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邪眼の蜥蜴はイレギュラー  作者: 若槻味蕾
第5章(IF)
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10. ブライダリー・ダークソーン その⑤

「ぎぃいいがああああああぐぅうううげええごぉおがああおおおおおおおおお」


 この世のものとは思えぬ叫びと共に、繰り出される何十発、いや何百発もの拳。常人では視認すれできないようなそれらすべてが、アスファルトの舗装を穿つほどのパワーを兼ね備えている。

 それにあい対するは、八つの大蛇の頭。ある時はその鱗で拳を跳ね返し、ある時は拳ごと腕を食いちぎり、互いに一撃とて相手の本体には入れさせない拮抗ぶりである。


 いくら相手が最強の異形種であるとはいえ、吹羅は魔神テュフォーンの子。そう簡単に敗れることはない。


「フハハハハ、どうした! 帝王の力とやらはそんなものか!」


 スピードでは確かに吸血鬼が上回っているが、吹羅の大蛇はいかんせん手数が多い。それらの処理に手間を割かれることもあって、吸血鬼は攻めあぐねているのである。


「ぐるうるるるる、ぐるらぁッ!!」

「っ!」


 ひときわ強い一撃に、吹羅は後方に押し戻された。やはりパワーでもスピードでも負けている。勝っているのは手数だけだ。


 だが、吸血鬼は吹羅を休ませるほど優しくはない。


「がうるるるるっるるるアアアアアア」


 一瞬動きが止まった吹羅を目がけて地面を蹴り、流星の如く吹羅に突っ込んでくる。


「!!!」


 ガキン、と大きな音がして、その拳は阻まれた。すんでのところで、吹羅が蛇たちを盾にしたのだ。


 吸血鬼の手は血まみれだった。それは辺りに転がる多くの犠牲者たちのものではない。自らの牙をも上回る堅さの鱗を殴り続けた代償だった。


 しかし、とうに彼女に知性はない。この日のために彼女の主人は、三か月もの間、彼女に一滴も血を与えなかったのだ。


 血が不足した吸血鬼は、心が崩壊していくというのは先述のとおりである。けれども、その身体が異能という『心の形』によって歪められたものである以上、彼らの肉体は心の状態と大きく同調している。もちろん、ささいなことでは変化が起きることはない。日常生活で激怒した時に、牙が疼く程度だ。


 だが。こと吸血の不足に関しては、その影響は心身ともにとても顕著に表れる。言ってみれば彼らにとって血液は水のようなもので、健康的な吸血鬼でも、一日に一度は補給しなければ耐えがたい『欲求による苦痛』、的確に表現するなら性欲が常時暴走しているような感覚に陥り、数日後には正気を失ってしまう。


 そして、それと共に彼らの体表に浮かび上がるのが『口』である。彼らの強すぎる欲求が、ストレス性胃潰瘍のように、その魂の容れ物にさえも変化を及ぼしてしまうのである。

それを、三カ月。本来であれば、その皮膚は口で覆い尽くされ、今以上に目も当てられない状態になっている。それをどうにか抑えてきたのが、先ほど彼女が外した首輪だ。


 それは、彼女の主人が所持していた『禁欲の首輪』である。それをつけている間、身体的にも精神的にも、あらゆる欲求は感じ取れなくなる。吸血衝動とは精神的な欲求であり、それが現出しない限り、本体に異状が現れることはない。食欲や睡眠欲、尿意でさえも感じ取れなくなるため、そのあたりは注意が必要なのだが。


 だが、満たされない欲求は蓄積する。ごまかしているだけでは、臭いものに蓋をしているようなものだ。


 そうして解放されたのが今の彼女の状態だ。もはや血がない状態に慣れてしまったらしく、また昨日の晩に実験的に一度外したこともあってか、実際に同じ時間放置した場合よりも変化は薄い。しかし、それはいずれやってくる。


 そう、今この時も。


「っ!?」


 阻んだはずの右腕の根元、すなわち肩口。既に口が出現しているその部分が、ぱっくりと割れる。


「キシャアアアァ――――ッ」


 本体よりも少し高い鳴き声とともに、それは、弾丸のようにその肩から伸びてきた。


 速すぎる。蛇は全て拳の防御に使っている。自由な両腕にそこまでの速さはない。


 なすすべもなく、吹羅は首筋をとらわれた。


「ああああああああああああ――――――っ!!!!」


 牙が左の頸動脈を貫く。そこから、じゅるじゅると不快な音を立てて、血液は吹羅の身体から流れ出してゆく。


 伸びてきた肉の部分を右手で掴んで引きはがそうとするが、強く噛みついた牙は離れない。思わず蛇の防御が崩れる。その隙を、怪物は逃がさない。


「ぐるっるるるるアアアアアア―――ッ」


 蛇の壁より内側、懐に入り込まれる。吸血鬼は牙をむき出しにした両手を振りかざし、本来の口で、今は右腕に隠された、吹羅のもう片方の頸動脈に牙を突き立てようとする。



(あ、死んだ)



 死なない存在である吹羅がそう認知してしまうほどには、それは決定的な一瞬だった。

 思ってしまって気付く。そういえば、我は死ななかった。だとしたらこれからどうなるのだろう。この牙に全身を貫かれ、血液を吸い取られる。だが、我が身体には再生能力がある。それは血液とて同じことだ。完全になくなってしまっても、それはこの身体に刻みつけられた私の『願い』によって無限に製造される。


 この化け物にとって、我が身体は永遠に湧き出で続ける泉に等しい。その泉を、自我を失った吸血鬼は、際限なく飲み干し続けるだろう。もはや我は、この鬼のために存在する、ある種ひとつの楽園となってしまうことだろう。それは、想像もできないほど耐えがたい苦痛だろう。

 ……嫌だ。断じてそれだけは嫌だ。わたしはわたしであるために生まれてきた。そんな、究極的に他者のために生きる人生など、あってなるものか!


