3月21日(月)家を飛び出した妹〔2〕
☆☆☆
今から8分ほど前――
家を飛び出した穂波を追い掛け、俺も家を飛び出した。
あんなパジャマ姿じゃ、華奢な体をしている穂波は絶対に風邪を引いちまう。
奇跡的にそんなことにまで頭が回った俺は、自分の部屋のクローゼットからお気に入りの黒いジャンパー――俺が持ってる中で1番保温性が高い上着――を引っこ抜き、ダッシュで穂波を追い掛けた。
玄関を開けると、すでにあいつの姿はいない。
しまった――
ジャンパーなんか取り出してる場合じゃなかったか……
後悔しても遅い。今はそんな時間さえ惜しい。
穂波はどこへ行った? どこか、穂波の行きそうな場所は――
「もしかして……」
幼い日の記憶を辿り、心辺りを一つ……
思い出した。
☆☆☆
「……何でここがわかったのよ……」
俺が差し出しているジャンパーは手に取らずに、不機嫌そうな顔と声で、目を逸らしている穂波は呟いた。
息を整えるのに10秒ほど使い、それから俺は口を開く。
「昔……お前が小さい頃さ、何かあったらよくこの公園で泣いてただろ…… 今みたいに」
「わ、私は泣いてなんかないっ!」
「少なくとも部屋を出たときは泣いていた」
「っ……くぅ……」
穂波は何も言い返せないらしく、悔しそうな顔で頬を膨らました。薄暗い街灯に照らされた目元は、やっぱりまだ潤んでいるみたいだ。
穂波は小学校低学年だった頃、親に叱られたり俺と喧嘩したりしたとき、毎回と言っていいほどこの公園のベンチへと逃げ込んでいた。それを探し出して慰めてやるのが、当時の俺の役目だったのだ。
幼い頃の穂波は、俺のことを『お兄ちゃん』と呼び、今よりも大分懐いてくれていた。しかし、小学校高学年――いわゆる思春期に入った頃から、徐々にそう呼んでくれなくなり、『アンタ』とか『タカ』とか『兄貴』や『バカ兄』という呼び名に変化してしまった。そして最近では、会話自体がめっきり減少していってる。
「べ、べつに、追い掛けて欲しくなんてなかったんだからね! そ、それをアンタが勝手に……」
少し頬を赤らめ、ソッポを向く穂波。
――ツンデレかよっ! ってか…… 可愛い、な……
こんな時にでさえ、思わずそう感じてしまう。いや、こんなときだからこそ、か――
普段の穂波にはあまり見られない心細げな雰囲気が、余計にあいつをかわいく見せるんだ。
一瞬、さっきまでやっていた『ディストピア』のユキと、今ここにいる穂波とが重なってドキリとする。もしこの状況がギャルゲーだったら、フラグを立てるチャンス……
待て待て待て落ち着け俺よ。リアルとゲームをごっちゃにするな。こいつはどんなに可愛かろうが俺の妹なんだ。
その妹が泣いているなら、兄貴として、するべきことが他にあるだろ!
「そ、そんな恰好じゃ風邪ひくぞ。これ、着ろよ……」
グイッと、ジャンパーを穂波に押し付ける。穂波はそれを引ったくるように受け取ると、「そ、そこまで言うなら着てやるわよ……」とブツブツ文句を言いながらもジャンパーの袖に腕を通した。そして再び膝を抱え、アルマジロのように小さく丸まる。
「……まだ、帰る気はないのか?」
返事代わりに、コクンと小さく頷く穂波。
「……分かった。落ち着くまでここに居ればいい。話くらいは聞いてやるよ」
「ア、ア、アンタには関係ないでしょ! べべべ別にアンタに聞いてもらいたい話なんてないしっ! ア、アンタはもう帰りなさいよ! 私ももうしばらくしたら帰るから! わ……私のことなんかほっといてよ!!」
「ほっとけるわけねえだろ!!」
気がつけば、俺は思いっ切り声を荒げていた。ビクンッと大きく震え、穂波が顔を上げた。その表情からは驚きと、突然怒鳴りつけられたことに対する恐怖が伺える。
「心配しちゃ悪いかよ! 何があったかは知らねえがよ、お前がこんなに苦しんでるのに…… お前をこんな真夜中に公園に一人ぼっちで置いて、ノコノコ帰れるかっつーんだよ!!」
近所迷惑だとかそんなもんは、まったく考えていなかった。俺の台詞にそんなに驚いたのか、穂波の目が大きく見開かれていく。
俺は感情の赴くまま、大声で言葉を吐き出し続けた。
「……俺がいるだろ! 話したくないなら何も話さないでいい! けどよ! ……し、心配くらいは…… させてくれよな……」
言ってて照れ臭くなってきたため、途中から語気が弱くなっていた。しかし、こんなに自分の感情さらけ出したのは久しぶりだった。
……少々さらけ出し過ぎかもしれないが。
――もしかして俺は、穂波を必要以上に恐がらせたり…… あるいは怒らせたりしてしまったのかも……
気になって穂波の顔を覗き込むと、何やら真っ赤な顔で口をぱくぱくさせていた。しかも目の焦点が定まっていない。
……怒りで声も出ない状態か!? マ、マズイ、早く謝らねば……
「ご、ごめ……」
「こ、このバカっ!!」
バカ!?
……確かに俺はバカだ。傷心の妹にあんなに激しく怒鳴るなんて……
心遣いとか思いやりとか常識とか、そういうものが欠けていたのだからな。
よし、これから繰り出されるであろう凄まじい罵倒を、俺は甘んじて受けいれよう。そして反省して、謝って…… それから、何か穂波の力になれるようなことをする。
――そう決心したのだが……
「ア、ア、アンタどーゆーのつもりなの!? ししし失恋の弱みに付け込んで、く、く、……口説こうとするなんて!」
予想だにしなかった言葉が、穂波の口から飛び出した。