20. ザ・セカンド・ティタノマキア その④
八時間前――
天界、オリンポス山頂。最高神たるオリンポス十二神が暮らすこの宮殿の門前に、今、おびただしい数の英雄たちが集っていた。国籍・人種は問わず、共通するのは『正義の戦士』ということだけの、混沌とした人ごみである。
その中に、あまり事情が分からないまま、人ごみの中にぽつりと突っ立っている、背の高い水色の髪の少女がいた。
折召紫苑。記憶を失ったままに現世に送りこまれ、しかし『怪物を倒さなくてはならない』という英雄としての本能だけを残されたがために、愛に命を落とした、英雄オリオンの生まれ変わり。
手持ち無沙汰で、辺りの英雄たちを見まわしてみる。屈強な男が多いが、女性の姿も少なくはない。
にしても、天界と冥界から可能な限りの人を集めたというのは本当らしい。ざっと見まわしただけでも数千人はいる。何が始まるというのだろう。ライブか何かか……いや、さすがにないか。
だが、もうひとつどうしても腑に落ちないことがひとつある。それは、
(……なんだ、あの巨大戦艦……)
神殿の脇に鎮座まします、飾り気のない鉄色の、全長二百メートルはありそうなバカでかい戦艦。これでもかと大砲を積み、武骨で攻撃的な雰囲気が漂う。
あれは、いったいなんなのだろう……目が離せない。
まじまじと戦艦を観察していると、無機質な男性の声が後ろから聞こえた。
「オリオン……いや、折召さん。あなたも大変ですね、わざわざ星座から呼び戻されるとは」
「?」
キトンと呼ばれる古代ギリシアの衣服を身につけた、気難しそうな筋肉質の男性。天然パーマの茶色い長髪を悠々と神の城の風にたなびかせている。
「……あの、どこかでお会いしましたっけ……」
「ああ……確かに、この服装では分かりませんか。では、これでどうでしょう」
そう言うと、男は懐からヘアゴムとフレームレスの眼鏡を取り出して、髪を頭の後ろでまとめ、右手で眼鏡をかけた。
「……えっ!? 確か、生徒会の」
「そうです、手塩御雷です。まあ、直接話したことはありませんし。分からないのも当然ですか」
語る彼の顔に表情は無い。この生命感の無い雰囲気を、確かに紫苑は知っていた。
確か、彼は高校の一年先輩で、生徒会の副会長か何かをやっていた男だ。去年の秋ごろに、行方をくらましたという話があったが……。
「……! まさか先輩も、リサに⁉」
「リサ? ああ、あのトカゲ男のことですか。ええ、そうですとも。反撃する暇もなく、左目の光で一瞬にして石にされ、絶命したのですよ。ミノタウロスを屠った英雄が、テュフォーンの息子とはいえ、一介の雑魚に敗れるなど。ふがいない話です」
「……ミノタウロス……それって、頭が牛で、身体が人間の?」
「ええ、そうですよ? 私の真の名はテセウス。自慢ではありませんが、ヘラクレスとペルセウスに並び、ギリシア神話の三大英雄に数えられる者です」
「はあ……」
前世の記憶も、神話に関する知識もないので、名を告げられてもピンとくるはずはない。だが、なんとなくすごい人だということは理解した。
「多少なりとも、私と貴方は現世で縁があった。そして、今回は共に闘う仲間です。ですので、あらためてごあいさつしておこうと思いまして」
「ああ、それはどうも……あっ、もう始まるみたいですね」
「神王ゼウスさまの、おなーりー!」
「ははーっ!」
噂をすれば何とやら。集った全ての英雄が跪く。
天使のトランペットが鳴り響く中、現れたのは、身長二メートルを超す大男。白く長い髭をたくわえた、壮年の男性。
「面を上げよ」
拡声器もないのに、その声は広場全体に響き渡る。全員が、言われたとおりに顔を上げる。
「此度は、わしの号令に応じてくれたこと、嬉しく思う。じゃが、今はいかんせん時間が無い。なので主題から話そう。
――数時間前のことだ。あの、憎むべき最強にして最悪の魔神……テュフォーンが、人界に姿を現した」
