5. ドラゴンズ・ダウト
正直に申し上げますわ。わたくし、公領真龍は、怪原理里くんのことが好きです。
でも、実際に結ばれたいとは思っていません。だって彼には、すでに決まった人がいらっしゃるもの。それを邪魔して彼を不幸にしたくありませんわ。
え、「お前の気持ちはどうなるんだ」……ですって? そうですわね。確かに、はたから見ればわたくしは、他の女に負けて幸せを掴めなかった可哀想なひとですわ。
でも。……これはわたくしの人生の指針にも関わることなのだけれど、わたくしはそれで充分なのですわ。いえ、むしろ、そうなることを望んでいるのです。
例えばです。第一志望の高校にあなたが落ちてしまったとしますわ。しかし、同じ高校を受験したあなたの想い人は、その高校に受かってしまいました。思いも伝えないまま、二人は引き離されてしまったのです。普通の人ならものすごく落ち込むでしょうね。
もしもその高校に二人とも受かっていたら、どうなっていたでしょうか。一番いい未来としては、高校に入ってその人に思いを告白、了承をいただき、そのまま大学に行っても関係は続き、めでたく結婚、そして死ぬまで共に……といったところでしょう。実にいい『可能性の未来』ですわね。
でも、仮にそうなってしまったとしたら、そこにはひとつの『事実』が生まれます。あなたが実際に体験した『事実』は、歪めようのない思い出としてあなたの心に刻まれてしまうのです。果たして、それは本当にいいことなのでしょうか?
では逆に、最初の仮定に話を戻しましょう。志望校に落ち、思いを伝えることができなかったあなたは、『志望校に受かっていた未来』を妄想するでしょう。それこそ先ほど述べたような、告白して、付き合えることになって、結婚して……というようなことです。その妄想においては、誰もあなたの邪魔をすることはありません。実際に相手があなたのことをどう思っていようと、相手はあなたの想いを受け止めてくれ、死ぬまであなたへの愛を絶やすことはありません。そこには何の障壁もありません。その世界においては、あなたは完全に自由であり、全てはあなたの思いのままです。
またこの世界では、あなたはストーリーを自分の都合のいいようにいくつでも作ることができます。自分からでなく相手から告白された『世界』、じつは相手はFBIのスパイで、愛し合う二人は世界のうねりに巻き込まれていくという『世界』、突然二人だけ異世界に転送されてしまうという『世界』……想像は尽きることはありません。ゲームのデータを別々に際限なく記録できるようなものです。
この『妄想』こそ、わたくしが求めるものなのです。『妄想』とは、無限です。決して叶わない夢でも、妄想の中なら想像するだけで一瞬にして叶います。これこそ、人間の求める理想郷の姿ではないでしょうか。現実の世界などという低俗な世界を捨て去り、我々が到達すべき高位の世界なのではないでしょうか。
ですからわたくしは、現実がどうあろうと気にしません。『わたくし』という世界の中には、理想が全てそろっているのですから。怪原くんにわざと告白しないことで、『怪原くんと結ばれた世界』をわたくしの中に生み出すのです。『事実』などという、変更の効かない旧世代品よりも、その『世界』を手に入れることの方が、わたくしにとってはよっぽど重要です。
わたくしが思うに、人は死んだあと、ひとつひとつの独立した『世界』となって、永遠にどこかに存在しつづけるのです。人生とは、その世界をより高位のものとするために、いろいろな経験を積み、世界の『基盤』を作り上げるための準備期間なのです。
わたくしは、『基盤』はもう揃ったと感じています。怪原くんとわたくし、そしてわたくしたちが暮らす世界さえ存在すれば、それ以上のものは何も必要ありません。わたくしだけの世界で、わたくしだけの怪原くんと、永遠に愛し合い続けるのです。それこそが、わたくしにとっての『幸せ』なのです。
☆
(ああ、またか……)
怪原理里は、学校の駐輪場に入った瞬間、その気配をいとも簡単に察知した。
振り返るまでもなく、公領真龍だ。どうもここ最近、俺は彼女にストーキングされているようなのだ。
