3月29日(火)その時がきたら……
――結局、私がビリのまま、本日のカラオケフリータイムは幕を閉じた。
颯姫は98点を叩き出し、私は僅か一点差で蒼に敗れ去った。
――颯姫の歌は反則過ぎるわ……
本気で歌手を目指してもらいたいくらい。そしたら毎回CD買って、ライヴも通い詰めてあげるんだから。
「穂波が罰ゲームかー。こりゃ楽しみだぜ」
「どんなのにしよーか迷っちゃうね! やっぱり羞恥系? すんごく恥ずかしいことしてもらおっか!」
朝の10時から夜の7時まで、途中にお昼やガールズトークを挟みながら、私達は9時間もカラオケを楽しんだ。
3人ともかすれた声で喋りながら、カラオケ屋を出て駅へと向かっている。
駅はすぐそこにあるのに、人込みを掻き分けるように歩いているから妙に遠くに感じられる。
空はもう暗く、ネオンの光りが辺りを照らしていた。季節はまだ3月。この時間だとやっぱりまだ肌寒い。
「や、やめてよ! あんま恥ずかしいのは!」
「さーて、どうすっかな~」
「う~ん……あ、そうだぁ!」
蒼はテクテクと前に歩き出て、私と颯姫に振り向いた。
そして、嫌な予感しかしない、悪巧みしているのがバレバレな笑顔で、
「お兄ちゃんにキスする、ってゆーのはどうかな?」
案の定、とんでもないことを言い出した。
「おお! いいねそれ! 見たい見たい!」
「でしょでしょ!
……兄妹同士で重ね合う唇。初めは罰ゲームだった。けれど、お兄ちゃんラブな妹は禁断の愛に酔いしれ、次第に身も心も蕩けていく……」
「『ったく、仕方ねえ妹だな』『うるさいうるさい! 罰ゲームなんだから仕方ないでしょ!』『ははっ、素直になれば良いのによ。俺だって嫌じゃねえんだから……』『アンッ! あ、兄貴ぃ……』……ってか? イイねイイねェ、最高じゃねえか!」
……禁……断の愛…………?
……最高?
「……………………お、お、おー……」
「ん? オーケー!? 穂波ちゃんやっぱりお兄ちゃんのこと!」
「お……お前いっぺん死ねェェェ!!」
ドガッ!
周りにたくさん人がいるのも忘れて、蹴りを出してしまった。
「アイタッ! 穂波ちゃん、蹴りはもっと酷いよぉ! あ今パンツ見えた――って痛いっ! 靴履いてるんだからさすがに痛いよ! 蹴られるよりは踏まれるほうが好きなんだけど……ってグハッ!」
私が兄貴にキス……?
……って、そんなことできるわけないじゃない!
あ、兄貴なのよ! 自分の!
兄妹同士でそんな破廉恥なまねなんて……
考えただけでも、ドキドキ……じゃなかった寒気がしちゃうわ!
「アッハハハ! ほ、穂波、顔真っ赤だぞ、そんなにコーフンするなよっ」
ツボに入ったのかゲラゲラ笑いながら、颯姫が頭をゴシゴシと撫でてきた。
「コーフンなんかしてない! ……もう! 颯姫までからかわないでよ!」
「ハハハ、わりーわりー。でもよ、キスするのも良いかなってちょっぴり思っただろ? 顔に出てたぜ」
「え!? 嘘ぉ! ヤダ私ったら……」
そんなそんなそんなぁ……
顔に出てた!?
……やっぱり私、兄貴にキスしたいとか心の奥で思ってるわけ……?
た、確かに、兄貴が土下座して「一生のお願いです! キスしてください!」とか言ってきたら、仕方なく、ほんっとーに仕方なく、頬っぺたにならキスしてあげても良いんだけど、
……だからって、私のほうから兄貴にキスしたいとか、そんなのって……
「……ってまさか図星!? テキトーに言ってみただけなのに……」
…………
………………っ!?
