3月23日(水)曖昧な兄妹
☆☆☆
部屋のベッドの上で私は布団に包まり、小さく丸まって膝を抱えていた。
あの日の、公園のベンチのときみたいに。
「バカ……、私のバカ……」
今更だけど、本当に後悔している。
あの女……、春川絵里奈、だっけ?
帰りの電車で思い出したけど、確かに兄貴の幼馴染で、私も何回か遊んだことがある。よく調子に乗るけど明るくて優しい良い女だった。私も、絵里奈って呼んで懐いてたっけ。
兄貴は数年ぶりに幼馴染に会えたから嬉しかっただけなのに、私ったら変にムカついちゃって……。ホント、小さい女。それに……
あんなに激しくムカついたってことは、兄貴をあの女に取られた気がしたからってこと? それってもしかして……
私が、兄貴のこと好……
「わかんないよもう! ……兄貴のことなんて、ちょっと前までは何とも思ってなかったのに……」
曖昧な感情は空回り。
兄貴に変な感情抱いてる私もいれば、
実の兄にそんなもの向けるのを激しく拒む私もいる。
今のところは……
拒む感情の方が、強い。
当たり前だ。相手は実の……
兄貴、なんだから。
「ギィィ」という、鳴沢家の玄関が開く鈍い音がした。
私が家に着いてから20分と経っていない。
薄々予感は……
してたけど。
☆☆☆
「穂波、ごめん」
俺は服屋の買い物袋を横にドサっと置き、ドアの向こうにいるはずの穂波に謝った。
……返事はない。
「俺さ、ちょっと舞い上がってたんだ。久しぶりに絵里奈に会ったからさ。……悪かった」
「べ、別にアンタが謝るようなことなんて何もないわよ! 大体私は用事思い出したから帰っただけだもん! 謝るのはこっち! どうもすみませんでした!!」
ドアの向こうから穂波の怒鳴り声がする。声の感じから察するに、俺のいる方とは反対方向に向けて叫んでいるのだろう。ドアを挟んでても、俺と顔を合わせるのは嫌ということか。
「穂波!」
俺はすうっと大きく息を吸い込み、それからゆっくり吐いて……
気持ちを落ちつけてから、続けた。
「俺はさ、今日、楽しかった。映画が、じゃない……、お前と一緒に出掛けるのが、だ」
「…………」
穂波がどんな反応をしているのか想像できないが、続ける。
「すっげー楽しかった。デビル・バスターの会話くらいしかしなかったけど、それでも、楽しかった。絶対、俺1人で行くよりもお前と一緒の方が確実に楽しかったはずだ。だからさ……」
自分がどんな顔をしているのかは、想像できた。
……トマトみたいな顔しているだろうな。
「良かったらまた、一緒にどこか出掛けないか? お前の気が向いたらでいい。今度は、歩きながら色んな話してさ。だから……」
「うるさい!!」
「――っ!?」
「何もかも、兄貴が悪いんだ。兄貴があの夜、私を追い掛けてきたから……
兄貴があのとき、カッコいい言葉なんか投げ掛けてくるから!!」
――何だ? 穂波は何か、とんでもないことを言いだしそうな……
「あの出来事がなければ、私がこんな気持ちになることもなかった!
……私って単純よね…… 彼氏にフラれて傷心中だからって、よりによって兄貴にときめくなんて……」
ときめく? おいおいそれって……
「あれから兄貴と一緒にいても、前よりは居心地良くなったし時々嬉しくもなったけど、それも全部あの夜に兄貴に変な気持ちを抱いちゃったからで、あの夜がなければそう感じることもなかったはずなの!
そう、全部あの夜兄貴が私を追い掛けてきたせいだ! だから……」
そこで一旦言葉を切った。
少し間を置いて、穂波が示したのは
「もう、優しくしたりしないで」
きっぱりとした、拒絶の意思。
「実の兄なんか好きになりたくないのに、このままじゃ……本当に好きになっちゃうから……」
「穂波……」
穂波が俺のこと……
知らなかった。
気付かなかった。
いや、気付かないフリをしていた?
兄妹だからありえないって、自分に言い聞かせてたのかもしれない。
――穂波は今、自分の気持ちを正直に俺に伝えてくれている。
死ぬほど恥ずかしがっているだろう。兄の俺に、自らの複雑な胸中を吐露しているんだ。衝動的かもしれないが、それがどんなに勇気のいることか……
だったら俺も、言うしかないだろ。
「俺だって……俺だって! しょっちゅう思い悩んできたさ! お前に何度惚れかけたって思ってるんだ!」
「えっ!?」
「……俺だって、実の妹に惚れたくなんかねえよ。だからと言って…… お前に冷たくすることも、できない」
「だだだ、か、ら!! アンタのことなんて知らないわよ!! 私が、私がアンタのこと好きになっちゃうの嫌だからやめてって言って……」
「関係ねえ」
「――っ!?」
「コイツは俺のエゴだ。惚れた腫れたとかの感情抜きで、お前を護りたい」
「何でよ!? ……どうして……」
どうしてだって? そんなの決まっている。
「……当たり前だろ、兄貴なんだからさ」
「………………っ!?」
「妹大事にするのは兄貴の特権であり義務だ。妹と仲良くしたいって思うのもな」
「な、何カッコ付けてんの!? バカなの!? それでもし私がアンタに惚れちゃったら、どう責任取ってく……」
「一生幸せにする」
「っ…………!?」
「お前が俺に惚れる!? アホか、んなことされたら俺もお前に惚れちまうに決まってんだろ。
……そうなったら、妹だろうが何だろうが、どんな壁が立ちはだかろうが……
俺が一生、お前を護る。兄貴としてだけじゃなく、恋人としてもな」
――恥ずかしい。
気分が高揚している状態とはいえ、こんな……
こんなほぼプロポーズみたいな台詞、マジで恥ずかしい。
ギャルゲーの主人公の告白を大声で叫ぶ方が、まだマシだ。
――けど、全部本心だ。
ったく仕方ない……
認めてやろう。
俺はシスコンだ。
妹のことが大事で大事で仕方ない、変態シスコン野郎だ。
だが、それがどうした。
兄貴なんてな……
シスコンなくらいが調度良いんだよ!!
「ガバッ!」
ドアが急に、部屋へと引かれた。
眼前には、目元が潤んだ私服姿の穂波が……
「このバカ兄!!」
目が合った0.5秒後、「ドンッ!」と穂波は俺を突き飛ばし――
馬乗りになった。