9. ブライダリー・ダークソーン その④
「うっ……ひくっ……うええええん、ええええええええん」
綺羅はついに泣き出してしまった。何が起きているのか全くわからないが、身の危険が迫っていることを察知したのだ。
「ちくしょう……だめだ……くるな、くるなよ!」
理里も、頭を抱えておびえていた。生物としての本能は、もはや戦うことも逃げることもあきらめ、ただ誰かの助けを求めていた。
「ふたりともしっかりしてっ! 大丈夫、わたしがいるから!」
珠飛亜はふたりを抱き寄せ、一人心を冷静に言い聞かせた。どうやら彼らは、この人のことを覚えていないらしい。今まともに相手ができるのは、自分だけだ。
どうにか二人を落ち着かせようと、彼らを抱く手に力を込めたところで、その男は、ついにリビングに姿を現した。
「きゃはははは……いぃ泣き声だねえ……母さんによく似て、すばらしい旋律だ……」
嗜虐的な笑みを浮かべ、男は珠飛亜の前に立った。珠飛亜は弟と妹を守るように、より強く抱いて、そして、ついに『真実』を言い放った。
「そんな……十二年も、行方をくらませてたと思ったら……突然なんなの、おにいちゃんっ!」
「「……………………………………………………え?」」
珠飛亜の庇護下におかれた二人は、一瞬耳を疑った。
「ちょ、ちょっと待て……ど、どういう」
「そ、そうだよ……」
綺羅も理里も戸惑いを隠せない。
その様を見た男は、勝ち誇ったように笑う。
「あれあれえ、傷ついちゃうなあ? やだなあ、ボクだよ。キミたちの兄であり、この家の次男……怪原王瑠を、忘れちゃったのかい?」
「「!!」」
今度こそ、二人は完全に言葉を失った。
それは彼の言うように、完全に忘れ去っていた名前だったから。
かつてこの家族は、今より二人ほど構成員が多かった。一人は、十五年前に行方不明になった父・手本である。だが彼は、なぜ消えてしまったかが分かっている。ある理由から天界にたった一人で挑み、そして敗れたのだ。
しかし、もう一人のロストメンバーである、希瑠の双子の弟・王瑠は、十二年前に、煙のように消えてしまった。彼が風邪で寝込んでいたある日、恵奈が少し目を離したときには、すでにそこにいなかったと聞いている。当時まだ四歳だった理里は、かなりショックを受けた記憶がある。二歳だった綺羅はさすがに当時のことは覚えていないが、王瑠の話を聞かされてはいた。
だが、気づかなかったのも当然と言えるかもしれない。なぜなら、
「そんな……おにいちゃん、こんなことするひとじゃなかったじゃない! 気は弱かったけど、優しくて尊敬できるひとだったよ! それが、どうして、こんな……!」
そう。おぼろげながらも顔を覚えているはずなのに、綺羅はともかく理里が兄だと分からなかったのは、その雰囲気があまりにも違い過ぎたからだった。前に見たアルバムの写真では、だいたい父か母、もしくは希瑠と共に恥ずかしそうに写っている写真が多く、理里自身のあいまいな記憶の中にも、なんとなく『やさしいおにいちゃん』だったと記録されている。……正直に言うと、希瑠よりも。
だが今の王瑠にはかつての面影が全くない。歪んだ自信に満ちた、人を見下すようなまなざしに加えて、口元はだらしなく緩んでいる。外見はほぼ変わっていないのに、まるで別人なのだ。
「なんだって? ……きゃひひ、ボクは何も変わっちゃあいないよ。昔から、ずーっとね」
そう言うと王瑠は、おもむろに右手を目の前にかざした。すると、その手の平が光り始める。
「コスト3を支払い、発動する……"裂法の聖女"・第拾ノ法、"運命の車輪"ッ!!!!!」
輝く手の平の内部から生み出されるように、一枚のタロットカードが出現する。王瑠がそれを手に取った瞬間、
「がっ!?」
「きゃあっ!?」
「ひゃんっ!?」
カードは霧散し、三人の手足に突如黒い手錠がかけられ、その重みで、王瑠以外の全員が床に倒れ伏した。
「がぁっ……なんだ、これは……!」
理里たちはすぐさま立ち上がろうとしたが、手錠の尋常ではない『重さ』が、それを許さない。見た目には普通の金属製のものなのだが、怪物本来の力で彼らが持ち上げても、手錠はぴくりとも動かない。
