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「てめぇらに地獄を見せてやるよ!」「店長がご乱心だ! 者共、逃げろぉぉ!」

 ハゲ。それはとんでもなく絶望的なものである。


 歳を取ると男女問わず、髪が痩せ細ってしまう。人によってはそのまま髪が消え焼け野原になるか、もしくは真っ白な草原になるかのどちらかである。

 そもそも髪がやられてしまうのは、脳に大きなストレスがかかったり、ホルモンのバランスが関係していたり、食生活が関わっていたりといろいろだ。


「いらっしゃいませ、こんにちは」


 そんなハゲに悩んでいる男がいた。

 某ちょっと有名なバーガー店の長を務める男である。

 筋骨隆々の見た目であり、タラコのように大きな唇。その見た目から男は〈カァタン〉と仲間内から呼ばれていた。

 だが、それは男にとって皮肉である。


「あ、あの、シェイクを一つ……」

「バニラ、ストロベリー、コーヒー、今なら期間限定でレモンがありますが?」

「レ、レモンを――」


「サイズ、お願いします」

「は、はい……!」


 対峙しているお客様は震えていた。

 それもそのはずだ。店長ことカァタンは、身長がなぜか二メートル近くある。

 ただでさえ圧迫感があるにも関わらず、笑っていない。鋭い目つきで、ずっと睨みつけているかのように見下ろしているのだ。


「ふぎゃー、ふぎゃー」


 あまりの恐ろしさに耐えられなくなったのか、ベビーカーで笑っていた赤ちゃんが泣き始めた。

 シェイクを頼んだお客様は慌てて抱き上げ、懸命にあやし始める。


「お客様」

「は、はい!」


 客は覚悟した。目の前にいるカァタンに、八つ裂きにされてしまうことを。

 しかし、カァタンゆっくりと赤ちゃんを覗き込む。そしてさっきまで見せていなかった優しい笑顔を浮かべた。


「ごめんな、オジさん不器用だからついつい剥れちゃうんだ」

「うっ、うっ」

「そうだな。よぉーし、じゃあこれでどうだ? いないいない、ばぁ~」


 店内がざわついた。

 やっていることはすっごくいいことである。だが、カァタンがやるととんでもない違和感を覚えてしまうのだ。

 そのためか、親であるお客様は引きつった笑顔を浮かべていた。懸命に、機嫌を損なわないように、愛想笑いを保ち続けている。


「キャッ、キャッ」


 だが、不思議なことに赤ちゃんの反応は違った。

 とっても楽しそうに笑っている。


「ハハハッ、そうかそうか。そんなに面白かったか。じゃあもう一回。

 いないいない――」


――よかった。


 お客様が心の底からそう思えていた。だがその瞬間、目にしてはならないものを見てしまう。


「だぁー」


 赤ちゃんは、何気なくカァタンがかぶっていたキャップに手を伸ばした。そしてそのまま奪い去ってしまう。

 直後、隠されていた大きな秘密が目に入った。


「あっ」


 ツルツルとした頭頂部。髪の毛なんて死滅してしまったその光景を見て、お客様は顔を強張らせた。

 いわゆる頭頂ハゲだ。本来ならば見なかったことにしなければならない。それどころかキャップを奪い取ったという証拠すら消さないとマズい。

 しかし、そんな時間はなかった。


「ばぁ~」


 カァタンの視界が広がった。


 恐怖に染まっているお客様と、楽しそうに笑っている赤ちゃん。その手には秘密を隠していたキャップがある。


 一瞬だけ考えた。だがその一瞬で、赤ちゃんはカァタンの頭頂ハゲを叩いてしまう。


「ご、ごごごごご、ごめんなさいぃぃ!」


 お客様は悲鳴に似た謝罪を口にした。

 だが、カァタンは笑いながら赤ちゃんに笑顔を向ける。


「そうかそうか。そんなに気に入ってくれたか。俺も嬉しいよ」


 そう言って、奪われたキャップを優しく取り戻す。