最初は、大したことだとは思っていなかった。ただ単に帰り道が同じだけだと思っていたのだ。この柚葉高校内でも屈指の美少女であり、家はおそらくこの辺りで一番の大富豪、自慢の金髪はイギリス人の母親譲り、文武両道で何でもそつなくこなし、人当たりもよくクラスの人気者であるという社会的性能がチートの彼女が、万年ぼっちの理里にまさか興味があるとは思わない。いくら高二という年頃でもそんな勘違いはしない。
しかし、家の前まで彼女が自転車でついて来たとき、さすがにその異常性に気づいた。ほら、今も試しに振り返ってみると。
いない。いや、いるのは分かっているが、視界に入らないように電柱の裏に完全に姿を隠しているのだ。影すら最小限になるように、柱を数メートルも一瞬にして上っている。帰路でもこの調子で、自転車は不自然さのないように道路脇に瞬時に停車され、本人は物陰に完璧に隠れるのだ。何本ですがだお前は。そのうち渡り廊下来日とかやりだすんじゃないのか。
とはいえ、『ずっと気づいてました』と教えてしまうのも可哀想で、結果今日まで犯行は続いている。あれほどクオリティ高く隠れているのにバレバレとは、悲しい。
「仕方ねえ、今日も見逃すか……」
別に目立った行動をしてくるわけではない。放っておいても問題はないだろうとまた自分を納得させ、理里は永き呪縛から道のりを共に行く魂の友を解放するのだった。
☆
今日も怪原くんを尾行しはじめて、数分がたちました。相変わらずかわいいですわ……なんで男の子なのに、あんなにくりっとした目をしているの? 身長はちょっと高いけど、まつ毛も長いし、肌は白いし……ふふ、新鮮な妄想の材料が、どんどんと構築されていきますわ……あああ怪原くん、あなたはどうして怪原くんな
「キミ、そこで何してるのかな?」
「ひゃんっ⁉」
電柱の影で密かに興奮していた真龍は、耳元でかけられたささやき声に仰天した。
思わず振り返ると、文字どおり目と鼻の先に、真龍より少し年上――大学生くらいの美しい女性の顔があった。
「な、ななななななななななんですの⁉ ……って、あなたは!」
そしてその顔は、真龍の見知った、いや、柚葉高校の現在の二年生以上の生徒ならば誰でも知っているであろう人物のものであった。
おでこを出したボブカット、大きな眼に整った鼻筋。女性としては少し高い程度の身長であるが、顔が小さく脚が長く、その他いきすぎない程度に育った完璧なプロポーション。柚高史に残る変人OG、怪原珠飛亜その人である。
自分より少し低い身長の彼女を、真龍は心底恐怖し、後ずさろうとした。だが、その後ろには電柱しかない。
「質問に答えて? あなたは、こんなところで、なにをしているのかな?」
「そ、それは……」
言えるわけがない。『あなたの実の弟をストーキングしていました』などとは。
そもそも、彼女が変人として多くの人に認知されている理由は、弟・理里に対する壮絶なまでの溺愛っぷりだ。在学中は毎日一緒に登下校したり、理里の教室に弁当を食べに来てイチャイチャすることはもちろん、体操服(しかも理里の使用後)をアブナイ目で借りに来たりもしていた。おかげで理里もクラスメイトからはシスコン扱いされ、折召紫苑と仲睦まじくなるまではいつもひとりでいたのが、二年連続で同じクラスの真龍の印象に残っている。
そんな病的なブラコン女に、真龍の真実を告げれば、どうなるか分かったものではない。最悪の場合、市中引き回しの上磔獄門……!
「そ、そう! あそこの木に、珍しい蝶がとまっていたのですわ! でも、驚かして逃がしてしまってはかわいそうだと思ったので……ここからこっそりみていたのですわ! 今はもう飛んで行ってしまったようですけれど!」
「へぇー。蝶、ねえ……」
珠飛亜は胡散臭そうに真龍を見つめた。そして、「ふっ」、とひとつ息をついて、
「とぼけんなよこのビッチが。てめえ、わたしのかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいりーくんをストーキングしてたんだよな、あぁ? 何とか言えコラ」
(やっぱり無理でしたわー!)
