盾としての任を離れることをお許しください……!!」
言うが早いか、アレセニエさんは部屋を出ていった。騎士も大変なんだなぁ。
残るはモモテアちゃんだが「モモテアちゃん、部屋の外で待っててくれる?」と言うと「わかりました!! お姉さま!!」と、気持ち良い返事が返ってきて、すぐに退室してくれた。
「あの少女は……?」
グラッジーアさんにそう問われるが、さてどう答えたものやら。モモテアちゃんは魔力感知ができない私を補う、魔力感知要員だ。学園長は村に来た時に知っているからその辺の事情を話しても問題ないが、グラッジーアさんは違う。
「アニス殿は魔導師級とはいえ平民なのだから、大人の護衛を常に付けておくと色々とマズい時があるのではないか? 状況によっては同年代の護衛を付ける必要があり、そういった者の育成のために
今回連れてきたと見るが、いかがかな?」
学園長がそう考察する。ん~残念!! ……と言いたいところだが、学園長はグラッジーアさんから見えないように、私に対してウインクした。あっ、これ、事情を完全に察した上で話してる!!
状況を理解してわざと誤魔化してくれているのなら、乗らなきゃ損だ。
「よくわかりましたね。さすが探求の魔導師!!」
お礼を込めておだててあげる。グラッジーアさんも感心しつつ、その説明に納得したようだ。
「では早速、時空魔法の講義といきましょうか。探求殿、隣失礼致しますね。アニス様、時空魔法について何処までご存知でしょうか?」
そう問われて、今まで聞いてきたこと、見てきたことを思い出す。
「えーっと、四属性以外に属する異端魔法の代表で、手練た者ならコップ程度の物を20バム(約30分)程度止められると聞いたことがあります」
これは私が初めて院長に魔法について聞いていた時に出てきた話だ。この話の直後に、私は大怪我をしたのでしっかり覚えてる。
「あと、条件さえ合えば死者を蘇らせることができるとも。死んでなくても、大きな怪我でも時間を戻して無かったことにできる、というのを、ついこの間この身を持って経験しました」
痛みが瞬時に無くなったあの感覚は正直驚いた。たぶん今後もあの感覚を忘れることはないだろう。
「時空魔法を使える者は非常に稀で、魔導師よりも希少だと聞きました。素質か才能か、少なくとも努力でなんとかなるようなものではないみたいですね」
時空魔法が使えないかと私も何度か挑戦してみたが、私には時空魔法の素養はないらしい。
「そしてグラッジーア様が突然現れたのは、時空魔法を使ったからなのではないですか? そして先程グラッジーア様を呼び出した魔道具も、時空魔法を利用しているのではないかと推測するのですが……合ってますか?」
私の言葉に二人は一瞬神妙な顔付きになり、そしてすぐに破顔した。
「いやはや、普通の者はその発想にそうそう至れないのですが、やはりアニス殿は別格ですな!! ご明察。その推測で合っておりますよ」
学園長はそう言うが、私の場合は日本で培った知識のおかげだ。主に漫画やアニメ、ゲームなど。時間と空間を扱った作品なんてごまんとあるため、イメージが容易なのだ。
しかしこの世界の人にとっては違う。そんな娯楽作品なんて無いだろうし、時間や空間を操るイメージなんて言われても、想像すらできないはずだ。
……そう考えると、グラッジーアさんは凄いってことだなぁ。イメージを固めるのに相当苦労したのではないだろうか?
「そこまで理解力がおありだと、講義などしてもあまり意味がないかもしれませんなぁ。私が説明してる最中に『それは理解しましたから次を』などと言われたら、教育者として自信を無くしてしまいそうです」
「……いやいやいやいや、そんなことしませんから、ぜひお願いします」
笑いながら言っているので冗談なのだろうが、私はあまり笑えない。是が非でもこの講義を聞く必要がある。元の世界へと戻る手がかりを得るためにも。




