11. ブライダリー・ダークソーン その⑥
「なぁ、王瑠。お前、『悪』って何だと思う?」
座り込んだ王瑠を見下して、希瑠は問いかけた。
「……何だい。十二年ぶりの、最初の会話がそれかい?」
「いいから。答えてみやがれ」
あからさまにピリピリした空気が、二人の間に漂う。理里も、珠飛亜も、ただそれを眺めている事しかできない。
少し黙考した後、王瑠は答えた。
「ボクにとって……『悪』とは、このボクに逆らうヤツのことだ。このボク自身が世界の法則、すなわち誰も抗えない『正義』。それに歯向かう者こそ、正真正銘の『悪』だ」
何の悪びれもなく、王瑠はさらりと言ってのけた。実力に裏打ちされているのか、それとも元々の気質なのか、とにかく、『自分は正しい』という圧倒的な自信が、そこにはあった。
そんな王瑠を、希瑠は、
「……そうか」
とだけ言って、強く蹴飛ばした。
「ごほぁっ!?」
王瑠はすぐ後ろの壁に衝突し、激しく痛がる。
「ぐはぁ……な、何をするんだよ兄さん! 痛い……痛いじゃあないかっ」
「てめえは、やっぱり勘違いしていやがる。
『悪』とは何か。法律を破る奴のことか? 違う。『正義』に仇なす奴のことか? ……断じて、違う。
いいか、『悪』ってのはな! 『自分勝手をして、人に迷惑をかける』奴のことを言うんだよ! 何でも自由気ままにやって相手の気持ちを考えない、そういう奴のことを言うんだよ!」
希瑠は、倒れた王瑠の胸倉をひっつかみ、憤怒も露わに、強引に上を向かせた。
「自分を『法律』だの『法則』だののたまって、『人に迷惑をかけ』たお前こそ、この世で最低最悪の『悪』なんだよ! この十二年、母さんがどれだけ苦しんだと思ってる! 俺は知ってる……悔やんで、悔やんで、俺たちのいないところでときどき泣いていたことを! 毎晩悪夢にうなされていたことを!
だから、てめえだけは許さねえ! 母さんを悲しませる奴は、俺がこの手でブッ飛ばす!」
言い放った希瑠の身体から、かすかなゆらぎが発生した。
「"楽園の王"ッッッッ!!!!!」
ゆらぎは希瑠の身体を中心に球形に広がり、半径2メートル程度のところでその広がりを止め、あたかも別の空間であるかのような結界を形成した。
これこそ、希瑠の異能"楽園の王"。限定的な範囲に、しかし絶対的に自由に作用する、『彼自身の世界』である。
「くっ……"裂法の聖女"っ!」
王瑠は先ほどまでの如く、右手を掲げ、カードを出現させようとする。が、
「なっ!? な、なぜだっ! なぜ出ない、"裂法の聖女"!」
どれだけ力を込めようとも、そこにいつものタロットカードが現れることはなかった。
「無駄だ。てめえはもう、俺の『部屋』の中に入っちまった。この『部屋』の中では、全ては俺の思いのままだ。……そうか、前の時には説明していなかったな。
俺の異能・"楽園の王"は、俺から半径2メートル圏内を『俺の世界』にする異能だ。俺はこの『俺の世界』に『法則』を新たに書き込むことができる。
例えばそう……『怪原王瑠は、異能"裂法の聖女"を発動できない』」
「そんな……バカな」
王瑠の顔から血の気が引いた。
異能が使えなければ、怪物本来の姿に戻って戦うという手はなくもない。しかし、双頭の犬が三つ首の犬に敵う道理はない。
完全に、手詰まりであった。
「終わりだ、王瑠」
希瑠がそう言った直後、"楽園の王"の内部が真っ暗に染まった。
いや、一か所にだけ光がある。大きな、光の球がある。
それは希瑠の右手の辺りだった。右手から気の球を出したように、突然その光の球が現れたのだ。
そして、王瑠はその光球に見覚えがあった。
「そ……それは」
「そうだ。十二年前にてめえを焼き払った、あの技だ」
そう。あの、『この空間内での光の動きの制御権を得る』ことによって、圏内の光を全て一点に集中させ、それによって全てを焼き払う大技だ。
真っ暗に見えなくなった空間で、希瑠が光球を構える。
「やめろ……やめろおおおおおおお」
「喰らえ……
"魔殿超星"ォ――――――ッッッッ!!!!!!!!!」
掌底に押し出されてゆく希瑠の右手の光球が、王瑠を貫き、焼き焦がす――
――――――――――――ことは、なかった。
「ぐ……はっ」
真っ暗だった"楽園の王"〟の圏内が、唐突に元の明るさに戻った。
そして、そこには――
「兄さんっ!」
「がっ…………!?」
床から生える数本の茨に腹部を貫かれた、希瑠の姿があった。
「きゃっははははははははははははははははははああ―――っ! いや愉快、実に愉快だよ! 勝ったと思った? 思ったよね? きゃっははははははははははははははははは!」
響くのは、王瑠の嘲笑だった。
「十二年前にも体験してるのに、ボクがその異能のことを理解していないはずがないだろう? 何らかの方法で"裂法の聖女"が無効化されることは予測済みだ……ま、そんなに自由度が高い異能だったってのはちょっと想定外だったけどねえ!」
よく見ると、王瑠の髪の束がいくつか茨に変化して、床に突き刺さっている。
「バカな……あれは、異能のひとつじゃなかったのか!?」
理里が驚愕する。
「ああそうさ。ボクの異能は"裂法の聖女"ただひとつ。あれで『ただひとつ』ってのもおかしいけど……くくく。怪物ってのは、原則的にそういうものだろう?
