第一話
プロローグです。
20XX年○月×日俺は死んだ。
……正確にはまだ死んじゃいない。が、確定している。
俺は今、部屋の天井付近から眠っているような自分の肉体を見下ろしている。気づいた人もいるだろうが、幽体離脱という現象だ。一つ違うのは何をしても戻れないということ。
大抵、幽体離脱は長いこと離れていると死んでしまうという設定になっている。その例に則らなくても、離脱中は目を覚ますことがないから、いずれは栄養失調を起こす。
(詰んだ……)
いい加減諦観もしたくなる。重なるように寝てみても目覚める気配はないし、起き上がっても体は寝たまま。壁抜けはできるが、物には触れない。声を出しても誰にも聞こえない。
最初はパニックを起こしていろいろ試したが、何もかもうまくいかないと諦めも湧いてくる。ただ、現在の自らの周辺環境に腹が立ってくる。
(クソッ! 何だってこんな時に!)
妹は夏季休暇を利用して一ヵ月の海外留学、両親に至っては世界旅行とかぬかしてここ一年顔も見ていない。こんなときでなければ妹なり両親なりが異常に気づいて病院に担ぎ込んでくれるだろうに。何せ今、俺の体は床に転がっているんだから。
周辺環境を思い出すと無性に腹が立ってくる。特に両親。
(マチュ・ピチュ行くなら俺も連れてけ! あ~あ、マチュ・ピチュ行ってみてーな。……ああ、みたかった、か……。)
現状を改めて理解し、願望に諦めを付けるために目を瞑って首を振る。両親に感じていた怒りも悲しみへと代わっていた。しかし、
(あれ? ここどこ? 俺確かに部屋にいた、よ、な?)
目を開けるとそこはマチュ・ピチュだった。うん。自分でも何を言ってるのかわからない。でも、
(TVと同じ風景だな……)
そこにはずっと行きたかった場所の景色が広がっていた。感想はアレだが、TVでは味わえない空気を味わっているので落胆とかそういうのはない。……呼吸はしてないけどな。
++++
一通り見て回って堪能したためか、最初ここに来たときの驚愕も、ここにこれた感動もだいぶ収まってきた。冷静になったところで、自分がなぜここにいるのかという疑問がふつふつと湧いてきた。……別に忘れてたわけじゃないぞ。ただ見て回るのが楽しくて考え付かなかっただけだ。(それを世間では忘れたと言う)
(確か、家族のことを思い出してて……。そういえば妹どうしてるかな?)
そう思った瞬間、目の前にはるかがいた。全裸で。
(うおぉぉい!! 何ではるかがこんなとこで裸でいるんだよ!?)
突然のことに取り乱し、(妹のほうを見ないように)辺りを見回して納得。周囲にあるのは今までいたマチュ・ピチュではなく、どこか洋風なごく普通のバスルームだった。足元においてあるやたら赤いシャンプーボトルが気になったが。
「何か寒い……。風邪でも引いたかな」
はるかのつぶやきにつられて後ろを振り返り、俺は目を見張った。妹の成長振りに……ではなく、はるかの吐息が白いことにだ。一瞬シャワーから立ち上る湯気じゃないかと思った。シャワーから立ち上る湯気も多くなっているが、見間違いじゃなかった。確かにはるかが吐き出している。
真夏の北半球(北極圏を除く)で決して起こりえない現象を目にし、何らかの異常が起こっていることに気づく。
(もしかして、霊体がいる所為か? まあ、そうだろうな。それ以外にこんな異常を引き起こす異常なんて考えられないし。そろそろ行くかな)
二回の移動で原因もなんとなくわかった。その検証のためにも、はるかの体のためにもさっさと移動した方が良いだろう。
(「勉強も大事だけど、体調には気をつけるんだぞ」)
誰にも聞こえないだろう、どの口がそれを言うと思われそうな言葉を残し、検証として、死ぬまでに一度はいってみたかった場所を思い浮かべる。
「おにいちゃん!?」
テレビのノイズのように今の場所と思い浮かべた場所が入り乱れるなか、はるかが驚いたように勢いよく振り返った姿が見えて、少し報われたような気分になった。
あんな言葉を残したのは何もただ体調を気遣えということじゃない。ほかの誰でもない、妹に対するメッセージだ。自分の知らないことに貪欲で、その所為で度々体調を崩すはるかに、俺がそのつど掛けてきた言葉だ。今はまだ気のせいかもと首をひねるだけだが、そう遠くない先にもたらされるだろう報せに、自分を責めたりしないように……とか考えていたわけではない。そもそも気づくとも思っていなかった。ただただ、最期にはるかに声を掛けるとしたらああなっただけだ。気づいてくれたことはとてもありがたかったし、後から考えれば自分を責めたりしないようにという効果も期待できそうではある。はるかのことだからたぶん責めるんだろうけど。
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(ふうぅ~、満足、満足。きっといけないだろうと思っていたところ全部見て回ったもんな。惜しむらくは名物を味わえなかったことか)
今現在俺は凱旋門の上に座っている。検証を終え、いきたいところに瞬時にいけるということがはっきりした後、俺はいろんなところを回った。今いる凱旋門はもちろん、ノイシュバンシュタイン城、万里の長城、ピラミッド、タージマハル廟、クレムリン宮殿、アンコール遺跡群などの史跡、ルーブル、メトロポリタン、エルミタージュ、大英、スミソニアンなどの美術館・博物館(もちろん展示物だけでなく倉庫保管物まで)、エアーズロック、グランドキャニオン、エンジェルフォール、サハラ砂漠といった雄大な自然、人のいるごく普通の町並みから、果ては人の身では到底いくことのできない秘境まで、思いつく限りの場所を旅して回った。……3日で。
エンジェルフォールでは(あっても変わらないが)紐なしバンジーをしてみたり、(誰かに伝えられるわけでもないが)ピラミッドに隠し部屋を見つけたり、美術館・博物館では紛失したと思われていたものが隠してあったりと知的欲求がものすごいスピードで満たされていった。
そういえば、ニューヨークの地下鉄で印象深い光景を目にした。行く先々でちらほら見かけた霊体が、そこではそこら中で落ちている小物を弾き飛ばそうとでこぴんして、すり抜けていた。聞いたところによると、ここは聖地になっていて落ちている小物を弾き飛ばせると願いがかなうのだとか。「霊の聖地って……。」と思わなくもなかったが、スルーしておいた。
と、まあ人の身では決してできない経験をここぞとばかりに片っ端からやっていった結果、
(暇すぎる……。)
やることをなくし、暇をもてあましている。物に触れられない以上、テレビもネットもゲームも漫画も使えない。映画は今公開されてるものはすべて見てしまったし、人間観察は5分で飽きた。
久々に帰宅してみたものの、幽体離脱してから今まで何も変わっていない。ディスプレイの電源をきる設定やスクリーンセイバーは使用していないのでパソコンもつきっぱなしだ。画面には最後に見ていたネット小説が表示されたままだ。一部で大流行中の異世界モノだ。
その画面を見たときふと思い至った。どこにでもいけるなら異世界でも、と。
その結果、最初は失敗した。イメージが「異世界」と漠然としすぎていたことが原因だったらしい。二度目に俺が読んでいた小説に出てくるような世界をイメージしてみたらすんなりといけてしまった。
後々知ったことだが、このとき正式に俺が死んだことになったらしい。
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