16.院長の教え子
私は今、壁を走っている!!
亜人の一行来村から数ヶ月、すっかり完治した私は魔法禁止令も同時に解かれ、以降色々と魔法を試してみていた。
とりあえず試した中で有用だと感じたのは、大怪我の原因になったエレクトロボディ――はちょっと長いので名を改めた、エレキボディによる全身強化だ。
出力制御さえしっかりイメージすれば、高速移動はもちろんのこと、瞬間的な重量物の持ち上げ、感覚強化(空気の流れとかがわかる)、長距離投擲、そして今やっている壁走りみたいな、風魔法によるスピードアップだけでは行えない高機動なパルクールみたいなことなどなど。
もちろん加減を間違えればこの前の二の舞か、そこまでいかなくても筋肉痛とか余裕で起こり得る。というか何度かなった。
ただ、私になる前のアニスは元々動き回るのが大好きだったせいか、今の私も動き回るのがとても楽しく、おかげで怪我の療養中に落ちた筋肉もすぐに戻った。
壁に足を付けて七歩目、これ以上壁を走るのは無理と感じたところで壁を蹴り、宙に飛ぶ。そこで「フロート!!」と唱えると、私の身体は弧を描くことなく宙に浮く。
院長いわく、魔法で空が飛べるのは高位の魔術士レベルらしい。精霊院の裏庭だから気兼ねなくできるけど、人前ではやれないねこれ。
おっとスカートなので身を翻しつつ脚を曲げて中が見えないようにガード。まぁ下にいるのは院長だけだし私のパンツなんて見えても困惑するだけだろうけど、私にだって恥じらいくらいある。見た目がこれでも精神年齢は大人なわけで。
フワリと難なく着地して、次にどんな魔法を試してみようかと思案していると、院生が院長のもとに走ってきて何かを話していた。
「来客がありました。貴女にも会わせたいので、一緒に来てください」
来客? 村の人なら全員知ってるからこんな勿体ぶった言い方はしないはず。あっ、さっき馬車の音が聞こえたからお父さんが王都から帰ってきたかもしれない。となると、王都からのお客さんか!! 国勢調査官を除いてこんなに短い期間(といっても数ヶ月間隔)で村の外から人が訪れるなんて珍しい。
「私に会わせたい人ってどんな人なんです?」
私の歩幅に合わせてゆっくり歩く院長に付いて行きながら質問する。
「元教え子です。サクシエル魔法学園に入学するまで、私が魔法を教えていました。魔法に関しては私のみで貴女に教えるより、魔法学園式の方法も知っている彼女からも教えてもらったほうが、魔法の制御などしやすくなると思いまして、私が呼び寄せたのです」
彼女、ということは女性か。院長の教え子なら人となりは保証されてるだろう。亜人達との初会話の件もあってか、知らない人と話すのは結構緊張するけど、まぁ大丈夫だろう。
客間の前に到着し、院長がノックして扉を開ける。するとそこには、上品な雰囲気を漂わせた赤髪の女性が、椅子に座ってお茶を飲んでいた。
院長の教え子らしいこの女性、長い赤髪はポニーテールで毛先はロールしている。着ている服は動きやすい軽装ではあるものの刺繍やフリルが多めで、育ちの良さが滲み出ている。
こちらの入室と同時に女性は立ち上がり、綺麗な笑顔で「お久し振りですポートマス神官長。あっ、今は院長でしたね」と挨拶。
同時に左手の指先でミニスカートを摘み、おっ、これは噂に聞くヨーロッパの伝統的挨拶カーテシーかっ!? と思ったら、右手は胸の前に持っていき、そのまま優雅な動作で片膝をついた。……パンツ見えたよ。
そしてなんか貴族っぽい挨拶を終えた女性は二言三言院長と会話したのち、こちらを一目見ると何故かあからさまに嫌な顔をされた。
「それで、この少女がポートマス神か……院長が手紙で仰っていた平民の子ですか? 貴方の頼みですから最善は尽くしますが、才能なしと感じたらすぐに辞めさせていただきますわよ」
うおっ、明らかに不満そう!! 平民と言われたってことはこの人どうやらマジモンの貴族っぽい。
