7. ブライダリー・ダークソーン その②
「赤い髪の男?」
「うん……ひっく、そうなの。きらが、ほんやさんにいたら、そのひととおかあさんが、なかよさそうにおはなししながら、あるいていったの」
とりあえず綺羅を家に入れた希瑠は、食卓について司令官座りをしながら、ようやく少し落ち着いた綺羅の話を聞いていた。
断片的な彼女の話をつなげると、本屋で立ち読みをしていた時に男を連れた母が現れ、とても仲睦まじい雰囲気を醸し出しながら、目の前を通り過ぎていったのだという。そしてその男が、『赤い髪の毛』だったらしい。
「なるほどな……ほかに、そいつに何か特徴はあったか?」
「えーっと……おかおが、ものすごく、きれいだったよ。おんなのこみたいで。あと、おめめがへびさんみたいにまっきっきだったよ」
「ふむ……中性的な顔立ちに、蛇のような目……いや、まさか……」
「? なぁに?」
「ああ、いや、なんでもないよ」
首をかしげた綺羅に、希瑠は微笑みかけた。
その容貌を持つ者に、希瑠は心あたりがあった。しかし、それは『ありえない』ことだ。あいつは、俺が追放したのだから。今さら姿を現すわけがない。きっと他の誰かだろう。
しかし、母さんが浮気とは。まあ、父さんは行方をくらまして十五年にもなり、書類上でも死んだ扱いになっているから、別に浮気というわけではないのだが……子どもとしては、少しショックだ。
考えてみれば、確かにそろそろ頃合いなのかもしれない。いつまでも帰らない人を待ち、涙を流し続けるよりも、すぱっと忘れて新しい人生を歩き出したほうが、母さんにとってはよい気がする。ただ心配なのは、新しい相手の年齢だ。見た目が『おんなのこみたい』ということは、相当若い……最高でも二十代くらいだろう。そうなると、父親が俺より年下ということになってしまう可能性も……。
「あっ。そ、そういえば、もうひとつ、きになることがあったの」
希瑠が完全なる杞憂に打ちひしがれていると、綺羅が思い出したように声をあげた。
「ん? 何だ?」
「お、おかあさんのくびに、くびわがつけられてて、おとこのひとがくさりでそれをひいてたの。な、なんで?」
途端、希瑠は豪快に椅子から転げ落ちた。
「ど、どうしたの!? だだ、だいじょうぶっ!?」
「あ、ああ…………」
大丈夫なわけあるかバカヤロォォォォォォーッ!!!! こんな奇襲爆撃誰が想像するか! え、嘘だろ、母さんにそんな趣味あったの!? 俺のドM体質は遺伝だったの!? 三千年も生きると、もはや人の目など気にならなくなるの!? 気にして! そこは気にして! どうかそういうのは自分の部屋の中だけでこっそりやって! もしくはそっち系の店だけで!
「綺羅……今お兄ちゃんに話したことは、絶対に誰にも言っちゃいけないぞ。特に珠飛亜や吹羅にはな。墓場まで持って行ってくれ」
「う、うん……?」
腑に落ちない様子で、綺羅は首をかしげた。綺羅、そのうちお前も分かるようになるだろうぜ。自分が見てはいけないものを見てしまったということを……。
★
翌日は土曜日だった。休日とも平日ともつかぬこの日の柚葉市は、奇しくも豪雨に見舞われている。
が、それでも街は回らなくてはならない。その歯車たる人の流れは、こんな日にも途絶えることはない。
その最たるターミナル・柚葉駅で、今まさに一人の厨二が新たな黒歴史を打ちたてていた。
「はーっはっはっはっは! 天が、天が怒っているぞ! 真なる罪人に裁きを下したまえ!」
何が嬉しいのか、傘もささずにびしょ濡れになり、怪原吹羅は高笑いをしながら、当然のように何の催しもない駅前広場でくるくると回る。左目の黒い星形のペインティングが雨で流れ落ち、その顔の左半分はかなり悲惨なありさま、手の込んだ『くるりんぱ』と呼ばれる髪型もぐしゃぐしゃに崩れ、まるで怪しい魔女のようだった。
当然、道行く人々はそんな彼女を忌避する。関わらないよう目をそらす者、奇異の視線を送りながら通り過ぎる者、さまざまである。
だが、吹羅はそれを全く気にしていなかった。というより、楽しんでいた。『人から変な目で見られる我かっけー』という、完全なる厨二の精神であった。
「はーっはははは! ははははは! はぁ……」
少し疲れたらしく、吹羅は広場のステージにどさっと座り込んだ。
(やれやれ、今日もまた新たな伝説を残してしまった……ふふふふ)
とても満たされた気分だ。人から注目されるというのは、やはりたまらない。皆が我を恐れている。我の力を恐れている。我は強者だ。我は王だ。我は、神だ!
