19.閑話 恩師と子供と魔物退治
私はパラデシア・アガレット・プルーメトリ。英雄アガレットの子孫であり、上位貴族プルーメトリ家の三女になります。もう22歳になりますが、家督は兄上が継ぎますし、姉上方も結婚しているので、私が結婚していなくても家は安泰です。
子供の時、私に魔力があることがわかりました。
貴族で魔力持ちであるなら、世のため民のために使うのが道理。しかし当時10歳に満たない私はまだ魔法学園に通えないため、神と精霊の信徒になって神殿で教えを請うことを希望しました。
神殿で師事したのは当時神官長を務めていたポートマス様。彼は魔力量はそこまで多くないものの、細やかな魔法操作を得意とし、巡礼時代には各地で活躍したと聞き及んでいます。
そんなポートマス神官長に教わったおかげで、私は魔法の腕をどんどん上げ、10歳になって魔法学園に入学してからもポートマス神官長を目標にさらに磨きをかけていきました。
12歳の時にポートマス神官長は神殿を出てしまい、私は悲しみに暮れましたが、しかしいつまでも悲しんでいてはそれこそポートマス様に顔向けできません。気持ちを切り替えて、より魔法の腕を上げていきました。
学園に入学して2年目に、グループによる初めての実戦授業がありました。私は神殿にいた時から神官と一緒に何度か魔物退治をしていたので実戦は初めてではないのですが、入学してきた大半の年かさな平民はそうではありません。
私と一緒のグループになった者は、己の力を試せる良い機会だと勇ましいことを言ったり、実戦とはいえ弱い魔物しかいないのだからそう問題はないだろう、とのたまうような楽観的な者ばかりで、唯一実戦経験のある私の言葉など聞こうともしません。
学園内では特例として貴族も平民も皆身分差無く平等であれ、となっているのでそこは問題ないのですが、経験者の話を聞くのは身分関係なく当たり前のことだと私は思うのです。
……まぁ、今にして思えば年齢差のせいだということに思い至ったのですけれど。
そしてやはりといいますか、当然の如く問題が起きました。
実地にて一匹の魔物を発見した私達ですが、さきほど勇ましいセリフを放っていた平民男性が我先にと突出し、やや過剰な威力の魔法で魔物を倒しました。
たしかにこの魔物は一般的に弱いと言われています。――ただし一匹であれば。この魔物の真価は群れにあり、この魔物と対峙する時は周りに別個体がいないか十分に索敵した上で退治すること、と授業で習ったはずです。
それを怠ってしまったのですから、周辺に潜んでいた魔物は仲間を殺されたことで私達を敵とみなし、数の暴力で私達に襲いかかってきました。
突出していた者は最初に放った魔法のせいですぐに魔力切れを起こし、楽観視していた平民女性はがむしゃらに魔法を放ったのち、あまりの数に対処するのは無理だと悟ると恐慌状態に陥ってしまいました。
その他、逃げ惑う者、無謀にも突進する者など、グループは完全に瓦解。
私は彼らを見捨てるわけにもいかず、持てる力を振り絞って守りながら、彼らが逃げる時間を稼いで持ち堪えていました。他の者が呼んできた教師の助けが来る頃には、全員満身創痍でした。死者が出なかったことが奇跡です。
その件がきっかけで、私は平民の魔術士を信用しなくなりました。手にした知識を活用できず、己の力に驕り高ぶり、せっかく開花した能力を無駄に持て余す。自信過剰、慢心、不遜、独善的。私にとって平民の魔術士はそういう評価になりました。
順調に行けば4年ほどで卒業できる目処が付いていましたのに、私が平民との共闘を極端に嫌うようになったおかげで、卒業まで6年もかかる羽目になりました。
――だからこそポートマス元神官長から、平民の子供に魔術士級の魔法の扱い方を指導してほしい、という手紙が来た時には目眩がしました。
正直気は進みませんが、しかし恩師であるポートマス様の頼みです。無下にしたくはありません。そして今まで少々長い旅に出ていたため、この手紙が半年前に届いた物と聞いてしまっては、さすがの私も返答が遅れた上に断るなど、大変失礼に当たると考えました。
10年振りにポートマス様にお会いできる機会でもありますし、私はその依頼を受けることにしました。気は進みませんが。
本来なら手紙で返事を送り、来訪する旨を伝えてから行くのが礼儀ですが、ポートマス様のいらっしゃる村への連絡、ないし移動手段が、月一に来る村の雑貨店の買い付けのみというではありませんか。
大変待たせている手前、悠長に手紙を送って次の月に来訪する、というのはありえません。貴族としては少々はしたないですが、直接来訪することにしました。
実家に馬車はありますけれど、これは公務に関わる移動で使用する物ですから、今回のような私用で使っていい物ではありません。
