0.プロローグ
私は殺された。
そう、私は間違いなく殺された。
私こと小野紫は、高校を卒業後就職するも仕事が肌に合わず、2年ほどで退職して現在はアルバイトをする25歳のフリーターである。
実家暮らしで母は専業主婦、父はそこそこ良い稼ぎをするソフトウェアプログラマー、兄は世界中を飛び回る考古学者の助手。
男手が家にいないことが多いことを除けばあまり不自由のない生活ができているため、自分の稼ぎはほぼ丸々自分のために使えるのはとてもありがたく、遠慮なく好きなアニメやグッズなどにつぎ込むことができた。
特に将来の展望など無く、世間体を考えて就職しないとなという焦りは多少あるものの、かといって問題などあまりない現在の環境を変化させたくないと思う日々を送っていた。
しかしそんな生活は突然終止符を打つ。
ある日のバイト帰り、それは起こった。
コンビニで買い物をしたあと路地を歩いていると、後ろから突然口元を布で覆われた。不意のことでパニックになりながらも、覆われた布から甘みのある刺激臭がしたため、これが噂のクロロホルム!? でもクロロホルムで意識を失わせるのって実際には長時間嗅がせないといけないはず……と、ネットで得た知識を頭の片隅で冷静に思い出しながら、刺激臭でむせ返りながら必死に暴れて抵抗を試みる。
明らかに日本語ではない言語を喋っていたため外国人のようで、やはりというか当然というか、体格差で女性の私では全然振りほどけないことに恐怖心がどんどん高まり、焦りも感じ始める。
クロロホルムで意識を失わない私に対し、相手も少々焦りを感じたようで、何かしら声を荒げるが状況は変わらない。
口を塞がれてからずっと後ろの人物を振りほどくことに意識を集中していたが、気付くと私の前に人がいた。やった通行人だ助かった!! と思ったのも束の間、その人物から放たれた拳が私のお腹にめり込んだ。
意識を刈り取る強烈な痛みに喘ぎながら、まさかの複数犯かよ……という思いと共に私は意識を手放した。
私が意識を戻して最初に感じたのは、お腹に残る鈍い痛みと息苦しさ、そして思うように身動きの取れないという状況だった。
ぼんやりしていた意識が徐々にはっきりし、どうやらどこかの室内の冷たい床に、手足を縛られ猿ぐつわをはめられて転がされているというのがわかった。暗くてあまり良く見えないけれど、管理されてないビルの一室のような場所のようである。
なんとか寝返りを打って後ろを向くと、フードを被った数人の人物がいた。十中八九誘拐犯であろう。
状況が状況なだけにどうすることもできず、恐怖心をつのらせながら観察していると、誘拐犯は何かしら長々と呟いていた。しばらく外国語らしき言語での呟きが続いたが、その呟きが終わると突然、床が光りだしたではないか。
何事!? と床を見ると、ファンタジーでよくある魔法陣としか言いようがない物が床に描かれ発光していた。
私一体何に巻き込まれてるの!? と混乱するが、良い状況ではないのは明らかだ。普通に考えて生贄とかそれ系の類だ。
そう考えてたら誘拐犯の一人に私は仰向けにされ、別の一人が私の上に乗る。そいつの手には現代日本では博物館や模造品くらいでしかお目にかかれない、中世ヨーロッパ風の長剣が握られていた。
ここに来て私はようやくこの後に訪れる死を確信し、恐怖が最高潮に達する。
死にたくない!! と声にならない声を上げ、涙を流し、必死に抵抗するが状況を打開するには至らない。
そして剣が振り下ろされる直前、私は見た。魔法陣の光に照らされた、フードの中の犯人の顔。そこにあったのは人間ではなかった。
その光景を最後に、胸に突き刺さる剣の感触と一瞬の痛みと共に、私の意識はこの世界から消えた。