 そのまま何ごともなかったかのように被ると、カァタンは厨房よりも奥へと下がっていったのだった。


「ななつ先輩、後は任せました!」


 マオはそういうと、すぐにへたり込んでいるお客様の元へと駆け寄った。

 ななつ先輩は大きな大きなため息を吐きつつ、事務室へ向かっただろうカァタンを追いかけていったのだった。



◆◇◆◇◆◇



「なぁ、ななつ。絶望ってさ、いつ感じると思う?」


 カラスが飛び回る黄昏時、カァタンはキャップを取って外を見ていた。

 ななつ先輩はそんなカァタンの姿に込み上げてくる笑いを我慢しつつ、耳を傾ける。


「大好きな女の子にフラれた時か? 目指していた大学に入れなかった時か? やりたかった仕事に就けなかった時か? いいや違う。そんなもの、生ぬるい。

 本当の絶望は、変なハゲ方をした時だ」


 確かにそうである。しかし、それを真面目に語られているななつ先輩はとても困っていた。

 何千、何万と聞かされてきた言葉。だが何回聞いても、笑いが込み上げて止まらない。


「俺はな、仲間からカァタンって呼ばれているんだ。どうしてそんな呼ばれ方をしているのかなって思った時もあったさ。

 簡単な話だ。俺は、ザビエルみたいな頭だからだ」


 ザビエルとは。かつて日本に海外の宗教を伝えたとされる伝道師である。

 日本の歴史教科書では、いろいろとネタにされてしまう肖像画が採用されているため、子ども達にとって格好の遊び道具にもなっている偉人である。


「知っているか? ザビエルってな、あんなハゲたような頭に見えるが、実はあの部分キャップらしいぜ。アフロにキャップを被せたからあんな姿になったそうだ。

 なのに俺は、本物だ。本物の河童になっちまった!」


 ななつ先輩は腹が捩れそうだった。

 懸命に平静さを見せようとするが、もう笑いを吹き出すのを寸前で止めるので精一杯だった。


「髪、生えねぇかな?」


 カァタンは渇いていた。

 髪がなくて、絶望に支配されて、だから疲れていた。

 ななつ先輩はそんなカァタンに声がかけてあげられない。

 必死に、必死に笑うのを我慢しているからである。


「さてと、そろそろ戻るか。話を聞いてくれてありがとよ」


 カァタンは軽く肩を叩いて、去っていった。

 事務室の扉が閉められる。そして数秒後、カァタンが戻ってこないと確信した瞬間にダムが決壊した。


「ズルいって! 毎回あれはズルいって!」


 止まらない笑い声。ここしばらく感じたことのない勢いの笑いが、ななつ先輩を支配する。

 確かにカァタンにとって悲劇でしかないだろう。

 だが、周りにいる者達にとっては喜劇になってしまう。


「い、息が、息が――」


 笑い転げるななつ先輩。

 カァタンにとっての絶望は、ななつ先輩を毎回苦しめる笑いでもあった。



 騒動を終え、マオの退社時間が近づいてきた時だった。


「お電話ありがとうございます!」


 一本の電話が入ったのだ。いつものことながら、電話での予約注文のようだ。

 マオがオーダーを取り、話を進めていく。だが途中で「少々お待ちくださいませ」と言って一旦打ち切った。


「店長すみません。これ、どのくらいかかります?」


 テトテトと駆け寄ってきたマオは、カァタンにオーダーを見せていた。

 流れるようにカァタンは視線をずらす。そして少し考えると、「十五分ぐらいだな」と言葉を返した。


「では、そう返事しますね」


 マオはそう言って電話へと戻った。

 様子を見る限り、問題なくことが進んだようだった。

 ななつ先輩はひとまず、カップやフタなどの補充を始める。万が一のことが起きても、慌てないためである。

 マオはというと、懸命にテイクアウト用の袋にハンコを押していた。その最中、ずっと「タピオカタピオカタピオカ――」と呟いていた。


 プルルルルッ――