アプリコ村の雑貨店店主だというブルースが王都へ来た際に接触し、村まで乗せてもらうように交渉。ブルースは快く乗せてくれました。
道中、ポートマス様の様子を聞くとご健勝の様子。ポートマス様について色々と聞いたのですが、いつのまにか店主の愛娘の話になることがしばしばありました。道中での会話の半分ほどはブルースの娘の話になったような気がします。
ただしこの時、ブルースの娘が魔法を使えるという話は一切なかったので、アニスに会うまでブルースの娘が指導対象だとは思っていませんでした。
村に到着し、ポートマス様のいる精霊院に足を運ぶと、手紙にあった件の少女と魔法の練習をしているとのことで、客間で待たせてもらうことになりました。
出されたお茶を飲みながらしばらく待っていると、記憶にあるより幾分か皺の増えたポートマス様が、少女を伴って訪れました。
挨拶をして軽く言葉を交わし、少女を一瞥します。……ポートマス様が気にかけるに値するほどの存在なのでしょうか? 今まで見てきた他の平民と変わらないように見受けられます。
そんなことを思っていたら、ぎこちないながらも少女はしっかりと挨拶をしてきました。目上の者や尊敬する者におこなうこの挨拶動作、あとでポートマス様に聞くと教えておらず、彼女自身が機転を利かせておこなったとのこと。同時に平民にはまず縁のない王宮語で挨拶をこなしたということもあり、私は彼女の評価を少しだけ上方修正することにしました。
私は精霊院の客室の一室にしばらく滞在することなりました。
娯楽のない村なので、内容は何でも良いので講演をおこなってくれないかと打診されましたがお断りいたしました。私はあくまでアニスの指導を頼まれて来たのであって、講演となるとあまりに依頼から逸脱していると思ったのです。……講演するような内容が思いつかなかった、というのが本音ですけれど。
翌日から少女アニスへ魔力制御の指導をおこない始めました。……が、どうも彼女は怠けているようです。
まずは実力を知るために全力で魔法を放てと言っているのに、集束させる魔力はある一定の量で見計らったようにピタリと止め、そこそこの魔法を放つ。全力を出していないのは明白です。
それを指摘しても彼女は頑なに全力を出そうとはしません。全力を出せない理由が何かしらあるのでしょう。しかし教えを請いておきながら、指導者の言うことを聞かないなど舐めているとしか思えません。
次の日、院長から聞きましたが彼女は魔力の感知ができないとのこと。にわかには信じがたいですが、全力が出せないのにはこのことが関係している可能性は否定できません。
下方修正していた評価を元に戻し、魔力感知について色々と助言してみますが結果は芳しくありませんでした。
あれこれ試している時、野ウサギが目の前に現れました。丁度良い機会ですので、魔物を想定した練習台として野ウサギに魔法を放つように言うと、彼女は全力で拒否するではありませんか。
生きるために殺すこと、その必要性はこの国の民ならば身分に関係なく小さい頃から教えられることです。ましてやこのような小さな村ならば屠殺など日常茶飯事、むしろ慣れ親しんでいるのが普通です。
なのに彼女は強い忌避感を示しました。将来魔術士として魔物退治を行うならば、この感情は致命的です。自分の命や大事な者の命がおびやかされた時、その感情による一瞬の迷いが生死を分けることもあるのですから。
三日目は座学を行いまいしたが、彼女は年齢に相応しくないほどに優秀なことがわかりました。基礎知識や常識については年相応に教える必要はあったのですが、一度教えれば即座に応用方法まで理解するのです。――なるほど、ポートマス様が気にかけるわけです。しっかり育て上げれば優秀な知識層の人材になれるかもしれません。別の道に進める可能性があるのは良いことです。魔術士級の魔力がなければ、の話ですが。
……ですがそれはそれとして、全力で魔法を出せないということに私はいまだに腑に落ちていません。アニスは所詮7歳の子供です。合間合間に嫌味を言ったり挑発をおこなったりして、感情に任せて何かしらボロを出さないかと試してみたのですけれど、若干の嫌悪感を向けられながらも冷静に受け流されてしまいました。
この子は本当に年相応なのでしょうか? 受け答えや嫌味への対応は大人と遜色ありません。よく貴族同士でおこなわれる一見和やかな会話……の水面下で起こる激しい言質の引き出し合い、静かな舌戦にも対処できるかもしれないと思うほどです。
そして私は確信しました。全力を出せない何らかの理由にポートマス様が一枚噛んでいる。二人は共謀して隠し通そうとしているのでしょう。
私を教師役として呼んでおきながら、指導に必要な要素を隠す意味がわかりません。可能性としては、手紙を送った直後は隠す必要がなかったが、私が手紙を受け取る半年の間に事情が変わった、といったところでしょうか?
