藤田五郎
京都、西本願寺へと続く道を藤田は歩いていた。
「もし、斎藤さんではありませんか?」
懐かしい名だ。そう思いながら振り返った藤田の目に、見知った男が映った。
「新選組にて監察方を務めておりました、島田です」
島田と言えば、その巨体と怪力とで知られた名前。五十歳を過ぎて尚、魁偉なる容貌を保っていた。
藤田も知らぬ間柄でない島田に目礼する。相変わらずの控え目な態度に、島田も苦笑した。
「斎藤さん、今も剣はやっておりますか?」
「今は藤田と名乗っております。いえ、剣の方は、とんと……」
西本願寺までの道を並んで歩きながら、二人は世間話を交わす。
島田も口数多い方ではないが、斎藤は輪を掛けて無口であった。話題探しに島田も苦労する。
「私は道場を開いております。永倉先生も訪れてくれました。かつての同志が明治まで生きて、またこうして出会える縁を大事にしたいものですな」
「私は――」
親しく話し掛けてくれる島田に内心、悪いと藤田は思った。
実を言えば、かつて新選組が屯所としていた西本願寺に赴くことにも心苦しいものがあった。
「私は今、警察に勤めております」
島田の顔が凍り付いた。
「そうでしたか。いや、急ぐもので、御免」
大股で立ち去っていく島田。その背に怒りの感情が込み上げているのを藤田は感じていた。
新選組の敵であった明治政府に寝返った藤田への怒り。それは、島田一人の感情ではあるまい。
やはり自分には西本願寺の山門を潜ることは許されまいと、藤田は踵を返した。
(島田さんは、土方副長に従い箱館まで供をした。副長も、島田さんには信を置かれていたであろう。私は、違う――)
藤田は副長助勤の三番目という厚遇にありながら、土方からの信用は薄かったと自覚していた。
土方から与えられた命の多くは暗殺、間者などの汚れ役であった。
(私の真の生まれは江戸の百姓。副長は、私の怪しき出自を見抜いていたのだろう)
剣術についても同じ。無外流を修めたなどと言ったが、真実は我流。
誰に習ったでもない剣で生き残るため、戦闘においては無我夢中で刀を振り回した。
それが運良く敵を仕留めるに到ったことが続いたのみと語るが、周囲は謙遜と思い信じなかった。
(聞くならく、加藤清正公も初陣では恐怖から目を瞑り念仏を唱えながら夢中で槍を突き、たまたま兜首を取ったとか。私は常に、清正公の初陣だった)
本来であれば取るに足らぬ男とされても仕方ない自分に、新選組は幹部の役職を与えてくれた。
そのことに対する感謝の念を、藤田は忘れた訳ではなかった。
(汚れ役とは言い条、失敗の許されぬ重要な仕事。それを任されて男子、何の不満があろうか)
維新後の身の振り方にしても同様。元より藤田は土方らと別れた後、会津を守り討ち死にするつもりでいた。
それが会津藩から命を大切にせよ説得されたことから、明治政府に下ったのだ。
(死刑となっても已む無いところ、命を救われたのみならず警察の仕事まで与えてくれたのだ。これを無下に出来ようか)
その仕事が、例え新選組の残党狩りであったとしても藤田に否は無かった。
士は己を知る者のために死す――その道が世上に蔑まれ、かつての同士と旧交を温めることも叶わなくなろうとも。
藤田は一人、帰路に就いていた。