しまった。俺のことを好きにさせ過ぎた。幼馴染が、俺のことを好きすぎてウザい。
間接キスからの直接キス、そして最後には衝撃の忘れ物……。
勝気な幼馴染の暴走をお楽しみください!
休日の午後。
日差しが傾き始めた四畳半の自室は、酷く居心地が悪い。
理由は明白だ。
俺のテリトリーに、我が物顔で侵入している不法占拠者がいるからだ。
「何じっと見てるのよ、あんた。――すけべ!」
不意に、鋭い声が鼓膜を打った。
声の主は、ベッドの縁に腰掛け、俺の顔を正面から睨みつけている少女。
七瀬沙織。
俺の幼馴染であり、歩く理不尽であり、そして——
悔しいが、誰もが認める美少女だ。
肩口で結ばれたツインテールが、彼女の勝気な性格を象徴するように揺れている。
大きな瞳はつり上がり、不満げに唇を尖らせている。
だが、その非難の言葉は、現状においてあまりにも不当だった。
「お前が見せてるんだろ」
俺は、呆れ果てた声で事実を指摘する。
現在、彼女は俺に向かって、自分の『穴』を無防備に見せつけている。
良く恥ずかしげもなくできるよな、と心底思う。
そして俺を誘っている。
その穴を自分で大きく開き、俺にある行動を促しているのだ。
女の子なのに、よくやれるな。
羞恥心という概念は、彼女が母親の胎内に置いてきたに違いない。
その穴の上の、小さな二つの穴まで丸見えだ。
恥ずかしくないのだろうか?
「早く、食べさせなさいよ」
沙織は、大きく開けていた『口の穴』をわずかに動かし、そして鼻の穴をヒクつかせながら催促してきた。
そう。
俺の目の前にあるのは、口を「あ~ん」と、大きく開けた幼馴染の顔面である。
手元には、彼女がわざわざ持ってきた、おやつのショートケーキ。
俺は今、ローテーブルを挟んで彼女と向かい合い、スプーンを握らされている。
事の顛末はこうだ。
「ケーキ持ってきたから一緒に食べよう」
――と押し入ってきたまでは良かった。
だが、箱を開けた途端、「あたしは手が塞がってるから、あんたが食べさせなさい」という、意味不明な理屈を展開し始めたのだ。彼女の手には、ただ自分のスマホが握られているだけである。
「自分で食えよ。手ぇ空いてるだろ」
「無理。今、大事なメッセージの返信中だから。ほら、早く」
あーん、と再び口を開ける。
見ろ、また鼻の穴まで丸見えだ。
百年の恋も冷めるようなアホ面だが、幼い頃から見慣れすぎているせいで、今更どうとも思わない。
俺は重いため息を吐き、仕方なしにスプーンでケーキを一口サイズに切り分けた。純白の生クリームと、真っ赤なイチゴの先端。
それをすくい上げ、彼女の口へと運ぶ。
ぱくっ、と沙織が食いつく。
咀嚼する彼女の顔が、ほんのりと緩む。美味しいものを食べている時の、年相応の無邪気な表情。こういうところだけは、昔から変わらない。
「……ん。美味しい。あんたも、食べたかったら食べていいわよ」
飲み込んだ沙織が、上から目線で許可を出してきた。
俺が食べさせなければ一生減らないケーキなのに、なぜか彼女が主導権を握っている。理不尽極まりないが、反論するのも面倒だ。俺は自分の分のケーキをスプーンですくい、口に運んだ。
甘い。
脳髄に響くような糖分が、疲労した精神をほんの少しだけ癒やしてくれる。
「——ちょっと! 何、普通に食べてるのよ!」
「は? お前が食べていいって言ったんだろ」
「そうだけど! ちょっとは躊躇しなさいよ。それ、間接キスなのよ!?」
スプーンを指さし、沙織が顔を真っ赤にして喚き散らす。
俺は目を細めた。
こいつは、頭が悪いのだろうか。
「あのな、お前が自分の使ったスプーンで俺に食えって言ったんだろうが」
「あたしは許可を出しただけ! あんたがデリカシーのない男だから、怒っているのよ。私みたいな美少女と間接キスするんだから、もっと恥ずかしがりなさいよ!」
「……注文が多い。そもそも——」
俺は、手元のスプーンをテーブルに置いた。
カチャリ、という小さな音が、室内に響く。
「お前とのキスで照れてられるか!」
俺は身を乗り出し、ローテーブル越しに沙織の頬を片手で掴んだ。
そのまま、彼女の唇に、自分の唇を押し当てる。
「ん、んんっ……!?」
沙織の瞳が、限界まで見開かれる。
唇から伝わる、ショートケーキの甘い生クリームの味。
そして、彼女自身の微かな熱と、甘い吐息。
彼女の細い肩がビクッと跳ねたが、抵抗はしてこない。むしろ、数秒後には、頬を掴まれていない方の手で俺の服の袖をきゅっと握りしめてきた。
静寂。
唇を離すと、沙織は顔を茹でダコのように真っ赤にして、荒い息を吐いていた。
ツインテールの先まで熱を帯びているように見える。
「……な、ななな、何すんのよ、馬鹿!」
「間接キスで騒ぐから、直接してやったんだよ。今更だろ」
俺は、呆れ半分、呆れ半分で言い放つ。
そう。