この茨はボクの〝体質〟だ。本来の姿に戻ったときのたてがみが、今のボクの髪にあたるのさ」
続けて床から生えて来た茨が、希瑠の腕と首を拘束し、希瑠は理里たちと同じように、床に倒れ伏した。
「ぐ、うっ……」
希瑠の顔が苦しそうに歪む。その様子を見た王瑠は、
「くふ。きゃひひ、きゃひひひひひひひ」
こめかみを押さえて、これ以上ないほど愉しそうに嗤い始めた。
「きゃひひひひ、きゃっはははははははははは! この瞬間を、ボクがどれほど待ち望んだことかぁ! ボクの、ボクの前に、兄さんが倒れ伏すこの瞬間を! 十二年、ボクはこの時のためだけに生きてきたんだ! どれほど綿密に計画を練ったか……どれほどあんたが恨めしかったことか……! ずっと敵わなかった兄さんが、今! ボクの目の前に倒れているっ! きゃひひ、きゃっはははははは!」
ただでさえ狂っっているというのに、彼はいっそう正気を失っているように見えた。積年の恨みを晴らす直前まで到達した、その喜びというものなのだろうか。
だが。理里と珠飛亜には、先ほどから、どうしても分からないことがあった。
「なんで……がふっ」
珠飛亜が、血を吐きながらも、何かを問いかけようとする。
「くふふふ……君に発言の許可を与えた覚えはないけどねえ、珠飛亜ぁ! でも今のボクは、最っ高に気分がいい! 特別に許してあげよう!」
上機嫌な王瑠は、ニヤニヤ笑いながら、彼女を促した。
王瑠をぎろりと睨んで、珠飛亜は続けた。
「なんで……おにいちゃんは、兄さんをそんなに恨んでるの……? おにいちゃんは……突然、消えちゃったのに……。
兄さんも、そうだよ……。じゅ、「十二年前に焼き払った」って、どういうことなの……? まさか、兄さんが……がはっ」
「珠飛亜! もうしゃべるな!」
咳き込んでうなだれた珠飛亜を、理里が気にかける。
すると、王瑠は意外そうな顔をした。
「へえ……そうか。聞いていないのか。そういえばさっきも、キミは気になることを言っていたなぁ。ボクが『優しくて、尊敬できる人』だとかなんとか……ボクを尊敬するのは生き物として当然の摂理だけど、あの話を聞いてたら、そんな評価は絶対にされないはずなんだけどなぁ」
「くっ……」
希瑠は苦しそうに押し黙る。そんな希瑠の様子を見て、王瑠は何かをひらめいたように、口の端を歪めた。
「そうかぁー。知らないなら仕方ないなぁー。……じゃ、兄さんが説明してよ」
「……てめえ」
希瑠は眉間に皺を寄せて王瑠を見上げる。だが、王瑠は全く動じない。
「説明責任は兄さんにあると思うけど? だって、この家からボクを追い出したのは、兄さんなんだから」
「…………」
希瑠は、再び黙ってしまった。
理里と珠飛亜も、特に何も言わずに見守る。正直に言って、先ほどの希瑠の発言から、なんとなく予想はしていたことだ。問題は、その理由がどういうものかということなのだ。
「ほら、早く言いなよ。何なら、ボクが説明してあげてもいいんだけど?」
「……てめえなんかの力は借りねえ。俺に説明責任があるんじゃなかったのかよ」
憎まれ口の後、希瑠は深呼吸をひとつした。
そして、彼はようやく口を開いた。
「こいつは、小さい頃は泣き虫で、母さんにばかりついて回っていた。幼稚園に入ってすぐくらいのころは、毎朝大泣きして門のところで母さんに泣きついていたもんだ」
「ちょっとー、前置き長いよー。人の黒歴史掘り下げないでー」
「黙って聞いてろ。俺に任せたのはてめえだろうが。
……まあ、ここまではよくある話だ。誰にだってそういう時期はある。だが……こいつは少し異常だな、と俺が感じはじめたのは、小5くらいのときだった。このクズ野郎、パッと見は優しい感じだし、顔もいいからな。友達はいないふうだったが、女には結構モテていやがったんだ。月に二、三枚はラブレターが靴箱に入っていたし、バレンタインデーなんかにはランドセルの中がチョコで溢れそうになっていた。時には、『紹介してくれ』と俺に頼みにきた奴もいた。……俺は生まれてこのかた一回もそんなイベントが発生したことないのに」
「おーい、自分の傷えぐる暇があったらさっさと進めろー」
「黙ってろって言ってるだろうが! ……けどな。こいつは、それらに全く見向きもしなかった。チョコは食べていたが、ラブレターも告白も、全て丁重にお断りしていた。俺は不思議に思って、ある時こいつに聞いてみたんだ。『そんなにモテんだから、一人くらいはOKしたらどうなんだ』ってな。そしたらこいつ、なんて言ったと思う?
――『ボクには母さんがいるから、誰とも付き合う気はないよ』……だぞ。
俺は正直、背筋に寒気がしたよ。考えてみれば、こいつはそのとき、まだ母さんと一緒に寝ていた。小5にもなってだ。その時までは、「こいつはそういう奴だから」と、特に気にかけたことはなかった。だけど気付いたんだ。『うちの弟は、マザコンだ』ってことに。それから二年が経って…………忘れもしない、あの雨の日のことだ。
……こいつは……母さんを、強姦したんだ」