テキトーに言ってみた!?
「って違う! あ、ありえないんだから! 嫌嫌嫌嫌ぜーったいに嫌! 兄貴とキスなんて死んでもごめんだわ! バカなこと言わないで!」
は、はめられた!
私としたことが……!
「穂波ちゃん可愛い! 兄萌えのツンデレだなんて、どんだけ私の好物なんですかぁ!? 穂波可愛いよ穂波ぃ!」
ギュッ!
大好きなぬいぐるみに抱き着くみたいに、蒼が私に飛び掛かって締め付けてきた。
「離れなさい蒼! あ、ああ兄萌えなんて冗談じゃない! そんな嗜好はこの世から廃絶されるべきだわ! それに私はツンデレなんかじゃないんだから!」
「ツンデレブラコン妹……キャー! 萌えるー! 穂波ちゃんだけでご飯3杯はイケるわぁ!」
「――って、人の話を聞け!」
キャーキャーと叫ぶ蒼を引きはがそうとしても、力強く抱きしめてくるのでなかなか上手くいかない。何かのスイッチが入ったみたいだ。
――まったく、なんで蒼も颯姫も、ブラコンがどうのこうのとか言ってくるのよ……
こっちは真剣に悩んでるってゆーのに。
――自分の気持ちに正直になれたら、どんなに楽なのだろう。
禁断の恋なんて、小説やドラマの中だけの話だと思ってた。そのいくつかに、私も憧れを抱くこともあった。
けれど、いざ自分に降りかかってくると……
辛い。
身分違いの恋や、友達の彼氏との恋。そんなものだったらまだマシだったかもしれない。
けど、私の相手は、兄貴。
生物学的にも社会的にも交わることの許されない、肉親。
小さい頃から一つ屋根の下で過ごしてきた、家族。
恋愛を否定される要素なら、いくらでもある。恋愛をしたところで、幸せになれる保証なんて皆無。
人として失格
そんな烙印を押されても、文句は言えないんだ。
なのに…………
日に日に、気持ちを抑えきれなくなってくる。
今はまだ、兄貴に恋なんかしてないって自分に言い聞かせていられる。
けれど、いつまでもそうしていられるわけじゃないってことは、わかっている。
最近はなんだんだ言っても、浮かれていた。兄貴との生活を楽しんでいた。
兄妹以上恋人未満
そんな関係も、悪くはないな、って。
けど……
――急に、不安になってきた。
いつかその時が来たら……
私は、どうすればいいの?
兄貴は、私のことを一生幸せにするって豪語してくれた。あの時は、その言葉にすごく安心できたんだ。
けど今は……
私はそれを、信じて良いの?
私は兄貴を、自分の感情を、受け入れても良いの?
わからない……
わからないよ……
「穂波……ちゃん?」
「ほ、穂波! 俺が悪かった! からかいすぎた、すまねえ!」
不安げな顔で上目使いに見つめてくる蒼に、両手の平を合わせて頭を深く下げている颯姫。私のブルーな気持ちが、今度は本当に顔に出ていたみたい。
「……べ、別に怒ってないわよ。もうこの話はおしまい。さあ、帰りましょ」
笑顔の仮面を、上手く貼り付けることができたかわからない。けど、こうするしかなかった。
だって、2人に相談できるわけないじゃない。
颯姫も蒼も本当はすごく良い友達だから、相談したらきっと真剣に聞いてくれる。もしかしたら、良いアドバイスをもらえるかもしれない。
……それでも、この悩みは知られたくなかった。
だって恥ずかし過ぎるし、なにより……
打ち明けたらきっと、その後の関係が気まずくなるから。
心配そうな顔をする颯姫と蒼だったが、一先ずこの話はおしまいになったようだ。
私達は再び歩きだし、駅へと向かうところで――
「穂波、アレって……」
「……っ!?」
――駅の出口を少し出たところにある犬の銅像の横で若い女と2人で親しげに話している、私の兄貴を見つけた。