今更なのだ。
こいつとは、これまで何度もキスをしている。
主に、こいつの方から無理やりしてくるのだ。
「どお、嬉しいでしょ?」とか「感謝しなさい」とか、意味不明な上から目線で。
散々俺の唇を奪っておいて、間接キス程度でいちいち照れる演技を要求するなと言いたい。
事実、彼女の非難の声には全く覇気がなく、握りしめられた袖の力は抜けていない。瞳は潤み、完全に蕩けている。勝気な性格の裏に隠された、重すぎる好意がダダ漏れだった。
「……ばか、しんかのばか。急にするなんて、反則……」
「しんか」というのは俺の名前だ。
流川深河。
俺の名を消え入るような声で呟きながら、沙織は残りのケーキを自らスプーンですくい、黙々と食べ始めた。先ほどの勢いはどこへやら、完全に大人しくなっている。
チョロい。
* * *
ケーキを食べ終わり、俺はどっと押し寄せてきた疲労感に身を任せ、ベッドに倒れ込んだ。
沙織の相手をするのは、本当にエネルギーを使う。
目を閉じ、少し眠ろうかと思ったその時。
ぎしり。
スプリングが軋む音がして、隣に温かい塊が転がってきた。
目を開けると、すぐ目の前に沙織の顔があった。
彼女もまた、俺のベッドに横たわっている。
シングルベッドに高校生が二人。
当然、物理的な距離はゼロに等しくなる。
彼女の肩が俺の腕に触れ、甘いシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
「狭いだろ、ばか。自分の家で寝ろよ」
「うっさいわね。あたしはここで休みたいの。あんたが我慢しなさいよ」
俺の文句を鼻で笑い飛ばし、沙織は俺の方に寝返りを打った。
結果として、彼女の顔が俺の胸元にうずまる形になる。
狭い、と言いつつ、彼女は俺の身体にぴったりと張り付き、離れようとしない。
俺の心臓の音が聞こえる位置で、彼女は目を閉じ、満足そうに小さな寝息を立て始めた。
勝気で、口が悪くて、俺を振り回してばかりの幼馴染。
だが、この無防備な寝顔と、俺にすり寄ってくる体温だけは、どうしようもなく愛おしいと思ってしまう自分もいる。
窓から差し込む夕日が、彼女の髪をオレンジ色に染めていた。
しばらくの間、俺たちは狭いベッドの上で、無言のまま戯れるように肌を寄せ合っていた。
数時間後。
外がすっかり暗くなった頃、沙織は「お腹すいたから帰る」と言い残し、嵐のように隣の家へと帰っていった。
* * *
静寂が戻った部屋。
やれやれと首を回し、散らかったテーブルの上を片付けようとした時。
「……ん? なんだこれ?」
俺は、視線を止めた。
机の中央。
見つけて下さいと言わんばかりに堂々と、小さな布切れが置かれていた。
丁寧に四角くたたまれた、白い布。
いや、ただの布ではない。
縁には繊細なレースがあしらわれ、中央には小さなリボンがついている。
どう見ても、女子用のパンティだった。
あいつのだ。
間違いない。
先ほどまでここにいた、不法侵入者の遺留品だ。
俺はこめかみを押さえ、即座にスマートフォンを取り出し、短縮ダイヤルをタップした。
数回のコールの後、ガチャリと通話が繋がる。
『……なに?』
声のトーンが、やけに弾んでいる。
「……机の上」
『あー。ごめん。忘れた』
「こんなの忘れるわけないだろ。どうやったら忘れるんだよ。早く取りに来い」
状況を考えろ。
服を着たまま、下着だけを脱いで机の上に綺麗にたたんで置く?
そんな高度な脱衣技術と忘却力を併せ持つ人間がこの世にいるわけがない。
完全なる確信犯だ。
『無理。もうパジャマ着ちゃったし』
「お前の家、隣だろ。十秒で来れるだろ」
『明日また行くから、その時でいいじゃん』
俺の抗議を一切無視して、沙織は一方的に言い放った。
『ちゃんと洗っておいてよね。じゃ、おやすみ!』
ツツツー、という無機質な電子音が耳に響く。
電話が切れた。
俺は、机の上の白い布と、通話の切れたスマホを交互に見比べた。
これは、アレだ。
マーキングだ。
俺の部屋に自分の私物(しかも極めてプライベートなもの)を置くことで、他の女を牽制し、同時に俺の意識を自分に釘付けにしようという、彼女なりの高度かつ強引な作戦。
まったく。
手のひらの上で転がされているのは、間違いなく俺の方だ。
窓の外、隣の家の二階の明かりを見上げる。
あいつは今頃、自分の策略がうまくいったとベッドの上で足をバタバタさせて喜んでいるに違いない。
「……俺のことを、好きにさせ過ぎてしまった」
溜め息とともにこぼれ落ちたその言葉は、不思議と不快ではなかった。
机の上の白い布を指先でつまみ上げながら、俺は明日の彼女の襲来を、どこかで待ち遠しく思っている自分に気づいていた。
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