28. ザ・セカンド・ティタノマキア その⑫
「ちょっと待て!」
ところ変わって、グラウンドの西側。真龍を倒す計画を立てていた紫苑は、地獄の考えたその方法を聞いて、即座に彼の胸倉を掴み、自分の方に引き寄せた。
「それじゃ……あいつが死んじゃうじゃないか!」
詰め寄る紫苑に、地獄は苛立ちの視線を向ける。
「おい。よもや貴様、今さら『見知らぬ少女を殺したくない』とでも言うのではあるまいな」
「違う! あいつは……友達なんだ。あたしのことをわかってくれる、そう何人もいない人のひとりなんだっ」
ただ、人当たりがいい性格というだけかもしれない。でも、あいつはあたしに話しかけてきてくれた。冗談を言って、笑いかけてくれた。
だから、なんとしても生きたまま正気に戻してあげたいのに。なぜ、この男は。
「あいつは普通の人間なんだ! そんな奴がお前の左眼を喰らったら、無事じゃ済まないじゃないか!」
紫苑が睨みつけた地獄の、左右色違いの、金と青の瞳。その左目は、アルゲニブと同じく彼の『天装』のひとつだった。
『邪眼アルゴラ』。かつて彼が斬り落とし、自らの武器としたメデューサの首は星となり、天装となって彼の眼窩に収まったのだ。
「ほう。普通の人間、か。ならばあの泥人形は何だ。あの異能は何だ。黒く染まり、宙に浮くあの姿は何だというのだ! ……確かにお前の友人は、元々はただの人間だったかもしれない。だが今のアレは、化け物以外の何者でもない!」
地獄は紫苑の手首を掴み、そのまま身体をひねって、彼女を投げ飛ばした。
「痛っ⁉」
背中から叩きつけられ、視界に星が舞う。
「それを切り捨てられぬとは、やはり貴様は甘すぎる! たとえ誰であろうと悪は滅ぼす! それが英雄の義務だとなぜ分からない! なぜその義務を果たせない!」
地獄は激昂していた。紫苑を殴りこそしなかったが、その言葉は、自分の心の指針を汚された怒りに満ちていた。
「もういい、貴様はそこを動くな。……アン! 『螺鈿』を解除しろ!」
「えっ……でも」
戸惑う餡子に、地獄は額に青筋を浮かべて怒鳴る。
「いいからやれ! 俺が、奴を仕留める」
「待て! やめろおおおお」
紫苑は立ち上がり、地獄に掴みかかる。
「この、離せ! 邪魔だ軟弱者!」
「うるさい! おまえにマロンは殺させない! あたしが守るっ」
地獄と紫苑が乱闘の様相を呈し始めた、その時。
「「っ⁉」」
戦場の喧騒すべてをかき消すほどの地鳴りが、彼らの後方で響いた。ふたりの身体は、一瞬宙に浮き、どさっと落ちる。
「今のは……⁉」
後ろを振り向いた紫苑。その視界に入ったものを見て、彼女は愕然とした。
「なんだ……ありゃ……」
『黒』。夜空にまぎれて見えづらいが、皮膚が『黒』で覆われ、身体のところどころに白くローマ数字が浮き上がった、身の丈百メートルにも及ぶ巨人が、そこに立っていた。
『ごきげんよう、英雄の諸君。そして我が末裔どもよ』
口があるのか無いのか分からないが、とにかく人間で言うそのあたりから、厳かな声が聞こえる。
『我が名はクロノス。かつての神王であり、そして今再び、その座に返り咲く者。
今日この日をもって、この世界を統べる神は入れ替わる。怠惰に染まりきったオリンポスの十二神は廃され、我がその座につくのだ』
「……何を言うか!」
遠くで戦っていたアポロンが、真っ先に反論の声を上げた。
「貴様などが王位に就くことを、我ら十二神が許すわけがなかろう! それに、貴様は若き日の父上に敗北した身! 我らに敵うわけがない!」
『フハハ。それは些か見当違いというものだぞ、アポロン。我が奴に敗れたのは、奴に母上の援護があったからよ。だが、その母上は、今は我に味方している。貴様は見ておらぬか? そこで全ての顛末を眺めておられる、その御姿を』
そう言って、クロノスは公園の外の上空を指差す。
そこには、黒い炎の鎧に身を包んだ怪物と戦う黒ギャルの姿があった。
「おいクロノス、話に巻き込むなよなー。今、最高にイイところなんだからよお」
黒い怪物の放つ剣や槍を身軽に避けながら、ガイアはニタリと笑って返す。
「そんな……あれは、まさしく……」
『母上だけではない。無限の深淵タルタロス。悪魔の王ルシファー。……そして』
愕然とするアポロンをよそに、クロノスは天に右手を掲げる。
すると、彼の身体を覆っていた「黒」が、霧となって、その腕からだんだんと、夜空に広がり始める。
「なんだ……? なにが、始まるんだ!?」
混乱し、紫苑は辺りを見回す。その間に、「黒」はもくもくと広がり、やがて円形に公園の上空を囲った。
瞬間、
「ッ⁉」