「くくく、くっくっく……ふははは、ふはははは!」
喜びのあまり、吹羅は脚を激しくばたつかせた。水がばしゃばしゃと飛び散る。人々はそんな彼女を、避けて通り過ぎていく。
「ふははは、はぁ、はぁ……」
吹羅はぼぅっと、自分を避けていく人の波を見つめた。あいつらは、果たして今の自分に満足しているんだろうか。みーんな浮かない顔して駅から出てくるじゃないか。
おそらく彼らのほとんどは、何らかの会社なり組織なりに所属しているか、また家庭に入っていることだろう。そこには、そこなりの幸せがあるのかもしれない。金銭であったり、地位であったり、はたまた家族の成長であったり。
だが、吹羅は考える。果たして、本当にそれに満足していていいのだろうかと。
献身の幸せ。貢献の幸せ。地位や名声を得る幸せ。そんなものが理解できないわけではない。ほとんどの人間はそれのために生きている。それがどれだけの価値を持っているか、このことがよく表している。
しかし。ならば、『我』は何のために存在するのだろうか。我は、なぜ『怪原吹羅』なのか。
献身。貢献。地位や名声。それらはすべて、誰にでもできることであるし、誰にだって努力すれば手に入れられるものだ。言わば、ゲームクリアの報酬のようなもの。誰だって努力すれば魔王は倒せるし、殿堂入りはできる。
『誰がやっても同じ』。道は違えど、結局は誰だって同じ事をしている。人に『与えられた』仕事をこなし、人に『与えられた』地位で喜ぶ。同じものを楽しみ、同じもので喜び、同じ事をして生き、同じように終わりを迎える。みんな同じなのだ。多少の差異はあろうと、それは同じもののパターンが違うだけに過ぎない。人間は全て『歯車』なのだ。ただ『人類』という大きな機械を動かしていくためだけの歯車に過ぎない。他のために生き、他のために死ぬ事を至上の喜びとする。
だが我は『個』だ。『一個』なのだ。他の奴らのことなんてどうだっていい。他人に尽くしたくなどないし、地位や名誉も欲しくない。人のために自分を殺して生きる、そんな歯車になんてなりたくない。『わたしはわたし』なのだから。
生き物は何のために生まれるのか。それは、『私が私であるため』だ。精霊界で集合意識として、『混沌』として生きていた魂は、『ひとり』になりたいと思ったから、この世界に生まれた。そして完成した『ひとり』は、冥界という『個の楽園』で永遠に生き続けるために、現世で『個』にならなくてはならない。『他』のために生きているようでは、完全な『個』にはなれない。そんな中途半端な『個』では意味がない。
では、なぜ生き物は子を産むのか。それは、新たな魂を『個』に昇華させるためだ。精霊界にある魂は数知れない。星の数、どころではない。大多数は集合意識として全ての根源たる『混沌』を構成している。しかし、いくらかは『個』になりたがっている。それはまだまだ尽きることはない。魂もまた無限に生まれてくるのだから。
精霊界から最初の『個』が生まれるまでに、長い歳月が費やされた。この宇宙への扉を開くのは容易なことではなかった。魂はそのままでは人界に存在できなかったからだ。だが、自力でどうにかこの世界に出現した魂――"始原の五神"と呼ばれる神々の助けを得て、魂はやっとここにたどり着いた。
その歴史を最初から辿れというのはあまりにも酷な話だ。だから、神々は(具体的には"始原の五神"のひとり、エロースが)魂の依代に増殖機能を付与した。よって、我々は今日まで存続しているわけだ。
『私は私でありたい』。いや、あらなくてはならない。それをほとんどの人間は忘れてしまう。他への貢献があまりにも簡単な理屈の幸せだからだ。
だがそれは違う。『他のために生まれてきた』? それは本来の意味を履き違えている。我らは個になるために生まれて来た。その志は同じだ。助け合いとは、『個』になっていく過程で生まれるものであって、決してそちらが本筋というわけではない。
我は踊る。目的を忘れた観客など知った事ではない。我が我であるために、この物語を我自身に刻みつけていくのだ。
