3月21日(月)家を飛び出した妹
「バカなの!? 死ぬの!? ……うるさいうるさいうるさい!! もうアンタなんか大っ嫌いっ!!」
穂波が叫び終わると同時に、「バリンッ!」とガラスが砕けるような音がした。
「おいおい! 穂波のやつ、いくらなんでもやりすぎだろ!」
――こいつはやばい。そうとうキレている。
さすがにじっとしていられなくなった俺は、居ても立ってもいられなくなり、自分の部屋を飛び出し穂波の部屋へと向かった。穂波のヒステリックな怒号が、ドアを通り抜け耳をつんざく。
――どうにかして落ち着かせないと……家がめちゃめちゃになるどころか、あいつが怪我とかしちまうかもしれねえ……
勝手に妹の部屋を開けるのは少々気が引けたが、状況が状況だ。意を決してドアノブに手を差し延べたとき――
「ガバッ!」
ドアが急に、部屋へと引かれた。
眼前には、目を真っ赤に腫らし髪も服装も乱れた、パジャマ姿の穂波が突っ立っていた。泣き叫んでいたのだと、事情を知らない奴が一目見てもわかるであろう、あられもない恰好をしている。
「っ……」
「ほ、ほな……」
目が合った0.5秒後、「ドンッ!」と穂波は俺を突き飛ばし、部屋の外へと走り去って行ってしまった。
「お、おい穂波!」
バタバタと階段を猛スピードで駆け降りる音が聞こえるが、穂波は終始無言だった。俺は穂波を追い掛けようか迷ったが、さっき聞こえたガラスが砕けるような音が気になり、穂波の部屋を覗いてみた。
「まさか、窓ぶち壊したんじゃないだろうな…… 修理費シャレにならねえぞ」
見るとそこには、ミッキーマウスの顔の形をした目覚まし時計が、表面のガラスが粉々に砕けた状態で床にほっぽり出されていた。
どうやら、穂波は激情に任せてこの目覚まし時計を床におもいっきりたたき付けたらしい。
「うわー、やべえぞ、これは。……ガラスの破片がそこら中に散らばってるじゃねえか…… あいつ、踏ん付けたりして怪我してねえかな……」
妹の身を案じ、やっぱり追い掛けて話を聞こうと思った矢先――
鳴沢家の玄関が開く「ギィィ」という鈍い音がした。
「――っつ! あいつっ!……」
外へ出やがった!?
もう夜中の11時だぞ!
それにパジャマ姿で……
「――ったく、しょうがねえ奴だなおいっ!」
兄として取るべき行動は、一つしかないと分かっていた。
☆☆☆
「何で!? なんで突然フラれなきゃならないの!? もう意味わからないよ……」
3月下旬の夜風は、思ったより冷たかった。私はD公園のベンチの上で膝を抱えて丸まり、顔を膝に押し当てるように俯いた。上着もかけず、ついでに靴も履かずに衝動的に家を飛び出した短絡さには呆れているが、今は、是原龍斗――私の彼氏――“だった”男に対する怒りのほうが、圧倒的に頭を占めている状況だ。
――フラれたのに、悲しみよりも怒りのほうが強いって、どうしてなのかな……
わからない。今まで付き合った男はあいつ1人しかいないし、男をフったことはあるけどフラれたことがないから経験不足なのだ。
――確かに、理不尽なフラれかたをされたのは本当だけど……
なにも、あんなに怒鳴り散らさなくてもよかったじゃない……
ちゃんと落ち着いて話し合えば、またやり直せたかもしれないのに……
あいつに対する怒りから、今度は自分に対する怒りも生まれてきた。しかし……
もう、何もかもが遅かった。
大嫌いって、
死んじゃえばいいって、
とても酷いことを……
とても酷い『嘘』を、言ってしまった……
「ハックシュンっ!」
……寒い。
寒いし、寂しい。
これが後2週間遅かったら、夜桜が自分を慰めてくれていたかもしれない。けど残念なことに、周りに何本も植えられている桜の花はまだ壷の状態だった。公園の真ん中に建っている一本きりの街灯じゃ、寂しさを紛らわすのには少し物足りない。
――家に、戻ろうか……
いやいや、あんなに大暴れした揚げ句、突き飛ばしたりしちゃったんだ……
兄貴はきっと、怒っている。絶対に、怒っている。
それに、家を飛び出してまだ5分くらいしか経ってないのにのこのこ帰るのは、なんか格好悪いし惨めだ。
――別に風邪を引いてもいいや。むしろたっかい熱出して寝込みたい気分だわ……
と、半ばヤケになり自虐的な気分に浸っていると……
「そんなところに…ハァハァ…いる…と…ハァハァ…か、風邪…ひくぞ…」
突然、前方から男の声がした。驚いて顔を上げると、目の前には――
「あ、兄貴……」
――私の兄貴が、黒いジャンパーを片手で私のほうへ差し出しながら――
――走ってきたのだろうか――息を切らして、立ち止まっていた。