心の中でこの人に対する苦手意識が一気に広がってしまったが、今後のことを考えると背に腹は代えられない。なるべく好印象に思われるよう、こちらから挨拶しよう。第一印象は大事だ。
「は、はじめまして!! アニス・アネスと申します。浅学非才の身ではございますが、ご教授のほどよろしくお願いいたします」
先程女性がおこなった貴族っぽい挨拶を真似て、スカートを摘み胸に手を当てながら片膝をついて挨拶をする。
すると女性はちょっと驚いた顔をしながら「あら? とてもよく教育されてらっしゃるのですね。さすがはポートマス院長ですわ」と感心する。
おっ、第一印象は好感触のよう。チラリと院長を見ると満足そうに軽く頷いていた。この挨拶の仕方は貴族だけがやる挨拶、とかだったらちょっと危なかったかも。
「まぁよろしいでしょう。私はパラデシア・アガレット・プルーメトリ。由緒正しきアガレットの末裔です。これから貴女に魔法の制御方法を徹底的に叩き込みますから、覚悟してくださいな。失望だけはさせないでくださいまし」
アガレット!? たしか歴史の勉強で習った、千年前にこの国を作るきっかけになった英雄の一人じゃなかったっけ? 貴族は下位貴族とか中位貴族とかに分かれてると習ったけど、この人ガチのガチで上位貴族だ!!
「お手柔らかにお願いします……」
戦々恐々としながらそう言葉を絞り出す。
院長から聞いた限りでは、この国での貴族と庶民の垣根はそこまで高いものではないという。しかし不敬罪は存在するので、人や地域によっては対応を間違えれば物理的に首が飛ぶ。
地球で不敬罪といえば王族や皇族などに限るのだが、この国ではその対象は貴族にまで広がる。
果たして彼女、パラデシアはどのような貴族なのか……。
「もう遅いですし、今日は顔合わせだけにして、訓練は明日からにしましょうか。パラデシア、アニスを家に送っていきますので、積もる話はそのあとにでも致しましょう」
緊張とか恐怖とかでこの空気感にそろそろ耐えきれなくなってきたところで、院長がそう切り出してくれた。ナイス院長!! ……しかしいつもは私一人で帰宅してるのに、今日に限って家に送ってくれるとはどういうことだろう? まぁ十中八九、パラデシアに聞かれたくない話をするためだとは思うけど。
「パラデシアには貴女の秘密を打ち明けないのは当然として、異端魔法が使えることも、魔導師級の魔力があることも伏せておいたほうが良いかもしれませんね。少なくとも今はまだ」
家までの道すがら、周りに人がいないのを確認してから院長はそう切り出した。
「正直、彼女があそこまで平民を嫌悪しているとは思いませんでした。会わない間に何かしらあったのでしょうけれど、それがわかるまでは一般的な魔術士級として装ってください」
「でも院長先生、魔力制御を教わる上でその点を隠し続けるのは厳しいんじゃないですか?」
院長はう~んと唸りながら、「わかっています。……とりあえず今は時期を見るしかありませんね」と及び腰だ。
「ていうか院長先生、あの人って上位貴族なんでしょ? 事前情報無しにいきなり会わせないでくださいよ。性格もキツいみたいですし、何か難癖つけられて不敬罪にされるとか嫌ですよ私」
「彼女に手紙を出したのが半年近く前ですし、事前に来訪の手紙を出してくれるかと思っていたのですが、まさか急に来るとは私も思っていませんでしたので。それに彼女は確かに上位貴族ではありますが、良識派……のはずです。思想が変わっていなければの話ですが」
院長にも想定外の事態らしい。まぁ彼女への対応は院長に任せるとして私は明日から彼女の生徒として頑張ってみるしかない。
そしてパラデシアとの授業一日目――。
「……アニス、貴女全力を出していないでしょう? 怠けてるんですの?」
「……いえ、これが全力です!! これ以上は出せません」
次の日――。
「魔物どころか動物を殺せない平民なんて聞いたことありません。早くあのウサギを魔法で、目を瞑らず殺してみせなさい!!」
