「すれちがう花」(※未完短編/最終更新日:2014.3.26)
ただ純粋に、綺麗だと思った。景色の中で彼女だけがくっきりと浮かび上がって見える。柔らかな白に包まれた咲の横顔はなめらかで、今すぐこの手に収めたいほどに美しかった。それは叶わない。咲は今日、一人の男のものになるんだ。
オルガンの美しい音色と列席者の拍手が鳴り響く中、咲は父親に連れられて新郎の待つ祭壇へとゆっくりと歩みを進める。
多くの人が花嫁の幸せな第一歩を笑顔で迎える中、有希は一人最後列に座り、泣きそうな顔をしていた。花嫁の後ろ姿を見つめる有希は、遠い記憶に想いを馳せていた。
中学三年の冬、受験した高校の合格発表の日のことだった。校門を入ってすぐ右手に何枚もの巨大な板に貼りだされた数字の羅列を誰もが必死に目で追っていた。
受験生らしき人たちが犇めきあう中、なんとか自分の番号を確認して帰ろうとした時、集団から外れて掲示板の反対側にあるベンチに一人座って俯く女の子に気が付いた。薄ピンクのふわふわした手袋とマフラーをした彼女の手はくしゃっとなるぐらい紙を強く握り締めている。
体調が悪いのか、いや、もしかして受験に落ちてしまったのだろうか。
「あの、大丈夫ですか?」
周りに同伴者が居る様子でもなかったため、意を決して声を掛けてみた。ふっと顔を上げた女の子は水晶のような瞳を潤わせて、きゅっと唇を噛み締めていた。
可愛い。
胸がとくんと波打ち、掛けようと思っていた言葉を忘れてしまった。じっと自分を見つめる女の子の唇が小さく動いた。
「怖いの」
「え?」
「怖いの! もし落ちてたらママに怒られっ……!」
女の子はずっと考えていたことを言葉にしたことでさらに感極まったのか、制服のスカートを握り締め、その上に構わず涙を落とした。
なんだ、まだ合否を確認してなかったのか。
ふと頬の力を弛め、ブレザーのポケットに手を突っ込んでハンカチを取り出して彼女の目元をそっと拭った。女の子は驚いたのか、大きな目をまん丸くしてこちらを見てきた。その様子も非常に可愛らしく、さっきより胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
なんだか今日は自分らしくない。
「あの……」
「一緒に行きましょう」
「え?」
「一人で確認するより、誰かが一緒にいた方が少しは気が楽でしょう。私がついて行きますから」
呆気にとられている女の子の手を掴んで引くと、彼女は抵抗することなくその手を握り返して立ち上がった。
人が増えたのか、先程より掲示板前はさらに混雑を極めていた。自分より身体の小さい女の子は自分の背後にすっぽりと隠れていた。不安げに私の服の裾を掴んで、そこに頬を寄せていた。体温が伝わってきて、背中の一部がやんわりと熱を持ち始める。脈が速くなるのが自分でも分かった。
服の裾を掴んでいる女の子の手を取り、自分の前へ連れ出した。すぐに後ろから彼女の両肩を押さえて、少し自分の身体から放すように前に優しく押し出す。
女の子は私の突然の行動に、困惑したようにこちらを見上げてきた。
「あなたの受験番号は?」
「……イチハチロクヨン」
一八六四。丁度目の前に貼られた紙にその番号を見つけて指をさす。
「あそこにありますよ」
「えっ! どこ、どこ!」
女の子は慌てて人ごみを掻き分けて掲示板に近づいていった。自分ではなかなか見つけられないようで、彼女は首を一生懸命に動かしている。
「ここですよ」
後を追って人ごみを抜けて女の子の背後から番号の上に直接指を立てると、彼女の表情は次第に和らいでいった。しかしそれも束の間、また彼女の肩が小刻みに震えて嗚咽が漏れ始めた。
今度はきっと嬉し泣きだろう。
「良かったですね。じゃあ私は失礼します」
自分に背を向けて泣く女の子に一礼する。踵を返して歩き出そうとした途端「待って!」という声とともに、服の裾がまたぐいっと後ろに引っ張られた。驚いて振り向くと、女の子が「名前、なんていうの?」と少し嗄れた声で言った。袖で乱雑に拭いでもしたのか、彼女の目の下は擦ったような赤みを帯びている。
「高梨です。高梨有希」
「有希は合格してるの?」
「ゆ、え?」
よ、呼び捨てされた?
驚きのあまり、思わず間の抜けた声を出してしまった。
同年代の男子に匹敵する高身長で、切れ長の目と仏頂面、それに加えて誰にでも敬語を使うくせがあった。そのせいか周りの人間とも親しい関係を築くことが出来ず、大抵距離を置かれていた。そのため基本的に苗字にさん付けで呼ばれることが多く、下の名前で、ましてや呼び捨てされるなんてことは滅多にないことだった。
家族以外の他人に下の名前で呼ばれるのはいつ振りだろうか。
一人考えをめぐらせていると、自分を見上げる女の子の口が動くのが目に入った。すっかり自分の世界に入っていたため、聞き取れずに「え?」とまた間抜けな声を出してしまった。
「もしかして、落ちてたの……?」
「あ、いえ。大丈夫です。受かってますから」
そう言って首を横に振ると、彼女はほっとした様子でまた話し始めた。
「私ね、ヤマウチサキっていうの。ヤマウチは富士山の山に内側の内、サキは花が咲くの咲っていう字」
山内咲――薄ピンク色のよく似合う可憐な彼女にぴったりの名前だと思った。
「有希はどういう字を書くの? 高い梨に……?」
「有希の有は有料の有、希は希望の希です」
「〝希望が有る〟って素敵な名前じゃん!」
咲は花が咲いたような笑顔で私の手をとった。
「これからよろしくね、有希」
手袋越しの咲の手からじんわりと温かさが伝わる。彼女をどこか特別だと感じ始めたのは、きっとこの瞬間からだった。
(続く)
※この作品は未完です。
(最終更新日:2014/3/26)