 穏やかな時間。そんな中で再び電話が鳴る。

 マオがすぐに反応し、応対を始める。すると少しだけ顔が曇った。


「えっと、少々お待ちください」


 再びカァタンの元へとやってくる。そしてマオは困った表情を浮かべながら、口を開いた。


「店長、先ほどのお客様が追加注文をしたいって言っているんですけど……」


 その言葉に、カァタンの顔も曇った。

 作り始めて約五分。余裕があるとはいえ、あまり芳しくはない。

 しかし、せっかくの追加注文である。ここで断って全てがキャンセルとなってしまえば、元も子もない。


「お受けしろ。どうにかする」


 カァタンはそう返事した。

 不安げな表情を浮かべながらも、マオは電話へと戻り応対し始める。

 だが、その顔はどんどんと引きつっていった。


「かしこまりました。あの、すみません。もしかしたら少々お時間をいただくかもしれませんが――はい、はい、わかりました。お待ちしています」


 電話が終わり、マオはオーダーを打ち込み始める。

 ななつ先輩はそのオーダーを見て、顔が青ざめていった。


「マジかよ……」


 受けたオーダー。追加された分も合わせると、とてもではないが残り十分では不可能な量であった。

 ななつ先輩は慌てて金額を確認する。すると合計五千円以上という数値であった。


「先輩、店長は大丈夫ですか?」


 マオの不安は的中だった。

 いくら凄腕セッターであるカァタンでも、さすがにこの量ではサポートなしでは厳しい。

 だからななつ先輩は、マオに指示を出した。


「僕がサポートに回る。前は任せるけど、いい?」

「は、はい!」


 とにかく、入った予約注文の品を作り上げなければならない。

 そう思ったななつ先輩は、すぐにカァタンのサポートへ入る。

 しかし、神様とは無情な存在だ。こんなとんでもない状況で、試練を与える。


「いらっしゃいませ、こんにちはー」


 お客様が入ってきた。しかも、団体だ。

 ななつ先輩は目にした瞬間、ギョッと顔が強張ってしまった。

 見た限り、若者である。しかも入学デビューしたてと思われる集団だ。


「おー、お前何にする?」

「あん、俺? 俺はタピオカ」


 しかも不安を煽る単語が聞こえてきた。

 ななつ先輩は不安で不安で堪らなかった。だが、そんなななつ先輩にカァタンが声をかける。


「まだだ、まだ終わってねぇよ」


 その目はあまりにも鋭い。

 まっすぐと、次なる戦いへと向けられていた。


「いいか、ななつ。人生とは継続だ。どんなことがあろうと、続いていくんだ。だから、立ち止まるな」


 カッコいいことをカァタンは言っていた。

 パティを焼きながら、カァタンは言っていた。

 ななつ先輩はそんなカァタンに励まされ、立ち上がる。


「店長、サイドは任せてください」

「しくじるなよ」


 こうしてカァタンとななつ先輩の戦いが始まる。


「えっとな、タピオカを全部で6つな」

「かしこまりました。ピスタチオが6つですね」

「え?」

「えっ?」


 だが、そのスタートダッシュはすぐにずっこけることになる。


「ピスタチオって。え、タピオカないの?」

「え? あ! えっと、その、あります!」

「でもピスタチオって――」

「えっと、その、ピス、じゃなくて、その、ピスタ――」


「ななつ行ってこい!」


 ななつ先輩は走った。

 マオを助けるために。

 困惑しているお客様を助けるために。


「すみまっせーん、大丈夫でーす!」


 ただただ必死に頭を下げる。マオも真似するように頭を下げると、お客様は困惑しながらも許してくれた。

 同時にななつ先輩は思うのだった。


「やっぱりいつか、転職しよう」



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