「ごめんなさいこればっかりは本当に無理なんです!! 勘弁してください!!」
更にその次の日――。
「絶対に何か隠してますわよね? そんなに私が信用ならないのかしら?」
「そう言われましても、魔法については院長から教わったことが全てですから、それ以外のことは存じ上げません……」
「院長先生~、これ以上パラデシア様に隠し通すの無理そうなんですけど~」
パラデシアとのマンツーマン授業を始めて四日目、今日はその授業がお休みになり院長との座学になったので、机に突っ伏しながら私はそう愚痴をこぼした。
「私の方も誤魔化すのが少々限界になってきましたね」
パラデシアとの授業。
一日目はまず私の魔力量を知るために全力で魔法を放てと言われたが、全力を出せば魔導師級の魔法が放たれてしまうだろう(まだ放ったことはないので可能性の話ではあるが)。
それは絶対に避けねばならないので、手加減をしてそこそこの魔術士級の魔法を放ったわけだが、彼女には全力を出していないとアッサリ見破られた。――見破られたからといって方針を変えるわけにはいかないので、私は当然シラを切り続けた。
二日目からは魔力の制御をイメージする特訓を始めた。本来なら魔力を持つ者は自然に感知できるが、私は感知できない。ならば、全身を流れる血液をイメージして、魔力の流れをイメージしてみなさいと言われた。
……言われたのだが、そのイメージが湧かない。とはいえこの言葉がヒントになり、「魔力を感知する魔法」を使えないだろうか? という発想が私の中に出てきた。
早速試してみようとしたところ、特訓場所である精霊院の裏庭にウサギが迷い込んできたので、これを魔法で殺せと言われたができなかった。
ちなみに「魔力を感知する魔法」を家に帰って試してみたけど、魔力のイメージがそもそもできていないので上手くいかなかった。そこさえクリアすればできそうな気もするのだけれど。
三日目は座学で、魔法学園で習うことを教えてもらうことになったのだが、不信感を与えすぎてしまったせいで、授業の合間合間に嫌味が挟まっていた。間違いなく彼女の中での私の評価はあまりよろしくはない。
一応、授業そのものは優秀であると自負できるのだが。
「どうします? いっそのこと全部バラします?」
「……いえ、もう少し隠しておきましょう。せめて現在の彼女の思想と派閥が特定――まではいかなくても絞ることができれば、方針も決められるのですが」
思想と派閥。ようするに、異端魔法排除派だとか、平民が魔導師級なんて許せない!! みたいな考え方してたりとか、私の意向を無視して勝手に魔導師級発見の報を王都にするかもしれない、とかとか。
つまりバラすことでパラデシアがどう動くかわからない。というのが問題なのだ。
「ただ、平民嫌いについては少しだけ話してくれました。どうやら魔法学園時代、グループによる魔物との実戦の際、強気に出た平民の魔術士が突出してやられたり、初めて強力な魔物を見た平民が怖気付いたりと、そういったことを何度もやられて痛い目を見ている、ということでした。平民嫌いというよりは平民の魔術士嫌い、と言うほうが正確のようですね」
「あ~、普通の人が魔法という強い力を持ったことによって一時的な万能感を得るも、甘くない現実を突き付けられて瓦解する経験……の巻き添えを食らったわけですねパラデシア様は」
「これ以上ないほどにとても的を得ていますね……。が、普通なら大半の人が歳を重ねることでいずれ通る経験則ですが、子供の姿でそのような話をされると凄まじい違和感を覚えます。他の場で薀蓄を語る時には気を付けてください」
褒められたと思ったら諭された。私の事情を知ってる院長以外には言わないよ!!
そんな話を間に挟みながら授業を続けていると、物見やぐらの鐘が鳴り響いた。
音は途切れることなく連続。これは――魔物が出たという合図だ。