もし全力が魔導師級に迫るものだとしたら、国からは高待遇で受け入れられ、一生安泰を約束されたようなものですから、隠す必要など……いえ、そうでした。アニスは魔物どころか動物すら殺せないのでした。殲滅戦に使えない人材の待遇となると、私にもどう扱われるかわかりません。
ですが、ならばなぜ私にそのことを教えないのか? という疑問が湧いてきますが、そもそもアニスが魔導師級であるという前提が間違っている可能性もありますし、これ以上思考の沼に浸かるのはやめておきましょう。
一応ポートマス様にも軽く静かな舌戦を仕掛けてみましたが、成果は得られそうにありませんでしたのですぐにやめました。
本当なら数日で王都に戻る予定でしたが、この件は長期戦になりそうだと思い、四日目は私の授業を休みにして、長期滞在に必要な物を村で見繕うことにしました。生活に必要な最低限の物は精霊院の客室に備え付けてありますが、服などはもう少し数を揃えなければなりません。
村にある服飾店でオーダーしていると、急に鐘の音が鳴り始めました。
その鐘の音を聞いた女店主が「魔術士の力が必要なので、物見やぐらに行って力添えをお願いします」と促されました。その様子から高確率で魔物絡みでしょう。
村中央にそびえ立つ物見やぐらの下に行くと、やはり魔物が出現したということでした。
状況と方針を聞き、私は何故かアニスと組むことになりました。色々言いたいことはありましたが、ポートマス様が決めたことなのでこれが最善なのでしょう。何かしら思惑はあるかもしれませんが、間違っているとは思いません。
色々と準備をして森に入る直前、アニスは震えていました。……ああ、彼女は今まで見てきた平民の魔術士とは違うのですね。
魔術士の戦力として彼女は期待できません。ですが、魔物を殺せないなりに自分の身を守るくらいの能力は十分に持っているでしょう。守りを気にする必要がないというのは、一人で動きたい私にとってはとても都合が良いですし。
やられるつもりは微塵もありませんが、万が一もあります。高い能力を持つ有望な、そしてまだ幼い子供を失うわけにはいきません。可能性の一つとして、逃げる選択肢を頭に入れておくように言い含めます。
森に少し入り込むと、魔物はすぐに見つかりました。しかしその光景はあまりにも異様というほかありませんでした。その魔物は地面という存在を完全に無視して、両足を木の幹にへばり付けているのです。この魔物にとって、木こそが足を付ける地面そのものなのでしょう。
奥に目をやると、把握できないほどの数の魔物がそこにいました。……この状況は最悪です。これだけの数に対処するには、軍に討伐要請をしなければ無理です。
魔物の注意を逸らしながら逃げるにはどうすれば? と考えを巡らしていると、奥の魔物は立ち去り、一匹だけが残りました。魔物独特の習性なのか、私達の相手は一匹で十分と考えたのか。なんにしても、数を相手にせずに済んだのは幸いです。好都合と言ってもいいかもしれません。
魔物はこちらを見据えたまま動きません。私は魔物の間合いに入らないように注意しながら少しづつ距離を詰め、同時に、相手に気付かれないように杖の石突を地面に突き刺します。
しっかり刺さった感触を確認し、持ち手を支点に宝石側を左手で強打、てこの原理で杖を振り上げ土埃を枯れ葉や枝と一緒に舞い上げます。……ただ、距離があるので目くらまし程度にしかならないでしょう。こちらも魔物の姿を視認しにくくなりましたが、これで相手が少しでも怯んでくれれば十分です。
私は振り上げた杖をそのまま回転させ、宝石を魔物に向けるとイメージしていた魔法を即座に放ちます。風の刃が瞬時に木々を切り倒しますが、手応えはありませんでした。
――この初手連撃が完全に空振りしたのは想定外ですね……。
私はすぐに警戒します。すると左前方から何かが木に当たる音が、位置を変えながら連続で聞こえてきます。どうやらあれは魔物が移動する際に出す音のようです。
音の方を全力で警戒していると、突然右前方の木が鈍い音と共に激しく揺れました。咄嗟にそちらに目をやるとアニスが「左です!」と叫んだため、瞬時に罠だと悟りましたが、その一瞬が命取りでした。
顔を再び戻した時には、すでに魔物の両手が眼前に迫っていました。振り向くと同時にギリギリ杖で防御態勢を取ることはできましたが、魔物の攻撃はまるで巨大なハンマーで叩かれたかのような威力でした。
杖の折れる音が聞こえ、私の体は宙を浮き、直後に左肩に強烈な痛みが走り、二転三転する視界の中、衝撃により空気が吐き出され呼吸がおぼつかなくなり、全身の激しい痛みで意識が遠のきます。
が、意識が遠のいたのは一瞬だったようで、無意識に勢いよく空気を求めたために起きた咳と、全身の痛みですぐに現実に戻されます。
気力を振り絞って立とうとしましたが、気力でどうにかなるほどダメージは浅くありませんでした。左肩を激しく打ったせいで左腕は動かないため、右腕だけで仰向けの身体をなんとかうつ伏せにします。
そしてアニスの方を見ると、恐怖で動けず魔物を見上げたまま、今まさに魔物に襲われそうになっていました。
――万が一の時は逃げなさいと言ったのに!!
