第六話
今回(次話)は思いのほか筆が進みました。この調子で書き続けられればいいのですが、ムラがあるのでどうなることやら……。すみません。
下手な長考休むに似たりという言葉が身にしみています。
三年の月日が流れ、俺ももう立派な三歳だ。「ケイト=アレイスター、三歳です」なんてはきはきとした口調で言える。舌足らず? なにそれおいしいの?
ネメアが眠りに就いてからは、教わった操霊術をできる限りずっと使い続けていた。最初はほんの数分続けただけで眠気が起こっていたが、続けていくうちにその時間が延び、今では一日中使いっぱなしでも霊力が切れることは無い。
そんな生活の中でいくつか気づいたことが有る。
まず、『霊纏』は肉体を活性化させる効果があった。これは『霊纏』を使い続けて霊力不足を起こし、寝て起きた時にやたらと体がだるく感じたのが切欠だ。 しかも、メインの効果だと思っていた、霊体に触れることも一番弱い活性化の影響の様なのだ。
目覚めたネメア(三ヶ月程で起きた)にも聞いてみたが、普通、必要時に使うぐらいで『霊纏』をそこまで使う者はおらず、そもそも『霊纏』は霊力を注いで使う術ではないという答えが返ってきた。つまりネメアにも分からないのだ。
もしかしたら、前世ではまっていたWEB小説の影響で、霊力纏う=魔力を纏うの図式から、無意識に身体強化魔法のイメージが入り込んでいたのかもしれない。
身体強化魔法やWEB小説のイメージに思い至ったのは幸いだった。『霊纏』からそれらのイメージを使って体の一部に霊力を集め活性化する『集霊纏』や体の内部に流れる霊力をそのまま使って活性化する『内霊纏』(もはや何が纏なのか分からないが)、変わったところでは纏った霊力を重力変化に作用させる『重纏』を思いついた。前世でお世話になった作家さん様々である。
ちなみに『集霊纏』を使うようになった結果、『霊視』や『霊聞』も結局は『霊纏』の応用であることが分かった。ネメアは『霊纏』は操霊術ではないといっていたが、基本としてなら十分だと思う。
これらの術の結果、俺の成長はめちゃくちゃ早かった。『霊聞』や『内霊纏』で言語の理解はたやすくすみ、口への『集霊纏』で言葉を話すのも生後八ヶ月ごろにははじめられたし、『集霊纏』や『内霊纏』の活性化の影響で五ヶ月目にはハイハイをはじめ、言葉を話すのと同じころには歩けるようになった。
最初のころはどちらも拙さの演技をしていたが、次第に面倒になって、現在ではまったく自重していない。それでも、家族や使用人たちに驚かれはしても、概ね好意的なようだったが。……そういえば、歩きの早い子は将来O脚になることがあるって聞いたことが有るけど、大丈夫だろうか? まぁ、そうなったらそのときで何とかするけど。……操霊術で。
そうそう、この三年の間に生活環境が大分変わった。俺が今いるのは王都から馬車で二週間ほどかかる、父上の領地……の端っこ。森に面した人口五〇〇人位の農村で、村としては大規模。それでも、領主である公爵の館があるような街ではない。
何故そんなところに居るかと言うと、そこに館があるから……ではなく、ってこともないけど、両親ともにこの村が好きなのだそうだ。なんでも、ここは母上の故郷で、たまたま視察に来た父上が母上を見初めた、馴れ初めの地なのだというのはミーナ(俺が母上に吸い寄せられたときに傍にいた侍女ね)の言。
そういう、砂糖をはきたくなるような理由はともかく、俺を育てるのはここがいいと両親の意見が珍しくもなく一致したため、連行されたのである。……いくらなんでも三歳児をつれて馬車で旅するってのは虐待だろう。いくら俺が規格外でそのことに理解があるからって……。
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「家庭教師、ですか?」
麦の粉を水で練って焼いただけという、不味く巨大なビスケットのようなパンとサラダ、スープという貧相な朝食(それでも平民に比べればスープに具があったり、サラダがついたりと大変豪華なのだが)を摂り終わって一息ついていると、父上がふと漏らした言葉を何故か拾い上げてしまった。
「ああ。そろそろお前にも家庭教師をつけようかと思ってな。普通は五歳からはじめるものだが、お前なら大丈夫だろう。人材のあてはあるから心配するな」
確定事項のようだ。最近術のイメージも湧かなくなってきて退屈し始めていたからありがたいのだが、そんなに生き急がなくてもいいと思うの。