その霧の輪から、ピシャリ、と稲妻が走る。それもひとつだけではない。公園全体を取り囲むように、一、二、三……いや、数えきれなかった。
が、その直後。先ほどのものにも勝る巨大な地響きが、その答えを出した。
「おい……嘘だろ……」
稲光が走ったその場所に。クロノスと同じく、身体が真っ黒に染まった、十一体の巨人が現れたのだ。
それを見た、紫苑の左斜め前方向、少し遠い場所にある噴水のあたりで戦っていたアテナが、驚きの声を上げる。
「バカな! あれは、ティターン神族⁉」
『ああ、そうだとも。かつて巨神大戦において貴様らに打ち負かされ、深淵へと封印された十二神。牢獄そのものが味方に付いた以上、その中に幽閉された囚人は出入り自由というわけだ。もっとも、永遠に『落ち』続ける地獄のせいで、我以外はすべて心を闇に冒され、ただの傀儡となってしまったがな。この身の醜き黒も、その弊害よ。
だが問題ない。こやつらは人形……しかし、非凡なる戦力を持った人形だ。我が命によって、我に仇なす不届き者を全て灰燼へと帰す無敵の兵器となった』
確かに、巨人……いや、巨神たちには、命の気配がしない。その巨体を寸分も動かさぬまま、じっと立っている。
『さて、そろそろ伝令が到着したころだと思うが……アポロン。天界が滅んだことは、もうその耳に入れておるか?』
「何だと⁉」
『ほう。その様子では、まだ聞いていなかったらしいな。では、我が直々に教えてやろう。
天界はすでにタルタロスの腹の中だ。そこにあったものは全て、深淵に飲み込まれたよ』
「な……」
愕然とするアポロンに、クロノスはさらに追い打ちをかける。
『ゼウスも、ハデスも、ポセイドンも……誰も彼も、何もかも、今は無限の奈落に落ち続けている。残るはアポロン、アレス、アテナ、アルテミス、ヘファイストス。貴様らのみよ。だが、ゼウスさえも手こずった我らに、若輩者が敵うかな?』
「くっ……」
紫苑は歯がみした。
あのゼウスでさえも苦戦し、今は敗北してしまった敵。ティターン神族とやらに加え、厄介そうな神が他に二柱も。さらに悪魔も味方についている。
戦力差は絶望的。もはやあたしたちは、刈り取られるのを待つだけの雑草にすぎない。
しかし。
「……あきらめるもんか」
声に出すと、思いは一気に巨大化した。
「あきらめるもんか! あたしたちは、あんたなんかに絶対に負けない! あたしはまだ、何が何だか分かんない、とんだ見習いだけど! それでも……あたしたちは、正義のヒーローなんだ! ヒーローが、負けちゃいけないんだっ!」
見上げる巨大な影に向かって、叫んだ。すると、影は首をかしげ、
『ほう。確か貴様は、あの無礼者の……。クク。なかなかの蛮勇を誇るではないか。さすがは荒くれ者の狩人よ。どうやら、はじめにすり潰されたいと見える』
右の拳を握る。次の瞬間、
「っ⁉」
その拳は、紫苑の目の前にあった。
これほどの巨体のはずなのに、動く気配が全く無かった。足音さえ聞こえなかった。これほどに巨大な拳では、もはや避ける余裕も無い。
ごうっ、という衝撃の風は、長い水色の髪を揺らす。その大質量が通過し、この身は塵と消える――
寸前で、何かに攫われた。
(え?)
直後、とてつもない轟音が、耳を穿つ。粉塵は舞い、視界が煙る。
だが。その土埃も、音も、だんだんと遠ざかっていく。この誰かの腕の中に抱かれたまま、下の方に。
やっと晴れた視界。そして、紫苑を抱く腕の正体も見えた。
白い鱗に覆われた、たくましい腕。ギラリと光る黒い爪は、紫苑を傷つけないように、身体をどうにか避けている。
直接見たわけではなかったけれど。知っている。あたしは、この腕を確かに知っている。
「あ……あ……」
「……大丈夫か、紫苑。よく、がんばったな」
少しくぐもって低いけれど、この優しい声色も知っている。自然と、視界が潤んでくる。
たった三か月しか経ってない。それでも、すごく懐かしく感じた。
あの日から、あまりにも求め続けてきた声だったから。
「リ……サ……っ!」
「久しぶりだな。元気に、してた……か」
見上げた先には、いかめしい角と数えきれないほどの蛇の髪を生やした、白い龍の顔があった。彼も涙をこらえきれないようで、笑っているのか、泣いているのか、その中間のような顔の表面の、白い鱗を伝う一滴。
かつて自分の家族を守るため、死ぬ事を諦めたその龍――ラードーン。それは、あたしの大好きな、誰より愛しているヒト……怪原理里の、戦う姿だ。
「もう、大丈夫だ。お前は、俺が絶対に守ってみせる」
「リサ……リ、サ……!」
名前を呼ぶことしかできないで、紫苑がその胸にうずくまる中。白龍は、翼を広げた。