とはいえ、恐慌状態になった者はそうすぐには立ち直れない、というのは過去の経験から知っています。
もう間に合わない、どうしようもないとは思いつつも、右腕で這ってアニスの方へ向かいます。すると、アニスが座り込みながら叫び声を上げました。
その瞬間、信じられない光景が繰り広げられました。
地面から無数の大きな、そして尖った宝石が回転しながら出現し、回転が止まったかと思うとすべての宝石の先端が魔物に向けられます。
危険を察知した魔物は咄嗟に木の幹に手を伸ばしましたが、その手が幹に届く前に宝石群は魔物に突き刺さりました。部位によっては千切れ、頭を貫通する物もありましたから、確実に死んだでしょう。
しかしそれだけでは止まりませんでした。
空から雷が――神の怒りが魔物に直撃したのです。魔物の死体が瞬時に焼かれました。明らかに過剰攻撃です。
現象は更に続きます。落ちた雷は突き刺さった宝石群を伝導し、徐々にその威力を増幅していきます。
伝導を続けた魔力は宝石に溜まって魔石と化し、最終的には魔力が飽和して光を放ちながら爆散しました。
あとに残ったのは魔物だったものの下半身のみ――。
私は今起きた現象に混乱しました。一つ一つ整理しないと頭がおかしくなりそうです。
まず、アニスが放ったのは本能魔法。本能魔法には二種類ありますが、そのうちの一つ、魔力が高い者が感情を極限まで昂ぶらせた際に起こる、いわゆる暴走です。滅多にありませんが、無いわけではないのでこれは理解できます。
しかし宝石を出現させたのは理解の範疇を越えています。宝石は魔法の効果を高める媒体ですから、魔法でその宝石を生成できるとなると、私達魔術士が杖を持つ意味が無くなります。事前に地面に埋めて操った、と言うほうがまだ現実味がありますが、はっきり言って状況的にナンセンスです。
神の怒りについてはもう意味がわかりません。彼女は神の力を自在に使えるとでもいうのでしょうか? 雷を落とす、という天候を操ったのですから、魔導師級なのは確実です。……魔導師級の可能性までは考えていましたが、まさか異端魔法も扱えるとは予想だにしませんでした。
そして私は理解します。この光景を見ればアニスが全力を出さなかった理由は明白、危険だからなのですね。だからこそ私に魔力の制御指導を依頼したのだと。
しかし私は最初から彼女を信用していなかった。こちらが信用していないのに相手が信用などするはずもありません。魔導師級なのも、異端魔法が使えることも、信用されてなければ簡単に話せる内容ではありません。アニスの父ブルースも、子煩悩に見えてその線引きをしっかりとしていたことに気付きます。
座り込んでいるアニスは不意にこちらを見て安堵の表情を浮かべましたが、次に魔物の無残な姿を見た瞬間倒れてしまいました。野ウサギですら殺すことを躊躇っていたのです。こうなるのは致し方ありません。精神的な傷にならないと良いのですけど。
右腕で這い続けてようやくアニスの元に辿り着き、彼女に怪我がないことを確認します。
森の奥から魔物の増援が来ないとも限らないのでここから早く撤退したいところですが、今の私にはここから動けるほどの余裕はありません。
アニスが少しでも楽な体勢になるよう膝枕をし、右手に折れた杖を持って周りを警戒します。
程なくしてポートマス様がこちらに駆けつけてくるのが見えました。
私は助かったことに安心し、同時に意識を保つために我慢していた体中の痛みが私の意識を刈り取り、私のアプリコ村での散々な魔物退治は終わりを告げました。