「⁉」
どよめきが起きる。
「……ついに、この時が来てしまいましたか」
紫苑の隣にひざまずいた手塩も、神妙な面持ちで眼鏡を掛け直した。
記憶がないために、事の重大さがいまいち実感できない紫苑が、戸惑いながらも問う。
「えっと……テュフォーンって、たしか、あたしたちが生まれた理由になった怪物……でしたっけ?」
「ええ、そうです。十五年前のクリスマス、奴は天界に二度目の襲撃をかけました。我ら英雄と、オリンポスの神々の力で、総力を挙げて討伐を試みましたが……撃退するのが精一杯でした。
そのままテュフォーンは、どこかに逃げ去ってしまった。この世のすべての知識が記された「全智の書」にさえ、彼の所在は記されていませんでした。
テュフォーンは空間干渉の権能を持っています。奴はその能力で空間に穴を開けて、さまざまな世界を旅することもできます。しかし、ただの世界間の移動では、「全智の書」に記されるはず。つまり、奴は「全智の書」の権能が及び得ない世界……生物の心象世界にいる、ということが分かったのですよ。
最後に反応があったのは、柚葉市でした。だから、あなたを含め、多くの英雄は、奴を宿した人間、もしくは怪物のいるあの街に転生していくのです。
その宿主となっている可能性が高いのが、テュフォーンの眷属たる怪原家の者たち。あろうことか、奴らは柚葉市に住んでいる。これはもう、ほぼ百パーセント、あの家の誰かがテュフォーンを宿していると見ていい。奴らは逃げも隠れもしないのですから、そこを狙うのが効率的でしょう?」
「静粛に、静粛にー!」
天使の叱責で騒ぎが収まる。テセウスも、「これは失敬」と口を閉ざした。
「……皆も知っておる通り、奴は一度世界を滅ぼし、一度天界を火の海に変えた。それほどの強敵じゃ。
だがしかし。倒せないわけではない」
ゼウスのその言葉で、動揺していた英雄たちの雰囲気が変わった。
ニヤリと笑う者。パキパキと指を鳴らす者。
そう――彼らとて、幾多の『悪』を斬り裂いてきた、百戦錬磨の豪傑である。そこに悪がある限り、涙する人がいる限り、彼らの闘志は尽きることが無いのである。
「そなたら英雄と、我ら神々の全ての力を結集し、立ち向かう事で、二度にわたって我らは奴を撃退せしめた! そうであろう!」
『オォ――――――!!!』
歓声が上がる。
「まして三度目ともなれば、勝手も知れておるようなもの!もはや我らの敵ではない! 綿密な作戦を持ってすれば、必ずや奴を屠ることができよう!
今ここに! 此度の戦いで、奴を滅殺すると誓おう! 最大の悪に、裁きの鉄槌を下してやろうではないか!」
『オオオオオオオォ――――――――――――ッ!!!!』
勇士たちが奮い立つ。先ほどまでの混乱は、もう見る影もない。
「それでは、我らが魁たる、勇敢なる神々を発表する! 壇上へ!」
「「「「はっ!」」」」
男神と女神が二人ずつ、ゼウスの隣に立った。
「第一部隊隊長、太陽神アポロン!」
「このアポロン、誠心誠意、貴殿らを導かせていただく!」
長い金髪をなびかせて、アポロンが拳を掲げる。それに合わせ、
『オォ――――――!!!』
英雄たちも勝鬨を上げた。
「続いて、第二部隊隊長、アルテミス!」
「誇りある月の光にかけて、我らの勝利を誓いましょう!」
兄と対照的な銀髪の、スレンダーな女神が合掌した。
『オォ――――――!!!』
「第三部隊隊長、アテナ!」
「正義の名の下に、彼の魔神に断罪を!」
兜をかぶった女神が、剣を抜き、高らかに謳う。
『オォ――――――!!!』
「第四部隊隊長、アレス!」
「わっはははは! 私がついている以上、貴様らを阻む者はない!」
甲冑を身にまとった巨躯の神が、腕を組んで高らかに笑う。
『オォ――――――!!!』
「そして! 我らが最強兵器、ヘファイストス!」
『あっ……』
ゼウスの言葉に、誰もが顔に暗い影を落とした。
(……?)