「ぐるるりゃるいういぐううううううううううう」


 未だ唸り声を上げ続け、首を守る二の腕に迫る吸血鬼を、半秒とかからず思考を回転させた吹羅は睨みつける。


「――――――っ!!」


 白い肌が牙に貫かれようとする、その寸前――


「ぎぎっ?」


 突如、吸血鬼の視界が、右にずれた。


 次に感じたのは、浮遊感だった。いや、落ちている。視界がどんどん下がっているのでそう分かる。

 その、落下の最中に目に入った、先ほどまであんなに近くにあった敵は――


「失せろ、獣」


 逆手に持った右手の禍々しい剣を、振り抜いた態勢だった。

 ごん、と音を立てて、吸血鬼の頭が地面に跳ね返される。


 吹羅が、吸血鬼を断頭したのだ。何もない空間から引き抜かれた、黒い刀身に紫色の文様が入った長剣によって。


「オラァ!」


 間髪いれず、倒れこんでくる吸血鬼の身体を、下半身ではねのける。頭を失った体は、堅い鱗に打ちすえられて、数メートルほど吹き飛んでゆく。


 ドガン、と建物の壁にぶつかった体を、吹羅は逃しはしない。蛇の尾をバネのように縮めて、一気に解き放つ。


「だあああああらああああああ――――――――――っ!!!!」


 宙を飛びながらも、吹羅は体をひねる。めざすは心臓。肩口から袈裟がけに、身体ごと真っ二つにしてやる!


 もう目標まで一メートルもない。体重を乗せて、剣を、振り下ろす――


「ぎぃいいえええええええええええええええ」


 しかし、吸血鬼もただでは殺られない。

 体はひとりでに動き、その数多ある口から鳴き声をあげ、右手で吹羅を殴りとばそうとしてきた。


「っ――」


 だが、それに阻まれているわけにもいかない。飛び出してしまった身、このまま、やるしかない。


「おおおおおらァぁぁぁ―――――ッ!!」


 身体を一気に、コマのように回転させる。


「ぎいいいええええええええええええええええええっっっ」


 ズバン、と音を立てて、吸血鬼の身体は斜めに両断された。鮮血が吹き出す。

 しかし、心臓は外している。まだダメだ、と気付き、壁に突っ込もうとする身体に、蛇の下半身を近くの柱に巻きつけることでブレーキをかけ、ゴムのように戻される反動のうちに、


「おらああああああああああ――――ッ」


 二度、三度。真っ二つになった体を、四つ、六つに分断した。


「ぐあっ、がっ、ごっ」


 柱から尾が離れ、吹羅は地面を転がった。それと同時に、切断された肉塊が落ちる、ぐちゃっという音が聞こえた。


「やった、か…………?」


 どうにか手をついて起きあがる。最後の二撃は闇雲だったので、心臓を捉えられたかどうかは怪しい。


 自分が飛んできた、その方向に目を向けて――


「くっ……」


 やはり、捉えられていない。腕も斬り落とされ、サイコロステーキのように分断された、上半身の左半分。もはや新たな口と化した豊かな乳房が健在だった。


「まだ、まだだ」


 再生するまでにやってしまえば問題ない。悲鳴を上げる身体に喝を入れ、どうにか立ち上がった、その時。


「……えっ」


 ぐさっ、と、後ろから何かが左の首筋に突き刺さった――

 いや、噛みついた。


「なっ……バカ、な」


 見なくてもわかる。耳に当たるのは、自分のものではない頭髪の感触。


 先ほど切り落としたはずの、吸血鬼の頭が、吹羅の首を、今度こそ捉えていた。


 なぜ、こんなところにコレがある。切り落としたらそれで終わりじゃなかったのか。確かにいずれは再生するが、私の経験上、まさか、勝手に動き出すなんて


「――っ!?」


 思考を巡らせかけて、吹羅は再び仰天した。


「きいいいいいいえええええええええええええええ」

「きしゃあああああああああああああああああああ」

「くううるるあああああああああああああああああ」


 腕が。腰が。翼が。脚が。再生してひとつになることもなく、ひとりでに、部分部分のまま、こちらに飛んでくるではないか。


「ああああああああああああああああああああああああああああ」


 吹羅は恐怖のままに悲鳴をあげた。剣を振り回した。

 刃が『部分』のひとつを切断する。しかし、『部分』は止まらない。斬り刻まれてなお、吹羅の血を求めて止まらない。


 ざしゅっ、ざしゅっ、ざしゅっ。次々に牙が吹羅の身体に喰らいつく。


「あああああああ…………あっ…………ああ…………」

 そうして、海蛇は蝙蝠(こうもり)の餌になり下がった。


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