美しい外見から想像もできないような下品な暴言が珠飛亜の口から飛び出した刹那、真龍は心の中でシャウトした。こういう悪知恵が働かない自分が恨めしい。
「キミ、わたしのりーくんに手を出したら、ただじゃ済まさないからね? キミみたいな悪い虫がつかないように、わたしは毎日毎日気付かれないようにりーくんを陰から見守ってるんだから。わたしの目の黒いうちは、りーくんには指一本触れられると思ってんじゃねーぞこの変態が」
(この人、やっていることはわたくしと何も変わりませんわ⁉)
またしても悲壮なツッコミが真龍の心に響き渡る。しかし、目の前のこの女性の威圧感に圧倒されて、それは実際に空気を震わせることはなかった。……にしても、この人にだけは『変態』と蔑まれたくはない。
おびえながらも真龍が憤慨していると、珠飛亜は突然、真龍の手首を掴んだ。
「っ⁉ な、何をしますの!」
「ちょっと顔貸して。害虫は始末しておかないと、いつのまにか作物は食い荒らされちゃうからねー」
その言葉を聞いた途端、真龍の両眼に炎が宿った。
そのまま彼女を裏路地へと引きずっていこうとしていた珠飛亜の手を、真龍は振り払った。
「……何のつもり。ケンカ売ってるわけ?」
「わたくし、今の発言だけは許せませんわ」
眉根を寄せて、真龍は珠飛亜を睨みつけた。
「なぁに? 害虫呼ばわりされてプッツンきちゃった感じぃ?」
「違いますわ。わたくしなどどう呼ばれようともいっこうにかまいません。わたくしはあなたのおっしゃるように『ストーカー』で『変態』ですから。仕方のない事ですわ」
「……へえ。じゃあ、何がキミを怒らせたの。何がキミの『地雷』なの?」
怒りをはらんだ声で答える真龍を、珠飛亜は怪訝そうに睨んだ。
それに答える事に、真龍の中に恐怖心はなかった。
「怪原くんを『作物』とはなんですか! 尊い怪原くんに対して、失礼にも程がありますわ!」
ビシッと珠飛亜を指さして、真龍は糾弾した。自分はどう呼ばれようとも構わない。だが、わたくしの愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて仕方ない怪原くんを侮辱することは、断じて許せなかった。
「お姉さまこそ、ちょっと顔を貸してほしいくらいですわ。怪原くんを愛する者としての自覚が足りないのではないですか? しかも! 姉という、家族という、無条件でおおっぴらに怪原くんを溺愛できる立場にありながら! わたくしより何倍ものアドバンテージを持っていながら! 何事ですかうらやましい! ……あ」
ぽかんとした顔で珠飛亜が自分を見つめているのに気づき、真龍は我に返った。
「ご、ごめんなさい、つい熱くなってしまいましたわ……」
真龍が頬を赤らめて、珠飛亜の方を見ると。
「かべっ、どーん!」
「きゃあ⁉」
口に出した擬音のとおり、珠飛亜は真龍を挟む形で、壁に右手をついた。
「いやー感服感服。りーくん関係のことでわたしにそんなナメた口を効いたのは、あのいまいましいヤンキー女を除いたら、キミが初めてじゃないかなー。しかも、『お姉さま』とか……なぁに? もう未来の義妹宣言しちゃってる感じ? もう怒りを通り越して尊敬しちゃうねー、うふふふふふふふ」
鼻と鼻が触れ合うような距離で、満面の笑みを浮かべた珠飛亜が、起伏のない口調で呟いた。無感動な笑い声は、真龍をいっそうおびえさせた。
「そっかー。やっぱり、りーくんのことすきなんだね」
「……そ、それは」
ありえないミスを犯してしまった。この、おそらく地球上で一番怪原くんに執着している女性に、あろうことか彼への熱い想いを漏らしてしまった。天然な自分が憎い。
しかし……この人は、なぜわたくしに向かって手刀の切っ先を構えているのでしょう。
「じゃ、死んで♪」
珠飛亜の手刀が閃く。破砕音がして、土煙が上がった。
が、しかし。
「なっ⁉」
手刀の軌道は完璧だった。一直線に、このパツキン女の顔面をぶち抜くはずだった。
だが……
「なんで……」
珠飛亜の手は、セメントの壁に突き刺さっている。
「無駄ですわ。お姉さまの攻撃は、一切わたくしには届きません」
向き直る珠飛亜を、真龍は申し訳なさそうに見ていた。