「ふむ。お前にもやりたいことがあろう。が、知ることはいずれ必ずお前の役に立つ。お前の頭なら昼前三刻でも十分だろう。それ以外の時もその者をお前につけるから、しっかりと知識を吸収するがいい。おっと、あまりゆっくりもしておれぬな。その者が着き次第呼びにやるから居場所ははっきりとさせておくように」
父上は俺の思いを知ってか知らずか、まあ多分知らないが、そう付け加えて食卓を後にした。
「さて、今日は何をしようかな?」
父上に倣って食卓を後にしてみたは良いが中途半端に空いた時間の所為で、ただでさえ良いアイデアが浮かばなくて暇なのに、何をするのにも制限がかかってしまう。
「仕方ない。庭でも見ていようか」
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「こんにちは、モロムさん」
「あん? 坊じゃねえの。どうしたい?」
「また、庭でも眺めようかと思って」
「ほ~ん。若ぇ癖に庭眺めが趣味なんざ、なかなか高尚じゃねえか。まあ、坊なら大丈夫だと思うが毛虫には気ぃつけんだぞ」
「……別に趣味ってわけじゃあないんですがね。それに俺くらいの子供は若いとは言わないでしょう。それに、子供は思ったより頑丈ですから、怪我してなんぼですよ」
「……確かにそうだがよ、幼いって言うぐらい自覚の無いやつはそんな言葉吐かねえよ」
「アハハハハ。それじゃ、お仕事がんばってね」
「おう! 言われなくてもよ!」
家の庭の手入れをしてくれているモロムさんに挨拶して庭を眺める。手入れが終わったところと終わっていないところとが入り混じっていて、いつも手入れ前か後かのどちらかしか見たことがなかったのでなかなかに新鮮だった。
モロムさんの本業はきこりで、庭の手入れの後や薪の納入のときに度々顔を合わせている。最初ははきはきとしゃべる三歳児に驚いていたようだが、もともと豪快な気質故かしばらくしたらなれたようだった。今では俺が難しい言葉をしゃべっていても「坊だし」ですむ。
庭を眺めているとおかしなことに気がついた。手入れされているところとされていないところが飛び飛びなのだ。それどころか、同じ木でも手入れされいる部分とされていない部分もある。
不思議に思ってモロムさんの仕事を眺めていると、一度はさみを掛けた枝を切ることなく別の枝へとはさみを掛けなおしたりしている。まるで誰かに指示されているかのような動きだ。もちろん俺とモロムさん以外に人は居らず、そもそも庭師の技術でモロムさんにかなう者は、少なくともこの村には存在しない。
「ねえ、モロムさん。枝を一度切ろうとしてやめることがあるのはどうして?」
「ああ、坊には気づかれちまったか。なるべく知られないようにやってきたんだがな。俺は仕事をするときに植物の“声”を聞いて、それにしたがってんだ。そうすると自然とうまくいく。
ただよ、植物の“声”ってのはいつもはっきりしてるわけじゃねえし、俺らの言葉で云ってくれるわけじゃねえ。だから、聞き損じたりはっきりと伝わらなかったりする。そういったときは割かしはっきり教えてくれるからそれにしたがってちゃんとしたところへはさみを掛けなおすのさ。おっと、このことは内緒だぞ。この年になって植物の気持ちがわかるなんてメルヘンチックなこと言ってるなんて知られたら表を歩けねえからな」
ガハハと豪快に笑うモロムさんからは半分冗談という感じが伝わってきた。しかし、植物の“声”が判るってのは子供相手の嘘や誤魔化しの類ではないだろうと思う。話に筋が通っているし、俺のことを知らない相手ならいざ知らず、モロムさんがそんな誤魔化しをするとは思えなかった。
この話を聞くと、植物には魂が宿らないという定説に疑問をはさまざるを得ない。前から植物を『霊視』したときに、微量ながら霊素の放出が観測されていた。霊素の放出は魂が霊力を消費して“なにか”の現象を起こすことで出来た残りかすを排泄する行為なので、魂がなければ成り立たないはずなのだ。そこへきてこの話だから、ほぼ間違いないと思う。
モロムさんは長年植物と向き合ってきた経験から、植物に対するパスが発達しているのではないかと思う。ぜひこの仮説を検証してみねば。
「ありがとう、モロムさん。おかげで面白いアイデアが浮かんだよ。じゃあ、またね~」
「お、おう!」
モロムさんは何故お礼を言われたのか判らないという表情をしていたが、俺には関係ない。それよりも検証だ。久々に退屈しないですみそうだ。
毎度のことながら感想のほどお願いします。モチベーションが高まれば筆も早く進むかも。