「きゃっははは、無駄無駄無駄ぁ! キミたち程度の力で、この手錠の『重さ』には勝てやしないっ!」
王瑠は高らかに笑い、下品に歪んだ顔を珠飛亜に近づける。
「母さんも留守みたいだし……帰って来るまで、キミたちでちょっと遊ぶことにするよ。ま、どの道殺すんだけど」
「きゃんっ!」
珠飛亜の背筋に、強烈な痛みが走る。王瑠の髪の一本が茨に変化し、鞭のように背中を打ったのだ。
「きひゃひひ、いいぞ……! もっと、もっとだ……! ボクに、もっと美しい旋律を聞かせろぉ!」
「きゃっ! ……あぁっ! んっ……あんっ!」
無数の茨が、断続的に、しかし妙な間隔をもたせて珠飛亜を虐げる。まるで珠飛亜を楽器として、音楽を演奏しているかのように。
だが、その光景が、おびえていた理里たちの心に火をつけた。
「てめえ、いくら兄さんだとしても……珠飛亜を傷つける奴は、許さない!」
「……おにいちゃんなんか、だいっきらい!」
理里の左眼がだんだんと紫色に染まる。綺羅の歯が、猛獣のようにたくましく変形する。
「――"神蛟眼"ッ!」
「――"絶零咆哮"っ!」
あらゆる生物を石化させ粉砕する邪眼の光、そして触れるもの全てを凍らせる咆哮が、王瑠に放たれる。直後、王瑠の身体は氷で覆われ、石化し、砕かれる――
はず、だった。
「コスト4を支払い、発動する! "裂法の聖女"第零ノ法……『愚者』ッ!!!!」
王瑠の右手が再び発光し、またしても一枚のタロットカードが出現した。彼がそれを手に取ると、
「「なっ!?」」
「くひひひ、きゃひひ、きゃっはははは」
呪いの光は、凍てつく咆哮は、確かに王瑠を直撃した。
しかし――彼は凍らず、また石になる事もなかった。
「ボクの"裂法の聖女"……このカードには、抗うことのできない絶対の法則が記されている。それを振るう権利を、ボクは生まれたその時から所有していた。父さんとも肩を並べる、圧倒的な強制力……前世では、どこかの最高神か何かだったのかもしれないねえ」
王瑠は綺羅に歩み寄り、その顔を踏みつけた。
「きゃんっ!?」
一発で意識が落ちる。しかし、王瑠は彼女の顔を、土足のまま踏みにじり続ける。
「やめろ、おまえっ!」
「運命の車輪は質量を操作できる手錠の生成、愚者は『物質の時間』の逆行……どれも、ひとつ手にしただけでも、最高位の『英雄』たちと肩を並べられるほど強力なものだ。しかし強すぎる力とは、得てして代償を伴うものでねえ。能力をひとつ使おうと思ったなら、ひとつ以上の能力の使用権を凍結しなくっちゃならない。凍結はこのカードが認めた、『戦い』の終了まで。厄介だろう? ボク自身も、このカードには縛られているんだよ」
綺羅が目を覚ます気配がないことを確認すると、王瑠はつまらなさそうに足をどかした。
「トレーディングカードゲームに例えよう。ボクには今、二十二枚の手札がある。しかし、一体のキャラクターを場に出そうと思ったなら、そのカードにコストとして記された枚数の手札を捨てなくてはならない……といったところかな。あ、山札はないけど」
王瑠は、今度は理里の方へと向き直る。ニヤリと笑い、歩いてくる。
「"裂法の聖女"は、言わば『異能を捨てて異能を得る』異能ということだ。……さあて、ここで問題でぇーす! ボクには今、何枚の手札があるでしょーか?」
「…………」
『手札』とは、まだ得ておらず、コストにも使われていない異能。異能は全部で二十二。先ほどの発言から察するに、運命の車輪のコストは3、愚者のコストは4。となると、
「二十二から、すでに得たふたつの能力を引いて……さらに、そのコスト分を引いて……残りは、十三か?」
「当ったりー! りーくん、思ったより賢いねえ!」
「りーくんって呼ぶな……」
王瑠は、少女のように(少年、ではない)手を叩いて無邪気に笑う。まるで、子どもがそのまま大人になったようだ。
「あれあれえ、珠飛亜や母さんに呼ばれるのは許してるのにい?」
「お前、なぜそれをっ」
「きゃっははは、ボクだって多少の偵察はしたんだよ。……それより、ボクは呼んだらダメなのぉー? もしかしてえ、『大好きなおねえちゃんと、ママ以外には呼ばれたくないっ!』とかそういうこと? きゃっはははははは! かーわーいーいー!」
「うるさいっ! それ以上言ったら、文字通り消し飛ばすっ!」
