ナツキとソウ
ナツキはかなりふて腐れて、敷きっぱなしの布団に所在なく寝転んでいた。
「こうなったら朝早く森に行って姫たちに知らせてやる。案内なんてしてやらないもん!」
明日の計画をぶつぶつ練っていると、唐突に襖が開いた。さっきまでつっかえ棒をされていて開かなかったのに。
「ナツキ、立ちなさい」
父のハルキだ。ナツキは父の顔に目を向けるが、命令には従わなかった。あんなことを言われて閉じ込められて、まだ怒りが治まったわけではない。
「ナツキ」
「?」
位置関係から、見下ろす位置にいるハルキだが、何かおかしい。いつもなら従わない娘には容赦なく怒って声を張り上げるのに、それをしない。なぜだか覇気がない。
しばらく探るようにハルキを見ていたが、ナツキはやがて布団から立ち上がった。
「何、お父さん」
真剣に対峙する。ハルキはその視線に耐えられず、逸らした。明らかに様子がおかしい。
ポン。と誰かの手がハルキの肩に置かれる。次いで現れる黒髪の影――村を救った旅人。
ハルキは肩に手が乗った瞬間、上半身を硬直させていた。途端に表情に苦悩を浮かばせる。
「お父さん?どうしたの?」
反抗心をさらけ出しているナツキも、さすがに父親の最近見たことのない表情に不安を覚え、訊く。
と同時くらいだったか、ハルキがナツキの両肩をがしっと掴んだ。
「ナツキ、村のためだ。辛抱しなさい」
「?」
「お前ももう十七だ。村のため……貢献しなさい」
「何言って……」
後ろで淡く微笑していた青年が、焦れたのかハルキの前に立ち、ナツキに笑いかけた。紫色の美しく珍しい瞳からはなぜか、不敵な色が見てとれる。
ハルキはまたナツキから視線を逸らすと、青年に何事かを呟き、襖を閉めて行ってしまった。
男とナツキだけが残される。
『お手柔らかに頼みますよ』と言ったのが、ナツキには聞こえていた。何がお手柔らかに、なのかよく分からない。
「……あの」
分からないまま、ナツキの前に腰を下ろした男を目で追う。向かい合った。
「君の父親は薄情だな」
男の口から出た最初の言葉はそんなことだった。
いきなり何を言い出すのかと思ったが、ハルキをよく思っていないのはその言葉から読めた気がしたので、意見があったと思ったナツキはここぞとばかりに声を張り上げた。
「そうなんですっ分かります?薄情なんです私の父!」
男の方は予期しなかったのか、身を乗り出して訴えるナツキに少し驚いていた。
「村を守ってくれる姫たちを邪険にして娘の私の言葉に耳も貸さない。薄情者ですあの人は!」
「違うよ」
「へ?」
今度はナツキがほけっとした。
男は窮屈な襟元を何気ない仕種で開けて、息を吐いた。
「娘を想う心はまだあるようだが、結局自分の保身に走った。娘よりも自分を取ったことに言ったんだよ」
「?」
言っている意味がよく分からない。
「あの」
男はまだじっとナツキを見て離さない。何だか真剣な顔をしている。
見つめられるとやっぱり恥ずかしい。
「お、恩人さん?」
「ソウ」
「え?」
「俺はソウという」
さっきと口調が違うことに、ナツキはやっと気がついた。雰囲気もだいぶ違う。さっきは年上だと思われた年齢は、今はナツキと同じくらいの年齢に見える。顔もよく見ればまだ少年の面影が残っていて、それくらいだった。墨色の色あせた異国の服を、改めて珍しいと思う。
同じくらいの年で二人きりなので、本来の姿に戻ったということだろうか。
「あ、ソウさんていうんですね」
「ソウでいいよ。同期に敬語は必要ない」
「そ、そうだね。私はナツキ」
「知ってる」
「あ、そっか、さっき名乗ったんだっけ」
「いや、その前から知ってるよ」
「?」
突然、ソウの手がナツキの頬に伸びた。
「!」
硬直すると同時に、ソウの妖しい光を宿した瞳を見て、ナツキは悟った。
「ちょ、ちょっと待って!?」
ソウを振り切ると、ナツキは出入り口まで後退した。ようやく分かった。なぜ二人がこんなところに押し込められたのか。
「私もしかして……献上されちゃったりなんかしました?」
「まぁそういうこと」
先ほどの父親の後ろめたそうな表情とソウの薄情という言葉にようやく合点がいった。まさか実の娘を売るとは、ナツキもそこまでされるとは思っていなかった。
言うことをきかない娘などもう要らない、そういう思いもどこかにあったに違いない。勘当する、ともいつも言われていて今日のハルキなどは本気でするんじゃないかと思うくらい、睨みをきかせていたし。今日山へ行ったこともその怒りに拍車をかけてしまったのかもしれないと思うと、納得できる要素の方が大きい。納得したくはないが。
ナツキはへへへ~と笑うと逃げようとした。しかし襖にはまたしてもつっかえ棒がされていて開かなかった。
(閉じ込められたー!!)
