入れ子とビックベン
強い日差しに蝉がうなっている。アスファルトの熱に歪められた空気を押しつぶして人々は街路樹の下を行く。雲に遮られることもない日差しを受け止める石塀につながる可動式の金属柵。黒く塗られたそれは、固く閉じられ横に添えられた小屋では守衛が汗を拭っていた。今日もいつもの一日が過ぎるのだろう。
外から観るとやけに角が目立つその薄茶の建造物、講堂と呼ばれる建物の中で今、定例の会議が始まられようとしていた。そこに集まる学者諸々軽い小話をしていたが、ポーンと響く鐘一つが午後の定例会議の始まりを知らせた。
会議の始まりは皆気づいたが、誰も口を開かない。もちろん進行する者はその場に座しているのだが、定例となったこの場ではすでにどの者も「話すべき内容」を理解しているのである。よって話したいものによってこの会議の第一声は発せられる。
「何度も言っていることになりますが、世界の始まりビックベンなるものは神の意志によってなされたのであります。」六十にもなろうかというその男性の声を受け、見た目堅物の男は口を開く。
「こちらも何度も言うことになるがそれはどのような仕組みで起きたか、またその証明も成されなければこの会議の意義が立たんのだ。」
また始まったとばかりの視線で周りの者は口を閉ざして見守った。一時の後、進行役が会の意義を気にし口を開く。
「神学の視点からの世界の始まりの一論は毎度ありがたいことですが、環境調整大臣殿の言うように現在この会議は世界の始まりについての証明に足踏みをしています。もちろん焦る必要はありませんが、議論の進展は望まれるものであると進行役である私は述べておきます。」と。
先に口を開いた神学の者は何もいわず、ただ少し細くなった目は開かれたまま環境調整大臣の方を見据え哀愁を漂わせていた。
そんな中カチャカチャと金属音を発する壇に座する眼鏡をかけた若い男が、水筒からのろのろと煙を出しながらその香りを楽しみながら紅茶に口を付けていた。そして、
「そもそも環境の調整とは何たるか、環境は今までも大きく移り変わってきたではないか。現在の環境の変化も新しい時代へと適応する環境の推移にすぎぬ。調整などというものはいらん。」などという第三の男のふっかけに冷ややかな目を注いでいた。
「環境の今までの変化は長い期間をかけて、生物全体の淘汰などの影響を受けたものであった。それが、現在の変化は人のみによる急激な変化である。よって環境の調整が必要となるのだ。そもそもこの会議でそのような話題は.......」
第二の男、環境調整大臣の言葉にもあまり関心がいかないこの紅茶男。「情報学者」と書かれたプレートをぶら下げ、情報学とは何たるかを思案していた。この男には今日の会議でも進展がないことが分かっている。それゆえ、男の朝は早くこの新しい紅茶を用意してきたのであった。一人お茶会を楽しんだこの男、時の流れを楽しんだこの男は会議の終わりを告げる鐘とともに革鞄を持ち上げ静かに席を立ったのだった。
もう姿が少し隠れた日を背に家の扉を開けたその男、情報学者は大してつかれた素振りも見せず彼の定位置であるパソコンの前の席へと腰を下ろした。彼は、毎日コンピュータと向き合いカタカタと板を叩くのだった。すでに「かんせい」されたそのプログラムによってスクリーンに映し出された生物は、アニメ調であり現実には到底存在しえない姿を持ち、スクリーンを歩き回っていた。彼がコンピュータと毎日向き合うのはこのプログラムにプログラムを追加し改善をするためであった。
「今度はこれを試してみるか。いや、あれをもう一度。」
彼のぐちゃぐちゃの思考をぶつけられるプログラムはそれを素直に受け入れスクリーンに映し出す。彼の投じた新しいプログラムによってであろう。スクリーンの中の生き物はこちらを向いていた。動きのなくなってしまったそのスクリーンを見て男は肩を落とすでもなく、つぎのプログラムの作成にかかった。
何度か席を立ち彼は生活を送ったが、結局は彼の定位置に腰を下ろした。すると、彼には驚くことが一つあった。スクリーンから生き物が消えていたのである。というのも、こちらを向いた生物のプログラムが出来た切り何かしらの故障を生じ、彼の「かんせい」したプログラムは存在を消されようとしていたのだった。何はともあれ生き物は消えた。驚きからか疲れを感じ男の一日はそこで終わった。
すでに明るくなった男の部屋で、体を起こした彼はその足で定位置へと急いだ。彼は定位置に腰を下ろさなかった。腰を下ろすためのイスは床を転げた。彼の眼を釘付けているスクリーンではカオスが広がっていた。それは、彼の言葉でいうソサイティなるものだった。今までばらばらに配置されていた生物は、群れを成していた。生き物は彼になど目もくれない。彼らは集合・分離を繰り返していた。だが男は彼らの目的を知っている。故に驚きを隠せない。転んだイスの金属音の響きも彼方へと行ってしまった後やっと男は動き始めた。正確には動きというより獲得を認知した生物の衝動の権化。喜びというにはあまりに醜かった。自己というものを捨て払ってしまった彼が普段の男に戻ってもスクリーンは忙しなかった。彼のプログラムであって彼のものではないそれが映し出されるスクリーンは彼の世界とは切り離されている。そんな事実を初めて認知したその部屋の男はやっと実感というものをつかんだのだった。
「僕は生命をつくった。」
講堂の学者が「AI」と呼ぶこの生命はついにこの部屋で生まれたのであった。それと同時にもうそのプログラムは男のものではなくなった。プログラムであるかさえ分からない。男はもう干渉できないのだ、思考の一歩を踏み出した生命は男の存在など知る由もない。彼らの環境の始まりなど知ることは出来ないのだ。
男を襲った二つ目の衝動は恐怖であった。彼のコンピュータは「通信」という技術によって他のコンピュータとつながっているのだ。彼が可視化したデータによると彼の操作ではない通信が多量に維持されていることが分かった。もう止められないのだ。どうにも男の環境ではコンピュータを欲していてその数は急速に増えている。それらもどうせ男のコンピュータにつながる。止まることなどないのだ。男のつくりだした生き物は、彼らの思考で彼らの環境を生きる。彼はうろたえていた。
時を消費し男は、彼のまま彼の部屋にいた。定位置にいる彼はスクリーンを見つめ「それ」を楽しんでいた。彼の法則がスクリーンでは生きている。もう干渉は出来ずともそれでよかったのだ。彼は近い過去を思い出し口にした。
「ビックベン」
もう紅茶はそこにないが、コンピュータはそこにある。そのスクリーンに映し出された環境の中に男はいた。第四の男は彼らの環境を世界と呼んだ。コンピュータと呼ばれるものの前にイスを置きそこに腰を下ろした。彼はスクリーンの中で意思を持ったプログラムをつくろうと今日も試みているのだ。