1.前世の記憶を思い出す
目を覚ますと、知らない天井なのに知ってる天井が目に入った。何を言っているのか分からないと思グエェ……!! 唐突に襲ってきた強烈な頭痛と吐き気でそんな事を考えている余裕なんて無かった。
仰向けの状態から布団を跳ね除け、口と頭を抑えてうずくまる。
指の間から抑えきれないよだれを垂らしながら、しばらくして何とか吐き気を押さえ込み、同時に頭痛も耐えれるレベルまで治まってきたところで、ようやく状況を確認できるようになった。
私の名前はアニス・アネス。父ブルース・アネスと母アニー・アネスとの間に生まれた商人の娘で、地球ではない別の異世界に住む7歳の女の子だ。
先程の頭痛と吐き気。原因として思い当たるとすればそれは一つ、いわゆる前世の記憶というやつである。
この身体が生まれた時から前世の記憶を持っていて今思い出したのか、それとも今の身体に直接流れ込んできたのかはわからないが、7歳という未成熟な脳に日本人として生きた25年分の記憶が突然入り込めば、そりゃあ頭痛も吐き気も起こるわ。
記憶が上書きされたわけではないのでアニス・アネスとしての記憶も保持しているが、人格や考え方は完全に日本人としての前世に引っ張られている気がする。
まぁそれは良いとして。
記憶が少々混濁しているので、一旦頭を整理したいところなのだが、それより先に考えなければならないことが一つ。
今の私は前世で殺された瞬間までの記憶を思い出した。重要なのはこの身体に記憶が入り込んだことでわかったこと、前世の私を殺した犯人がこの世界の言葉を喋っていた、ということだ。
現代日本にこの異世界の住人がいて、私は拐われて殺された。
正直意味がわからない。
私が狙われる理由など微塵も思い当たらないから、おそらく無作為に選ばれたのだろう。手掛かりになるものと言えば彼らが話していた言葉だが……。
この身体は7歳であるためまだ語彙力が少ない。犯人たちが使っている言葉使いが難しかったため、アニスの知識と照らし合わせて分かった言葉は、門、魔力、魔法、といった単語くらいだ。
これらの単語から予想するに、私を生贄にすることで魔力を補い、どこかに通じる門を魔法で開いた、とか、魔法を使うために異界の門を開いて魔力を補給した、といったところだろうか?
……なんで私なの!! 殺されるの私じゃなくてもいいじゃん!!
と心の中であまりの理不尽さに怒りが湧き起こる。しかし同時に殺される時の恐怖も蘇り、両腕を抱えて身震いする。
――少しして感情が落ち着いたところで、恐怖と同時に思い出したことを考える。それは犯人の顔。人間の顔ではなかったそれは、鼠の頭をしていたのだ。いわゆる亜人というやつであろう。
前世でファンタジー作品を色々と見聞きしたからこそすぐにそういう結論を出せたが、この身体の持ち主であるアニスの記憶には亜人の存在はない。何かの会話でほんのちょっと聞いたことがあるような、といったそんなレベルであり、知識としてほぼ無いと言っていい。
なのでこれは考えたところで答えが出そうにないので、頭の片隅にい追いやった。鼠の頭なんて目立つ風貌の人物たちが、現代日本でどうやって生活していたのかとても気にはなるが。
さて、(前世の)私の死に関連した考察はここまでにして、元の世界に帰れる可能性を考えてみる……が、まず無理だろう。
明らかに殺されたのだ。その状況、感触、感覚、光景――私の意識ではそれらはさきほどあった出来事で、鮮明に思い出せる。
こんなに早く死んでしまったから、家族みんな悲しんでるだろうなぁ……。
私ももう家族に会えないということを考えると、自然と涙が出てくる。
膝を抱えてひとしきりすすり泣いたら、感情が少し落ち着いてきた。なので次に考えなければならないことへと意識を切り替える。
前世の記憶を思い出したところで、私はどうすれば良いのだろう? 流行りの小説などであれば凄い能力を持ってたり、色々大きな物事を成したり巻き込まれたりするのだろうが、正直私はそんなのごめんだ。面倒事をわざわざ抱えたくない。
魔法がある世界のようなので使えるなら使ってみたいと思うが、アニスの記憶では今のところ魔法の素養は無いと言われている。まぁ、前世の記憶のせいで魔法が使えるようになってる可能性もあるにはあるが、それは追々検証するとしよう。
私としては、なるべく前世のようなゆるい生活を送りたい。すなわち程々に働いて――いや、働かなくていいなら働かずに自由に使えるお金を手に入れて、そのお金の範囲内で娯楽に……と思ったがこの世界は娯楽が少なそうなので、何か別の趣味を見つけてそれに打ち込む感じか。まぁそんな感じの生活を希望しておこう。
この7歳という年齢と25歳の日本人としての記憶。これから将来に向けて準備すれば、その程度の生活なら余裕だろう。
とりあえず今後の方針を固めたところで、さらにアニスの記憶と前世の記憶のすり合わせなどをやりたいところではあるが、どうやらそうもいかなくなった。
前世の記憶では知らない場所であるが、アニスの記憶では見慣れた天井。そう、ここはアニスの自分の部屋。そして今は夜の帳に閉ざされた真夜中の時間。
大人であれば起きてても平気だろうが、7歳の身体では……とても耐えられる眠気じゃない!!
すっかり頭痛も吐き気も無くなった私は跳ね除けた布団を再び被り、睡眠欲の赴くままにその身体を預けた。