なぜ易々と男を部屋へ入れてしまったのか。悟りようもなく突然のことだったので対処のしようがないのだが、それが悔やまれる。
「同期なんだ、もう少し心を許してくれてもいいと思うんだが」
「それとこれとは別でしょう!?」
「大丈夫。悪いようにはしないから」
自分から壁を背にしてしまったため逃げ場がなくなってしまった。ソウの右手が壁にそえられる。
顔が目の前にある。
「大丈夫」
甘い囁き。その吐息が肌にかかり、ナツキは身を総毛立たせる。紫色の瞳が妖しく光り、吸い込まれそうだ。こういうことに慣れている人ならきっと、そのまま受け入れられるのだろうけれど、ナツキには到底無理な話。その妖しさは恐怖以外の何物でもない。
男の手に後頭部を引き寄せられそうになって、ナツキは半泣きになりながらも無意識にここにはいない人を、でも会いたい人の名を呼んでいた。
「ショウキ!」
思いっきり目を瞑って数秒。何もしてこないので恐る恐る目を開けると、ソウが無言で目を瞠っていた。突然叫ばれて驚いたのだろうか。
今がチャンスとばかりに、ナツキはソウを突き飛ばして距離を取った。
突き飛ばされて体勢の崩れたソウは、我に返ったように静かにその場にあぐらをかく。
「……悪かった」
息を吐き、謝罪。ナツキは訳が分からない。
「君に何かしようと思っていたわけじゃないんだ。ただちょっとからかってみたかっただけで」
それはそれでちょっと酷いような。
「本当、に?」
「嘘じゃない。俺が君と二人きりになったのは話を邪魔されたくなかったからだ。山の奥に住んでいる少女たちのことを訊きたかった」
それを聞いて、ナツキは狼狽していた顔を引き締めた。まだ少し警戒心は残っていたが、それよりもせっかくソウから姫たちのことが聞きたいと言ってくれたのだ。この機会を逃してはいけないと、素直にソウの前に腰を下ろす。
「いいですよ。何が訊きたいんですか?」
真剣さは二人から気軽さを取り除いた。男の雰囲気が、ナツキが初めに感じたものに戻る。
「どうして、君だけが少女をかばう真似をしたのか聞かせてほしい。いや、言い方が悪いな。彼女たちをかばう根拠を聞かせてくれ」
この男、ソウはハルキの言い分も、ナツキの言い分も、公平に聞いてくれるようだ。
ナツキは嬉しかった。そんな人、今までいなかったから。
「実は……」
ソウは最初から最後まで真剣にナツキの話を聞いてくれた。
「つまり君は、実際に会っている立場だから確信して言えたんだな?」
「はい」
「強いな」
「え?」
「ハルキさんの言い分に疑問を持っている村人も中にはいるはずだ。でもハルキさんが怖くて逆らえない。それも多勢に無勢では従った方が楽だ。痛い目を見ずにすむ。でも君は……」
ソウは腕を組みながら難しい顔をしていたそれを解いて、不敵で穏やかな笑みを見せた。
「君はそんな中で真実を曲げていない。強いよ」
「いえ、強くなんかないです。私はただ、村長の娘っていう肩書きがあるから言えるんです。なかったらきっと……」
「君はその肩書きを失ったことになるだろう?俺に献上されるという形で」
「あ……」
「どうだ?もうその姫さんたちとは縁を切るかい?」
「そ、そんなの嫌です!」
「だろう?やっぱり強い」
ナツキは恥ずかしくて俯いた。自分の行いを認められたような言動も、初めてだったから。
「だが勘違いするなよ。俺はハルキさんの言うことも君が言うことにも、確証はないと思っている」
「つまり信じてはいないってことですか?」
「そう」
ナツキは何か証拠になることやものはないか考えた。しかしすぐには思いつかない。
ソウはその様子を見て、唇に薄く揶揄を上らせた。
「君は何かで俺をつることは頭にないのか?」
「え?」
紫の綺麗な瞳が射貫くようにナツキを見つめてくる。ソウの言いたいことはすぐに分かった。
「だ、だめっ!それは無理です!」
貞操に関わることを指摘されると条件反射で焦るナツキ。先ほどのことがかなり堪えているのは明白だ。
「冗談だ」
声が笑っている。そしてまたからかわれたことに気づくナツキ。
「ソウさん~」
まだ笑いながら、立ち上がるソウ。
「明日、案内を頼めるか?」
「え、どこへです?」
「山」
ナツキが意表をつかれた顔をする。
「それって」
「百聞は一見にしかず」
それを聞いて、ナツキの表情が彼女の性格さならがらに明るくなった。
「はいっ!」