2.家族と生活
翌朝。
昨夜は前世の記憶を思い出したせいで頭に負荷がかかったが、一晩寝て完全にスッキリした。フカフカのベッドでもうちょっと温もりを感じていたい気もするけれど、これ以上寝ると朝食に遅れてしまう。
誘惑を断ち切ってひとまずベッドから降り、まずは鏡を見る。
最初に目に飛び込んでくるのは見事な紫の髪。癖のあるというべきかウェーブがかったというべきか、ふわりとしたボリュームのある紫色の髪が背中の中ほどまである。アニスは毎朝この髪をリボンでツーサイドアップにしているので、この身体に染み込んだ手付きで私もそれに倣う。
次に目に入るのは、クリっと大きく開いた翡翠色の眼。元日本人としてはこんな色の眼なんて見たこと無いので、物凄く綺麗で印象的だ。
そして最後に無駄のない整った顔立ち。あれ? 私ってもしかしてかなりの美少女じゃない? 前世では地味で目立たず、芋顔なんて言われる始末だっただけに、この変化はちょっと衝撃的だ。まるで生まれ変わったよう……って、まさに生まれ変わったのだったそういえば。
ひとしきり自分の可愛さを堪能したら、テーブルの上に昨夜から用意してあった盥で顔を洗い、歯を磨く。現代的な歯ブラシや歯磨き粉などという工業製品はこの世界には無いため、歯ブラシは木の枝、歯磨き粉は炭だ。ただ、歯ブラシになるこの木の枝は、先端の皮を剥ぐと細かく柔らかい繊維が露出し、これがブラシ代わりとなる優れ物だ。歯に炭を付けて、木の枝歯ブラシを縦にして磨き、盥の水にブラシを浸けてまた磨く、を繰り返す。テーブルの上には飲み水用の木の水差しと木のコップがあるため、それを使って口の中をゆすげば歯磨きは完了だ。
口の中がスッキリしたところで、寝間着から普段着へお着替え。今の私はしがない一般庶民の娘なので、フリルのいっぱい付いた豪奢なドレスなどというものはここには無い。シンプルなワンピースにベストという、洒落っ気も何もない格好がアニスの普段着である。
「アニス、もうすぐ朝ごはんができるわよ」
ドアの向こうからほんわかした女性の声がした。アニスの母、アニーだ。私は「今行くー!!」と声をかけ、使用済みの盥を持って部屋を出た。
裏口で盥の水を捨て、日の当たる場所に置いて乾かす。元日本人の衛生感としては一度盥を洗ってから乾かしたいところだが、洗うにしても水のある場所が遠いし、この世界の衛生感ではこれが当たり前なので、ひとまずこの世界のやり方に従う。いつか改善できたらしたいところだ。
ダイニングに着くと「アニス、おはよう」と男性が挨拶してきた。こちらはアニスの父ブルースだ。一見するとヒョロっとして頼りない印象を抱くが、アニスの記憶では頼もしい父親らしい。
私が「おはようお父さん」と満面の笑顔で挨拶を返すと、デレっとだらしない顔をした。あ、これは完全に親馬鹿入ってるな。
そんなやり取りをしていると、ほんわかとした雰囲気を放つ紫髪の女性、母のアニーが食卓にお皿を準備し終えたところだった。
おっとりした可愛い系で、この父親にはもったいないのではないか? と思うくらい良い女性だ。同じ紫色の髪であるため、間違いなくアニスは彼女の娘だ。
そんな感想を持ちながら私は食卓に着き、母の「さぁ食べましょう」という声と共に、私達は右手を料理の上にかざし、右手の上に左手を重ねる。
「今生の糧をお恵みくださる精霊に感謝を」
目をつむり食前の祈りを捧げながら両手を胸の前へ。これがこの世界の「いただきます」になり、食事の開始の合図だ。
メニューはフワフワのパンに鳥肉がたっぷり入ったスープ、そしてサラダ。この辺では一般的な食事だが、前世では朝食といえばご飯と味噌汁!! な生活をしていたため違和感が半端ない。しかしアニスにとっては馴染みのメニューであるため、二人分の記憶を抱える私は感情の齟齬というか矛盾が発生している。これはこれで美味しいには美味しいのだが……この世界にお米があれば是非とも手に入れたい。
「そろそろ王都に行く頃よね? 売る物は決まってるの?」
「いつも通り小麦粉と、ザバニロさんから牛肉の燻製と鶏3羽、ホコインジさんから包丁の販売を頼まれてるね。君の菜園の野菜も少し持っていこう。以前持っていったら評判が良かったからね」
「それじゃあお願いしようかしら」
「アニスは何か欲しい物とかあるかい? お土産に買ってくるよ」
「んー……じゃあ何か珍しい物が食べてみたいかな。この辺では食べられない物が食べてみたい!!」
父ブルースはここから馬車で3日ほどの位置にある王都へ、定期的に村の生産品の販売と村で賄えない生活用品の仕入れに行っている。もしかしたら王都になら米があるかもしれないと思い、そうおねだりしてみた。
何故直接お米をねだらなかったかというと、まずこの世界にお米が存在するかどうかがわからないということ。もしあったとしても、お米に該当するこの世界の単語がわからない。特徴を説明するという手も考えたが、今度は見たことも聞いたこともない物を7歳の少女が何故知っているのか? という疑問を両親に持たせてしまう。それは避けたい。
そんな事を考えつつ、家族との対話を『表面上こなしながら』食事を進める。……いや、アニスにとっては親愛なる家族であるが、前世の記憶から見れば完全に初対面の赤の他人なのだ。この関係に感情の矛盾が発生するのはむしろ自然であろう。
この両親の前で子供らしくない変なボロを出してしまわないかと内心緊張しながら、ひとまず無難に食事を終える。食後、父は表の雑貨店の開店作業に、母は裏の菜園へ農作業に行く。そして私はというと、子供の特権自由時間だ!!
……とはいうものの、何をしようか? いつものアニスならば、この村唯一の同年代の女の子と遊ぶのが日課になっているのだけれど、たまたま今日は家の手伝いで遊べない、と記憶の中にある。
将来設計に向けて今から何か始めるか? といっても今の私にできることなどそう多くない。
今の私にできそうなこと……あ、魔法の習得があった!!
魔法が使えれば確実に役立つ。以前のアニスでは魔法が発動せず、素養が無いと言われているが、今の私でなら使える可能性があるため、検証する価値は充分あるだろう。
とはいえアニスの記憶には魔法の知識が全然無いため、まずは魔法が扱える人物に教えてもらう必要がある。そして一番身近な魔法が扱える人物は……ブルースだ。
なんと父は商人のくせに魔法使いだった!!