「……ふざけないで! 次こそは、絶対に、殺すっ!」
珠飛亜は再び手刀を放つ。今度は連続してだ。だが、それらは全て、真龍を強引に避けるように、全て壁を穿った。
「そんな……いったい、何が」
「申し訳ございません、それは固く口止めされておりますので……。それより、お手はご無事ですか? ……まあ、お姉さまは頑丈なのですね」
安堵して、真龍は珠飛亜に微笑みかけた。
「……この、女……!」
珠飛亜は警戒して飛び退く。
(もしかして"英雄"? わたしをおびき寄せるために、わざとりーくんを尾行してたの? こうなったら、わたしの"漣水精装"で)
「コラ、珠飛亜。何やってんだ」
「……え」
珠飛亜がいっそう殺気立った時、ふいに彼女は、後方から襟を掴まれた。
この小競り合いの火種となった人物……すなわち理里が、自転車に乗ったまま、息を切らしてそこにいた。
「気配が止まって動かないから、気になって戻って来てみたら、やっぱりそういうことだったか……。ホラ、さっさと帰るぞ」
「えー! ちょっと、まだわたし、この子に用事が」
「言い訳は後で聞くから。あ、公領さん……その、ごめんな。うちのバカ姉が迷惑かけて」
「え……い、いえ、迷惑というほどでは」
自転車に乗り、珠飛亜の襟を掴んだまま、理里はすまなさそうに、軽く会釈をした。実際には、会釈どころでは済まされないような事案が発生していたのだが……。「優勢だったのはわたくしですから、いいでしょう」と真龍は勝手に納得した。
「……それじゃ、またな」
「ええ。また明日」
ぎこちなく、再び会釈をして、理里は自転車を走らせた。
珠飛亜を、片手で引きずったまま。
「キャー――――! ちょちょちょちょちょ、りーくんストップ! 痛い、痛いからぁ! あ、服、服が破けるぅ」
「黙ってろ。今度一般人に手出ししたら、文字通り消し飛ばすからな」
「つめたぁい! でも、そんなりーくんも、だいすきいたたたたたたたたたた」
軽々とドメスティックバイオレンスを繰り広げる姉弟を、真龍は笑顔で見送った。
その笑顔は、彼が遠ざかるにつれて、次第に歪んでいき……気づけば、
「うふふふ……うふふ、うふふふふふふふふ」
気味の悪い笑い声が、漏れ出していた。
「やばいですわ……リアル怪原くん、刺激が強いですわ……話しかけられてしまいました……あんな近くで、会話してしまいました……」
実際はそれほど近かったわけではないが、普段十メートル以上後方から眺めることしかできない真龍にとっては、ものの数歩の距離というのは、やはり近く感じる。
そんな彼女の、心の中から、呼びかける声があった。
『……マロン。近頃、君がどんどん危険な路線に走ってゆくのを感じるのだが……私は、君を止めた方がいいのかな』
ダンディな美声は、少し呆れた様子で、暗に真龍をたしなめる。
「そうですわね、おじさま。一般的に見て、わたくしはかなり異常な人間なのだと思います。それを正常に戻すのは、正常な者の務めなのかもしれません。
でも、それではわたくしは幸せにはなれませんわ。わたくしの幸せは、ただ怪原くんをより精緻に記録して、より精巧な怪原くんのイメージを私のなかに確立させることですもの。その道を究めるには、今よりもさらに、もう少し壊れなくてはならないかもしれませんわ。でも、それはおじさまには関係のないことでしょう。おじさまは、わたくしのなかにいられれば、それでいいのですもの」
『そうだな。私には、棲む場所さえあればそれでいい。それだけでいいのだからな』
それきり、彼女の中の『何か』は押し黙った。
「ああ、でも……うふふふ、どうしましょう! これはもう、妄想には戻れないかもしれませんわね……ああ、感じますわ……私の身体の奥深くが、心が、怪原くんを自分のものにしたいと疼いていますわ……私の中にいる彼ではない、本物の怪原くんを……うふふ、うふふふ、うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
明らかに越えてはいけない一線を越えた(いや、始めから越えていたかもしれないが)真龍は、再び理里を尾行しはじめるのだった。
《つづく》