紫苑は首をかしげる。あれほど士気の高かった英雄たちが、なぜ一気にテンションが下がるのか。いや、それ以前に、壇上には四柱の神しかいない。ヘファイストスとやらはどこにいるのか。
一瞬の沈黙が流れたとき。
それは、思わぬ場所から声を上げた。
『イェ―――――ッハハハハハハ! テュフォーンなんぞ、この無敵戦艦ヘファイストス・Mk‐Ⅱが、一撃のもとに粉砕してくれるわァァァァァッ!!!!』
「……え」
神殿の隣に停泊(?)していた巨大戦艦。その甲板のスピーカーから、大音量で野太い叫び声が聞こえたのだった。
『お、おぉー……』
付け足したような覇気のない勝鬨。
「あ、あの……あれは……」
混乱した紫苑は、隣のテセウスの方を見る。
すると……彼は、ひときわ暗い面持ちで頭を抱えていた。
「あ、あの、手塩先輩?」
「ああ……まさかあのお方がまたしても出陣なされるとは」
「先輩。せんぱーい」
「む? あ、これは失礼。どうされましたか」
「いや……アレ、どういうことなんですか」
紫苑が戦艦を指差しながら問うと、テセウスの顔色がさらに悪くなった。
「ああ……今に分かりますとも」
「……どう考えても分かる気がしないんですけど」
「どうしてもというのなら、他を当たって下さい。私にはとても無理だ」
もはや説明する気も起きないらしい。追及しても無駄なようなので、紫苑は仕方なくあきらめた。
そんな中でも、神々の紹介は続く。
「以上がそなたらを率いる神々じゃ。細かい編成は後ほど伝えよう。
そして……そなたらの出陣より、一刻の後! 美の女神アフロディティ、我が兄・ポセイドンとハデスも、戦列に加わることとなっておる!」
その言葉と共に、呼ばれた三神が、何もないところから唐突に、アポロンたちとは反対側のゼウスの隣に姿を現した。
「英雄たちよ! わたくしの輝きに負けぬよう、精進するのですよ!」
言葉の通りにビカ――ッと光る、次元を超越した美しさの女神。
「恐れるな! そなたらには、雄大なる海の加護がある!」
三又の槍を掲げる、青い髪の壮年の神。
「……せいぜい、俺の仕事を増やさぬように励むことだな」
中世ヨーロッパの貴族のような、黒ずくめの服を身にまとった覇気のない神が、溜め息をつく。
『ウオォ――――――!!!』
先ほどまでの冷たい空気が嘘のように、戦士たちは声を張り上げる。当然だ。これだけの神々が味方につくと聞いて、心強く思わないわけがない。紫苑も、心なしか闘志をたぎらせ始めていた。
「その他、ヘルメスとヘスティア、そして我が姉デメテールが補給班に回る。オリンポス十二神ほぼ総出演の、これ以上ない最強の布陣じゃ。さて……これだけの大軍勢。いったい誰が率いると思う?」
ここで、ゼウスは群衆に問いを投げかけた。
ひととき、彼らの思考は停止する。しかし、数秒の後、彼らの心は歓喜に躍った。
「……おい、嘘だろ?」
「すげええええ! すごすぎるぜ!」
「本当に総力戦だわ!」
思わず声を上げる者もいる。
(……すごい)
紫苑もその答えに気づき、口の端が持ちあがるのを抑えられない。
「そう! この全能の神ゼウスが、そなたらを率いよう!」
『ウオオオオオオオオオァ――――――ッッッ!!!』
意気揚々。活気は十分。今、この世全ての正義の士気は整った。
「出陣は八時間後! それまでに存分に準備を整えるがよい!」
マントを翻して、ゼウスは神殿の中へと立ち去っていく。それを見送るのは、鳴り止まない万雷の拍手だった。