自分の信念を再確認して、吹羅は人の流れを見守る。あの人もこの人もその人も、きっと誰かのために生きている。部活帰りらしき学生も、禿げかかった初老の男性も、疲れの滲む若い女性も――
「む?」
……待て。あれは、何だ。
最後に吹羅が視線をやった、倦怠感溢れる長身の女性。髪はくすんだ銀色で、首には獰猛なタイプの犬用の首輪をし、胸の部分に穴が空いた黒いタートルネックを着ている。
彼女は、まばらな人の流れの中で、うつむいて立ち止まっていた。
確かに、少し『個』の強そうな見た目ではある。だがそこいらにいて有り得ないことはない。なのになぜ、そこに異様な雰囲気を感じるのだろう。
それはひとえに、彼女が吹羅に敵意を向けていたからだった。
「……『英雄』か? かように人の多いところで我に戦いを挑むとは、考えなしにも程があるのではないか」
吹羅の声は届いていないだろう。しかし何かを感じとったのか、女性は顔を上げ、吹羅を睨んだ。
「いいだろう。だが、貴様が『英雄』である限り、我に敗北はない。自ら死を望むというのなら、かかってくるがいい」
吹羅は立ち上がり、臨戦態勢をとる。すると、女性は首輪に手をかけた。
ベルトを調節し、首輪を外す。すると、
「ぐぅっ! がぁっ……ごほぉ」
女性は、唐突に胸を押さえて苦しみだした。
「……?」
吹羅は首をかしげるだけで、特に彼女を気遣ったりはしなかった。罠かもしれないからだ。もしくは、そういう異能なのか。
だがその様子は、一般人から見れば、かなり危ないのであって。
「だ、大丈夫ですか!?」
人のよさそうな女子高生が、彼女に声をかけた。
しかし、彼女は答えない。
「ぐああああああああああ、がああああああああああああああ」
否、答えられない。
「ちょっと待っててくださいね! 今、救急車呼びますから!」
濡れるのも構わず傘を置いて、少女はカバンの中の携帯を探す。
「ぐぇあああああああああああ、ぎぃあああああああああああ」
この世のものとは思えぬ喘鳴を上げ続ける女性。あせる女子高生は、ようやく見つけたスマートフォンに「119」を打ちこんだ。
「もしもし、救急車お願いできますか!? 女の人が苦しんでて…………えっ」
ふと、女性の様子を確認したとき。少女は、眼を見開いた。
目の前の女性の悲鳴は止まっていた。顔を上げた女性は、苦しそうな表情で少女を見つめていた。
しかし、彼女の目があるはずの場所には――獰猛な牙を生やした、赤黒い口が開いていた。
「きゃああああああああああああああああああああああああ!?」
少女は悲鳴をあげる。それにつられて、周りを歩いていた人間も振り向く。そして、
「な、なんだありゃ」
「特殊メイク……だよな」
「いやああああああああああ!」
走って逃げ出す者、興味もなく歩き出す者。様々だった。現実のものと信じられるはずはない。
だが、吹羅だけはその危険性に気づいていた。
「なっ……どういうことだ、これは……」
一般的に、『怪物』とは人の目で認識できるものではない。これは人間の身体が魂を内蔵しているのに対し、怪物は本来の姿では、魂の内側に肉体を形成しているからだ。魂は一般的な光を反射せず、熱源から光と同時に放たれる『霊光』というもののみを反射する。人間の中で、その光を感知できる者は少ない。
しかし、この場にいる全員にアレの姿は見えていた。まさか、全員に霊光を感知する目が具わっていたということはあるまい。となると、答えはひとつしかない――
――アレは、『異形の帝王』だ。
「ぐぁうるるる」
人とも獣ともつかぬ唸り声をあげたソレは、怯えて動けなくなった少女の首に噛みついた。
「きゃああああああああ! ああああああああああ、あああああ……ああ……あっ…………………………――」
悲鳴をあげた少女の首筋から、じゅるじゅると音をたてて、ソレは血液をすする。それにつれて、少女の肌が真っ青に変貌していく。
どさっ、と、動かなくなった少女が倒れた。
「……おい、嘘だろ」
「いや……え、映画の撮影かなんかじゃねーの……? カメラマン、どっかにいるんだろ!? おい、出てこいよ!」
場の空気が一変した。道行く人々の足音が早くなる。逆に動けなくなる者もいた。
そんな中――ソレは、ニヤリと嗤った。




