17.ミジクの森の魔物
途切れることなく鳴り響く鐘の音。
村全体に緊張が走る。
「……院長先生、私はどうすればいいですか?」
戦闘能力がある者は魔物退治をしなければならない。
この村で魔物と戦えるほど戦闘能力があるのは、王都から派遣されている駐在兵の3人と、村の狩人が12人ほど、そして魔術士である院長とパラデシア。
そこに私も入るのだろうが、しかし私は魔物を殺せない。
ちなみにお父さんも剣を扱うことはできるが、お父さんが身に付けているのはあくまで護身のための剣術であるため、害獣や農民崩れの盗賊相手ならまだしも、今回のような危険な魔物と相対できるほどの腕はない、というのが過去に聞いた本人の談。
「貴女に力がある以上、この村には魔物を相手に戦力の出し惜しみをする余裕はありません。たとえ魔物が殺せないとしても、隙を作ったり動きを止めることくらいはできるでしょう? ですがまずは状況の確認です。話はそれからです」
なるほど、そういう戦闘の仕方もあったか!! なまじ強力な魔法を連発できるせいで、どうしても魔物を倒さないといけない、ということにしか考えが及ばなかったが、サポート役に徹すれば少なくとも私自身が殺すことはない。目からウロコである。
……できれば誰かが魔物を殺す場面も見たくはないが、私自身が殺すことに比べれば遥かにマシなのでそこは妥協しよう。
院長が自前の杖を自室に取りに戻ってから一緒に外に出ると、物見やぐらの下にはすでに戦闘可能な者が数人集まっていた。
「魔物が出たということですが、どういう状況になっていますか?」
「カリエンデルブが出ました。パーラムが遭遇して怪我を負いましたが、それ以外の被害は今の所ありません」
狩人の一人が説明しながら目線を向けると、そこには応急処置を施されている男性、狩人の一人パーラムさんが横たわっていた。怪我は酷いが意識ははっきりしているようで、命に別状はなさそうである。
院長はパーラムさんを一瞥したあと、森に視線を向ける。私も釣られて森を見ると――姿ははっきりしないがギョロッとした目がこちらを見ていた。
私は「ヒッ!!」と小さく悲鳴を上げる。
「……森の魔物は8年振りですね」
魔物発見の鐘自体は1~2年に一度くらいの頻度で鳴る。しかしそれは基本的に森の反対側、平原の方からやってくる魔物であって、森の魔物による鐘はこの体の記憶には無い。8年前ならアニスが生まれる前の話だから当たり前といえば当たり前だが。
時間が経つにつれ他の戦闘要員も集まり、パラデシアも姿を表した。
「服飾店にいたら、鐘の音を聞いた店主から急いでこちらに向かうように言われたのですけれど、緊急事態ということでよろしいのですね?」
「待っていましたよパラデシア。ええ、魔物が出現しました。少々危険な魔物ですので心して聞いてください」
院長と狩人の人達は森の魔物、カリエンデルブについて知っているが、私とパラデシアは知らないのでその説明を聞いた。
魔物の姿は毛むくじゃらで胴体は短いが手足は長く、目がギョロッとしている。身長はこの場にいる一番背の高い狩人の人よりも大きいと言うので、2メートルを越えるのだろう。……小さい猿みたいなのじゃなかったのか。
そして一番の特徴が、木々を非常識に渡り歩くことだという。そんなデカイ図体で樹上生活するのは普通なら大変そうだが、非常識というならそれも納得。高い所を長い手足で木々を伝って移動するとなると、確かに厄介だ。攻撃手段は遠距離攻撃に限られるし、生い茂る木々の上に隠れられたら発見するのも難しい。
普段は森の深部に生息しているのだが、極稀に森の浅い所に姿を表す。パーラムさんはそこでやられたらしい。そしてカリエンデルブは、絶対に森から出てこない。村が今も存続できているのはその習性のおかげである。
魔物の生息圏が森の深部なら、魔物が深部に戻るまで待てば良いのでは? と提案してみたら、撃退しないと森の入口にずっと留まり続けるという。しばらくは問題なくても、森から手に入る木材は村の生活に欠かせない。撃退しなければ薪の入手も困難になってしまう。
「状況は理解しました。それでポートマス院長、どのように対処いたしますの?」
「魔物が何体いるかわかりませんので、私と狩人のグループ、兵士の方々と狩人のグループ、そしてパラデシアとアニスのグループに分かれ、各グループで一匹づつ対処していきましょう」
この村での最高火力は、私を除けばおそらく院長とパラデシアだ。なのでこの二人を分散させるのは正しい。駐在兵の三人も戦闘のプロなのだから主戦力に据え、魔物退治の素人である狩人達と私はサポートにまわる。
私とパラデシアのグループに狩人を入れないのは、万が一にも私が魔導師級の魔法や異端魔法を発動した場合、その目撃者にしないためだというのはなんとなく察した。パラデシアにバレるのはこの際仕方ないのか、それとも問題ないと判断したのだろう。
私を院長ではなくパラデシアに付けたのは、院長よりも日常的に魔物退治をしているであろうパラデシアのほうが安全と考えてのものか。長期的な経験だけで言えば院長のほうが豊富なのだろうが、村でたまに魔物退治する院長と、積極的に魔物退治をおこなっていると思われるパラデシアでは短期的な経験の密度は圧倒的に違う。年齢による判断力や瞬発力の差も考慮してのことだろう。
私達のグループが二人というのは少なすぎるのではないか? という意見も出たが、魔術士級が二人もいるならむしろ狩人も兵士も足手まといになる可能性がある、と知恵袋的存在である院長の回答に皆納得した。
各人素早く装備を整え、各グループに分かれて待機。グループ間の間隔を空けて森の前に立ち、森の入口に見える一対のギョロ目を捕捉する。
何人かの狩人が牽制に矢を放つと同時に、そのギョロ目は奥に消えた。まるでこっちに来いと誘い込んでいるようだ。
私は震えが止まらない。魔物退治と言えば聞こえは良いが、別の言い方をすれば生き物同士の殺し合いだ。殺すことに抵抗はあるが、それ以上に殺される可能性があるのが怖い。前世で一度殺されているのだから、なおさらにあの時の恐怖が蘇る。
「……私から離れないようになさい。それからそうそう無いとは思いますが、万が一の場合は、全力で逃げれるように準備しておきなさい」
前に立つパラデシアが震えている私を見てそう告げる。その言葉の裏には『パラデシアがやられたら』というのが見え隠れする。彼女の覚悟を感じずにはいられない。
――それは駄目だ。私が死ぬのも怖いが、人が死ぬのはもっと嫌だ。
私は両手で顔をピシャリと叩き、無理やり震えを止め覚悟を決める。
「……私も魔術士級の端くれです。万が一なんて起こさせません」
「あら? 貴女には嫌われていると思っていたけれど。でも貴女の手は借りません。御自分の身を守ることだけに集中なさい。貴女を守る手間が省けるだけでも十分ですわ」
あ、そうか。パラデシアにとって平民の魔術士は足を引っ張るだけの存在だから、それが無ければ十全に力を発揮できるのだろう。
私がサポートのつもりで放った魔法が、パラデシアにとっては邪魔になる可能性は高い。
初戦闘で連携の仕方もわかっていないのだから、パラデシアの言う通り自分の身を守ることに専念したほうが良いかもしれない。
そう考えていたら自然と震えが止まっていた。
大丈夫。行けそうだ。
そんな私の様子を見たパラデシアが軽く微笑み、しかしすぐに真面目な顔つきになって正面を見据え「行きますわよ」と、ミジクの森へとその歩を進め、私もそれに続いた。