最終話 ザ・セカンド・ティタノマキア その㉑
数週間後――
梅雨がその影をちらつかせ始める五月下旬、ある晴れた日の朝。理里は、学校に行くため、駐車場横の自転車を押し出した。
「いってらっしゃい。無事故で、ケガなく、帰ってきてね」
「ああ。もちろんだよ」
見送る母。その隣には、
「今日もしっかり、がんばってくるんだぞ」
顔に大きな傷のある、金髪の三十代前後の男性……父・手本だ。自らの権能により、タルタロスの深淵の中からオリンポスの神々を助けた功績、そしてガイアに脅されていたという情状酌量により、かつての罪は不問となり、晴れて家族と過ごすことができるようになったのだ。また、その捜索の目的を失った英雄たちも、そのほとんどが夜空に帰り、星座はほぼ全てが元通りとなった。
「うん、父さん!」
「気をつけてな。……ああ、それと」
自転車を走らせようとした理里に、手本は歩み寄り、耳打ちする。
「マロンのこと、よろしく頼むぞ」
「……ああ……」
心の中に住んでいたこともあって、父は真龍の思いを知っており、陰ながらも応援しているのだ。こちらとしては、ただのストーカーという印象しかないのだが……。
「……まあ、仲良くやるよ……」
「よし、それを聞けて安心したよ。……今度こそ、行ってらっしゃい!」
「いってきます!」
バンッ、と背中を叩かれて、理里は自転車を走らせる。
★
「よう」
柚葉市の、中心より少し北に位置する団地。そのD棟の前で、キキッ、とブレーキをかけて、理里はそのポストのあたりに立っていた、水色のポニーテールの少女に声をかけた。
それをまとめるのは、白地に黒の水玉のシュシュ。
「おはよ。ちょっと遅かったんじゃない?」
少し女の子らしさが増した口調で問いかけたのは、もちろん紫苑だ。
「ああ……朝のニュースに見入っちゃってさ。ほら、colorsが新曲出したらしいんだ」
colorsとは、理里が愛してやまない三人組テクノ系アイドル。今年で結成十五年になり、メンバーはもうアラサーのはずなのだが、むしろ年月が過ぎるほどに美しさを増している……と、理里は評している。
「へー。何カ月ぶり?」
「きっかり半年ぶりだよ! ハミガキのCMも決まってるんだ!」
「ははっ……そりゃ、楽しみだな」
自転車を降りて押しながら、理里と紫苑は歩き出す。この紫苑の家のある団地から、高校までさほどの距離は無い。徒歩でも十分弱あれば着く。
と、
「ちょっと待ったあああ――――っ!!!」
「うおお⁉ ……って、珠飛亜かよ……」
前方の電柱の陰から飛び出し、珠飛亜は呆れる理里をビシッと指差す。
「りーくん! そして青ゴリラ! ここを通りたくば、わたしを倒してから……と言いたいところだけど。実は、紹介したい人がいるんだ!」
「「……は?」」
理里と紫苑は、思わず目が点になった。
「……どういうことだ? あの珠飛亜が、まさか彼氏なんて」
「うーん……一応美人だから、ありえない話じゃないけど」
そんなコソコソ話もよそに、珠飛亜は自分が出て来た電柱の裏から、何やら抵抗する人影を引っ張り出そうとする。
「ほら! いつまでもシャイになってちゃだめだよ!」
「いや、でも、わたくしはっ」
艶やかなブロンドが、ちらちらっ、と。だが、結局は抵抗できず、人影は理里たちの前に押し出された。
「って……マロン⁉ なんでここに? お前の家、ずっと向こうだろ?」
紫苑は驚き、理里は頭を抱える。
背の高い細身の身体、どこか日本人離れした整った顔立ち……そして、一度見たら忘れない、鮮やかに輝く金の髪。
もじもじと気まずそうに目を逸らすのは、まぎれもない公領真龍。
「この子も、一緒に学校に行きたいんだってさ。ねえ、いいでしょりーくん?」
「いやあ……」
冗談でも肯定はできない。何せこれまで自分につきまとってきたストーカーだ。
しかし、
「いいんじゃない?」
隣の紫苑はあっさりと頷く。
「お前……空の上から見てなかったのかよ……」
「見てたさ。でも、マロンは悪い子じゃないし。何より、リサは誰にも渡さないからな!」
臆面もなくそんなことを言われ、理里は顔を赤くする。
が……そのセリフが心地よくない人物は、奇しくもここに二人とも揃っている。
「ん? ごめん、今なんて? ウホウホ言ってるようにしか聞こえなかったんだけど」
「シオン……いくら友だちでも、その言葉は聞き捨てなりませんね。尊崇すべき怪原くんを、自らの所有物とは……僧上慢にも程がありますよ?」
史上最恐のアルカイックスマイル×2が、紫苑に詰め寄る。だが、負けじと紫苑も、顎を上げて腕を組み、
「何だあ? ケンカなら買うぜ? 何なら、誰がリサに一番ふさわしいか、今ここで決着つけようじゃねえか」
「へえー、低能のくせにたまにはいいこと考えるじゃん。ま、わたしが勝つに決まってるけどね」
「わ、わたくしだって! 怪原くんの信奉者第一号として、絶対に負けられませんもの!」
「いいかげんにしてくれえぇ――――っ!!!!」
幸せ者の慟哭が、夏の空に響く。
《完》