「その『眼』が、通じないのに? 起き上がることもできないのにかい?」
「くっ……」
最初に会った、否、再会したときのように、王瑠は理里の目と鼻の先にまで顔を近づけた。
「りーくん、実は意外と頭悪い子なのぉー? 自分の手足、見えてないのぉー? そこに嵌っているものはなんですかぁ? さっき、ボクの身体が巻き戻っていくの、見てなかったんですかぁー? まさか、もう忘れちゃったとかあ?」
「…………」
挑発、陵辱の応酬に、理里の顔は真っ赤になった。怒り、恥ずかしさ……しかし、現状どうあがいてもこの男には勝てないという悔しさで。
「さぁーて、暇つぶしはまだまだ続くよぉー。珠飛亜ちゃん、次はどこを打たれたいかな? うん?」
理里に背を向けた王瑠は、再び珠飛亜に歩み寄り、そのあごを右手で持ち上げる。
「くっ……」
眉根を寄せて、珠飛亜は王瑠を睨みつける。が、その表情は王瑠のお気に召したようで、
「きゃっははは! いいねえ、いいねえいいねえその反抗的な目つきぃ! 嗜虐心を刺激されるねえ!」
その顔に張り付いたクレイジーな笑みは、さらに激しさを増した。
「……って」
「ん? 何だい?」
嘲笑されたことで王瑠から視線を外していた珠飛亜が、何かつぶやいた。が、声が小さすぎて、その場の誰にも聞きとることはできなかった。
「聞―こーえーなーいーなぁー! 綺羅ちゃんにしてもそうだが、百獣の王にしちゃあ、気が小さすぎるんじゃあないかぁ? おにいちゃん年だから耳が遠いんだよねぇー! もっと大きな声で話してくれないとぉー!」
ここぞとばかりに、王瑠は珠飛亜の髪をひっつかみ、強引に顔を上げさせた。
が……その目つきは、再び反抗心を備えたものだった。
「出ていって! いきなり帰ってきたと思ったら、おうちのなかをめちゃくちゃにして、わたしたちを傷つけて……そんな人は、もう家族じゃない! 怪原家の一員じゃない! あなたはこの家に対する「害悪」だよ!」
王瑠の目をしっかりと見つめて、珠飛亜ははっきりと言い放った。
「あんたなんか……さっさと…………出ていけえぇ―――――――――――――――――――っ!」
突如、台所の蛇口が、ひとりでにひねられ、大量の水が勢いよく流し出された。それらは、瞬時にどす黒く変色し、白い仮面のようなものが浮き出し、王瑠に襲いかかった。
『コォォォォォォォ――――――――ッ』
それは、珠飛亜の怒りの化身。自らの周辺の水分を激しい感情に呼応させて、その感情を象徴する何かを生み出す彼女の異能・"漣水精装"によって生み出された、「憤怒」を司る忌まわしき殺人人形。
『蛮装行列』が、その牙を王瑠に向けた。
しかし――
「ッ!?」
人形は、王瑠に触れる寸前で、あっけなく霧散した。あとには、流れ出続ける水の音だけが残った。
「無駄だ、と言ったろう。愚者がある限り、ボクに敗北はない。ボクに勝てるであろう二人がここにいない今、キミたちに勝機はないんだよ」
情動的に自動発動する彼女の異能の性質を知っている王瑠は、必ずどこかのタイミングで彼女が異能を発動することを予測していたのだ。そのために、後方の水場には常に気を配っていた。
攻撃・守備の両方において、今の王瑠にスキは全くない。 奇襲で勝てるのなら、理里はとうの昔に〝神蛟眼〟を再発動している。
運命の車輪で拘束された三人は、いずれも身体をさほど動かさずとも攻撃ができるが、全員の動向に気を配っておけば、そこは愚者でカバーできる。あとは残る十三のコストのうちから攻撃系統の異能を発動すれば、いつだって皆殺しにすることは可能なのだ。
しかし、彼はあえてそれをしない。何もせずに殺してしまうのは、もったいないと考えているからだ。最終的には死んでもらうことになるが、彼らは本当にいい反応をしてくれる。だからせめて最期の時まで、存分に楽しませてもらおう。
「ボクに口答えしたあげく、後ろから奇襲をしかけようなんて悪い子には、おしおきが必要だねえ……
……おらぁ!」
王瑠は珠飛亜のあごを蹴り上げた。
「がっ!?」
彼女の身体がのけぞる。しかし、四肢を固定されているために、完全にはそり返らず、その衝撃はヒットした顎、そして肩、首に集中的に与えられた。
