110.決着後の行く末
地面に伏したベンプレオと、その上に片膝を乗せて彼の頭スレスレの所に大剣を突き立てたエミリアさん。完全な敗北を認めたのか、ベンプレオに暴れる様子はない。
「さて、僕としては襲われた以上貴方を殺しても良いんですけど、何やらアニスさん達と因縁がある様子。そして僕個人としても鼠人の貴方に聞きたいことがあります」
完全に決着が付き、私は小野紫の身体を抱えつつ、他の皆と一緒に二人へ近付こうとした。しかし次の瞬間、ベンプレオと私達の間に氷の壁が発生し、私達は咄嗟に後退する。魔法を放ったのはベンプレオだ。
そしてその直後、氷の壁の向こうに見えた光景は、私達に向けられていたベンプレオの左腕を即座に切り落とすエミリアさんの剣筋。ベンプレオがうめき声を上げるが、そのあとに続けてこう言った。
「グッ……確かに拙者は敗北したが、それは貴殿にのみだ。他の者達ではない。よって、貴殿に関する言葉には従おう。しかしそれ以外の者に関しては拙者に従う義理はない」
エミリアさんに倒されたから、エミリアさんの言うことしか聞かない!? こいつ、何を言っているんだ?
「なっ、何を……!? エミリア、その者はラリオス滅亡戦争のきっかけを作った、重要戦争犯罪者です。我が国で拘束し、各国で協議の上、正式な手続きを経て裁く必要があります」
パラデシアが声を張り上げる。暗にベンプレオの甘言に乗るなと言っているわけだが、私はここで一つの失敗を犯したことに気が付いた。
エミリアさんがこの旅に付いてくるにあたって、契約らしい契約を何も結んでいないのだ。至極単純なことではあるが、金銭的な契約をするということは彼女を雇うということであり、雇い主の意向をある程度遵守する義務が発生する。
しかし今の彼女には何一つそれが無い。加えて彼女はこの国の人間でもない。彼女がベンプレオをこちらに引き渡す理由は微塵も無いというわけだ。
パラデシアもその事に気付いたのだろう。神様からのお告げだから、契約なんてしなくても付いて来て当たり前、と誰もが勝手に思ってしまった私達全員の失態だ。
緊張が走る中、エミリアさんが口を開いた。
「僕としては情報を得られれば、そのあと貴方がどうなろうと知ったことではありません」
この返答は……どっちとも取れてしまうな。情報を得たら無条件に解放する可能性もあるし、私達に身柄を引き渡してくれる可能性もある。ベンプレオの情報次第、ということか。
「それで、貴殿が聞きたいこととは?」
「クランカイゾという鼠人の行方に心当たりは?」
「あの裏切り者の剣士か。あやつなら別の世界に飛ばした。生存可能な環境であることは確認したが、今も生きているかは知らぬがな」
別の世界に飛ばした!? ということは、やっぱりこいつさえいれば元の世界に帰れる!! となると、ここで引き渡してもらわなければならない。絶対に……!!
「その別の世界への行き方は?」
「拠点に戻れば今まで作った魔法陣がある。腕を治して拙者に付いてくるなら、貴殿も飛ばしてやろう」
拠点に戻る――それは、どう考えてもこの場から逃がすということに他ならない。それだけは絶対に阻止しなければならない。
「エミリアさん!! 私もその鼠人に用があるんです!! 貴女の要望を叶えたあと、そいつの引き渡しに応じてくれませんか!?」
私は咄嗟にそうお願いする。だがその問いに答えたのはベンプレオだった。
「拙者をあの者等に引き渡すようなら、別の世界に飛ばす話は無しだ。どうする? エミリアとやら」
エミリアさんはほんの少しの間逡巡するが、剣を持ち上げて黒球を発生させ、立ち上がる。続いて左腕が戻ったベンプレオも立ち上がる。
「ごめんなさい、僕の目的のためにどうしても必要なことですから、今回は諦めてください。もし次にお会いすることがあれば、この埋め合わせはいたしますので」
交渉決裂。こうなれば、実力行使しか無い……!! いやしかし、明らかに圧倒的な力を持つ、時空魔法使いのこの二人に対して歯が立つのか?
――などと考えを巡らせていたら、私の目の前に黒球が発生した。思わず後ろに跳んで避けるが、バランスを崩して尻餅をついた。尻餅をついた原因は……抱えていたはずの小野紫の身体が消えていたからだ。
「この少女は返してもらうぞ」
せっかく取り返した私の身体を取り返された……!!
「待て……待てえええぇぇぇぇぇぇ!!!!」
私は感情に任せて両手の平から電撃が迸った。氷の壁をぶち破り、幾筋もの曲線を描く電撃の軌跡が、二人の立っている場所に放たれて粉塵を巻き上げる。
そしてその粉塵が晴れたその場所に、エミリアさんとベンプレオ、本物のアニスが宿った小野紫の身体は、その痕跡すら残さず消えていた。
――逃げられた。
せっかくの機会が。
千載一遇のチャンスが。
唯一の可能性が。
私の願いを叶える確実な希望が。
全て泡となって消えた――。
「待って……待ってよぉ……私を、返して……元の世界に……返してよぉ」
私は膝をついて項垂れ、絶望とともに嗚咽することしかできなかった。