再び床に伏せる間も与えず、王瑠は同じ部分を的確に蹴った。何度も、何度も。
「きゃははははははははははははははははは! どうした、何か言ってみろよメス犬がぁ! ほら! ほら! ほらぁ!」
『ボグゥ』というような大きな音が、彼女の両肩から発せられた。蓄積した衝撃が、肩を脱臼させたのだ。
「あぐぁっ……ぐふぅっ、……かはっ!」
悲鳴をあげようとする珠飛亜。だが、継続する王瑠の蹴撃によって、それはとぎれとぎれのものとなった。
「ほら! ほら! ほら! ほらぁ! さっきまでの威勢はどうしたぁ!」
「げうっ……がうっ……がほぉ」
凄惨を極める懲罰は続く。それを、為すすべもなく眺めていた理里は、ついにこらえきれなくなった。
「やめろぉ!」
涙ながらに、彼は叫んだ。
「もぅ……やめて、くれぇ! それ以上やったら、珠飛亜が死んでしまう! 俺には何をしてもいいから……家族だけは、助けてやってくれ! これ以上、俺から奪わないでくれぇ!」
理里の脳裏にちらつくのは、失った恋人の顔だった。これ以上、愛する人が死ぬ瞬間を見せられるのは、耐えがたい悲しみだった。
叫んだ理里に、王瑠は振り返った。
「へえ。何をしてもいいのかい?」
「ああ、いいとも……だから、だからみんなだけは……」
「死ぬよりひどい目に遭わされるかもしれないよ? それでもいいのかい?」
「ああ……それで、みんなが、助かるなら……」
食いついた王瑠は、念を押すように理里に問いかける。何だか知らないが、こちらの提案に乗ってくれたようだ。これで、家族は助かるんだ。
「だめぇ……だよ……りーくん……りーくんが、いない、せかいなんて……いきてても、たのしく、ない……!」
顔は傷だらけ、歯も何本か抜け飛び、満身創痍の珠飛亜が、苦し紛れに言う。が、理里はそれを制した。
「いいんだ……紫苑との約束は、果たせそうにないけど……大好きな家族のために、この身を捧げられるのなら……俺は、それで満足だ……」
本来なら、数か月前に死んでいた身だ。ここまで生きられたのだから、何も悔いなどない。
「なるほど……キミの気持ちはよぉく分かった……」
蹴撃を止めた王瑠がつぶやく。
「本当か!? 本当に、手出しはしないんだな!?」
理里は安堵し、無表情の王瑠に目を向けた。この男にも、どうやら一抹の情というものはあったようだ。これで、これで全ては丸く収まる。みんなちょっとは悲しむかもしれないが、それも一時のことだ。早く、こんなトカゲ男の事は忘れて、楽しい人生を送ってくれ……。
そう、メッセージらしきものを心の中にまとめた時だった。
――光の無かった王瑠の黄色い目が、爛々と輝いた。
「だぁ――――――っっめだねぇ―――――っ! このオモチャは、今ここでぶっ壊す!」
「……なっ!?」
最高に『愉しそうな』表情で、高らかに叫んだ王瑠は、その右脚を振り上げた。その、再び床に振り下ろされる先には、珠飛亜の頭があった。
「待てっ、やめろぉお――――――――――っ」
「きゃはははははははははははははははは――――――っ!!!」
理里が絶望し、王瑠の愉悦が最高潮に達し、珠飛亜が恐怖に目を閉じた、瞬間――
廊下の方から突っ込んできた『何か』が、王瑠に体当たりを喰らわせた。
「きゃはは――――ごへぇ!?」
あまりに予想外であったため、異能を発動する暇もなかった王瑠は、そのままリビングの壁まで吹き飛ばされた。
「ふぅ……間一髪、間に合ってよかったぜ」
粉塵の中から聞こえてきたのは、少し鼻につく特有の美声。それを発した人影は身長がかなり高い。百八十センチは越しているだろう。
「希瑠兄さん!? 今日は夕方まで帰らないんじゃなかったのか!?」
理里は、驚きと喜びが入り混じった表情で、目の前の総白髪のひょろっとした男性を見上げた。
深いクマが刻まれた目元を静かに憤怒にゆがませて、この家の長男――怪原希瑠は、答える。
「いや。この野郎、こともあろうに俺様に電話をかけてきやがった」
そう言って、希瑠はつかつかと王瑠に歩み寄った。
「久しぶりだな、王瑠。もう、二度と会う事ぁねえと思ってたけどな」
「…………兄さん」
睨みあう二人。怪原家vs王瑠の戦い、その第二ラウンドが、今始まろうとしていた。




